老兵の、あの手この手 

 修行風景《中堅編》(その2)

2006年3月に「ボケ防止一次プロジェクト」として始めた寿司シェフ修行時とは違って、今回のシェフ業再開にあっては、やはり、基本的な姿勢に違いが生まれています。

「ボケ防止」という狙いは大いに功を奏していると確信できますが、仕事にまつわる実情を知るにつけ、腕をみがくという面では、ある種の自重のようなものを、おのずから考えさせられ始めています。

その自重には、むろん、自分の心身のおとろえに伴うフィジカルな自制があります。しかしそれは一面で、むしろ、一次の時の、なんとか成さねばならないといった切迫した意気込みが、今回では、予想以上のブレーキを余儀なくさせられています。

というのは、「老兵は去るのみ」ではありませんが、ご本人にとってはそれでよいとしても、そうした者があまりにのさばっていることには、それなりの弊害もあるからです。

仕事の機会というのは、経済の勢いが弱まって来ればくるほど競争的、つまり、その奪い合の様相をおびてきます。そうした状況下では、私がある仕事に就いていることで、だれかの機会を奪っている可能性は常に存在します。現に、第一次プロジェクトの時、私が見習いでも寿司カウンターに立った時、その背後で――後で知ることとなったのですが――、その機会を望んでいたある若者のチャンスをつぶすこととなりました。

一方、今回の店では、和洋融合のスタイルを特色としており、前の店のように、いかにも日本式な店構えや慣習がこの地にまで持ち込まれているわけではありません。それに、キッチンで働く同僚たちには、当地の職業訓練学校のシェフ課程の修了生らもいて、オージー流の仕事の仕方を習得してきています。そういう彼ら彼女ら――みなアジア諸国の出身者――が、自分の将来を託して、文字通り真剣にその経歴を積んでいるさ中に、私が舞い込んでいるわけです。

要は、人生二周目のチャレンジというのは、往々にして、若者の労働市場への参入を意味することになっているというわけです。

人生の先輩としては、そうした若者たちの前途を邪魔したくはありません。まして、年金を受給する身でもあります。それに、体力は言わずもがな、装飾的な意味などでも、彼ら彼女らの方が、新しいスタイルの料理にはよりよいセンスをもっています。

ただ、店の側の必要としては、一定の経験をすでに持っていて、かつ、多忙な週末のみに働いてくれる人はそうは多くいません。まして、当地の法的な条件を満たしてそのレベルの者を休日に雇用したりすれば、高い割増賃金を覚悟せねばなりません。

まあ、そんなこんなの、それぞれの現実的必要の折り合い点を見つけて、今回の仕事が成立しているのが実情と言えます。

 

実情と言えば、もうひとつの、これはシドニーの公共交通機関上の“宿痾”があります。

前回に書いたように、この店への通勤には、電車を乗り継いでの一時間少々を要します。

オーストラリアの公共交通機関の頼りなさは、日本のそれの信頼性を当然視しているむきにとってはまるで未開発国並みです。ましてそれが週末ともなると、まるで“瀕死状態”となります。

当地では普段でも、ダイヤ通りに電車が来てくれるかどうかはあたかも“運”の問題で、それが週末や夜になると、運行数がぐんと減らされて、不便を通り過ぎて一種の“危険”と転じます。週末でなくとも夜遅くともなれば、中心部を走る線すら30分に一本といった具合となり、その乗り継ぎに失敗すれば、深夜のさなか、それはもう「トホホ」状態にさらされます。

そうした点で自転車は、いざという時のための、決してけっして古典的とは言えない、最新かつ最後の手段ともなってくれています(30分も待つくらいなら、その間を自転車で走れば、たいがいの目的地に到着できます。なおかつ健康的で経済的)。

しかも先週と先々週は、乗り継ぐ路線のそれぞれが相次いで、保線工事のために土日が全日、不通となりました。むろん、公共交通機関ですので、一応、代行のバス運行は用意されます。ところが、これがまた頭痛の種で、ダイヤは全く成立せず、時間がかかり、時に混み合って、愛用の折り畳み自転車といえども、持ち込みはもはや不可能となります。

 

そうした、あれやこれやのニッチをぬっての、寿司シェフ業の再開中であります。

 

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