かって日本が戦った「15年戦争」あるいは「アジア・太平洋戦争」は、結局、何であったのか。ことに、私自身はその直接の体験はないものの、1946(昭和21)年8月20日生まれというまさに皮切りの戦後世代――つまり初の「平和世代」――として、その戦争のもたらした「直後」の結果の中で育ち、そこに生きてきました。そうした世代だからなおさらなのですが、上にあげた問いが、なんとも“重たい”その本に私をかかわらせた始まりでした。

4年前の9月初め、私はおよそ8年を要して、デービッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』の原書(写真)を読む私的作業――訳読――を終えました。私のこの作業は、その結果を順次本ブログに公開していため、その後しだいに、当初は予想すらしていなかった広範な読者を得るようになりました。今では、私のこの特定サイトには、毎日確実に100名をこえる、日本ばかりでなく海外からもの訪問者があります。中には、累計200回なぞもゆうに超えて繰り返し訪れられていられる奇特な読者が何人もおられます(こうした反響は、出版ビジネス式に言えば、厳しさしか予想されなかった作品のロングセラー商品への“大化け”です)。こうした進展は、その作業実行者としての嬉しい驚きばかりでなく、本書へのそれだけの根強い関心があるがゆえと受け止めています。

しかし、その後のこの4年間で私が目撃してきているものは、このバーガミニの著書が、その著者もろとも、信頼に値せずと烙印を押され、いわゆる言論界――つまり、商品としての言論市場――からあたかも抹殺の憂き目にさらされていることです。

私には、学術論争として展開されているそうした経緯がどうも胡散臭く見え、本稿は、より問われるべき問題が、むしろ、史実解釈の真偽問題に置き換えられることで不問に向かっている、すなわち、天皇の戦争責任という問題の取り上げ方自体が、そもそも、その戦争の真相隠しの煙幕に使われている――その「無告発」でその戦争は「義」とすらなった――ことだと見る試みです。
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