新しいプロジェクトのすすめ(MOTEJIレポートNo.16)

両生“META-MANGA”ストーリー<第22話>

ニュージーランド・トレッキング報告を見たよ、MATSU。健康上の懸念はもうほぼ解消したみたいだな。おめでとう。俺もうれしいよ、俺の仕掛けたドラマが成功裏に終わってね。

そこでなんだが、こうして達しえた新たな高みを足掛かりに、それだからこそでき、また、それだからこそしなくてはならない、新たなプロジェクトを提案したいんだ。言ってみれば、幸いに目下、命取りの病気の脅威のない人向けに、その「後期高齢」人生を、いかに自由かつ果断に全うしようとするのか、といった計画だ。むろんそのポイントは、繰り返して言ってきている、「連続する旅路」のその《通過点》の意欲的越え方、といったところだ。

ところで、世界屈指の高齢化社会を先導する日本で、「人生100年」といった表現が、頻繁とまではまだ言えないが、決してまれにではなく見られ始めているね。そうした見解への動機は主に、極めて現実的なものが発端となっているようだ。要約すれば、寿命が伸び、健康水準も向上して、これまで「余生」と認識されていたものが、単なる「余りもの」どころではなくなり、人生の三分の一にもなる重要な時期の一つになり始めてきているとの認識に立っているもの、とでもなるだろうか。

そしてことにそれは、MATSUのような年金生活世代向けの話というより、今の現役世代にむけて、現行の年金制度は、君たちがそれを得る時代には、もう確実に不十分なものとなり、頼りにならないどころか、自力の支えを自分で用意しないでは、その長い「余生」期はきわめて惨めなものとなりかねない、との「先見の明」からの警告を発しているものだ。

そういう意味では、年金制度の設計と維持に失敗した政府の責任逃れを黙認する体制援護の見方とも見えなくもない。しかし、失敗を隠蔽するのはどの政府も常であり、それは「先見の明」というより、誰しもの憶測の代弁でもあるだろう。あるいは、その警告に逆ギレして、年金制度を維持しきれない無能な政府への「責任追及」を思い立つ人もいるかもしれない。

すでにこっちの世界にきちまった俺などにしてみれば、そうした援護も批判も、遠い風景にすぎないが、死ぬまで自力で支え続けろなどとは、停滞経済に踏みしだかれっぱなしの現役世代に、またしてもの追い打ちか、と惨憺たる気分になってくる。

ともあれ、MATSUの場合、そうした「余生」を「余生」に終わらせない準備――自らの現実に対応していたらそうなっていたとの偶然もあるのだろうが――にはすでに入りつつあるようでもあり、それを察知したがゆえの先のドラマの仕掛けでもあった。

いずれにしても、誰かのお荷物にはなりたくないというのは誰もの願いだろうし、その意味で、「死ぬまで現役」を続けたく、そのために働き続ける対象や場を確保しておきたいのも人情だ。そういう長い人生を担いえる身体と精神をそなえた自分作りは、どこにも既成のモデルなぞなく、単なる健康志向を越える、今後の人生設計におけるポイントとなるものだろう。

 

そこでだが、この「人生100年」における「死ぬまで現役」を前提とすると、MATSUにとっては、あと30年という実にたっぷりの時間が用意されているということとなる。少なくとも、もう二回の年男の番が巡ってくる。それをただ、受け身的に消費するというのでは、余りにもったいないし、現実的でもない。しかも、MATSUの場合、オーストラリアの年金制度という、世界平均的に言って、まだけっこう役に立ってくれている年金制度による恩恵も含まれた上での話であるわけだ。そういう絡みで言えば、そうした社会への貢献――日本風に言えば「恩返し」――ぬきでは、近年の写真傾向ではないが、余りにセルフィー〔自撮り〕過ぎる話ということとなるだろう。

そうした展望において、俺の提案したいことは、MATSUのいう「“し”という通過点」という視野の、さらにいっそうの発展と充実だ。それには、確かに、人生を物質現象のみとしてはとらえない、いっそう広い見識が必要だ。そういう見地からは、一般に宗教とよばれる分野へのより深い探究がのぞまれる。ひとつのヒントを言えば、宗教と科学の連携だな。

俺もそれを後押しするために、もっと勉強してゆきたいのだが、例えば東洋の宗教には、「涅槃」とか「輪廻」とか「無為自然」とかと、それを追求した歴史的にも長い伝統がある。それに加えて、現代科学の最先端をゆく量子理論を繋ぎ合わせる融合。それは、これからの日本ばかりでなく地球社会にとっても、決定的な突破口となる重要な着眼点ではないかと思っている。

まあ、個人として、これからやってくる時期は、時間と機会はふんだんに用意されているわけであり、現役時代ほどに、せかされたり責務に駆られることもないだろう。

そういう方向と位置付けで、「新しいプロジェクト」に取り組んでみてはどうだろうか。

 

 

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