今号の目次

原油価格の劇的な下落により、世界経済の潮目が変わりつつあります。しかも、原発停止の基幹代替エネルギーであるLNGの価格も石油価格に連動しており、文字通りの産業の原動力であるエネルギー価格のこうした下落は、世界の産業構造に少なくない影響を与えないはずはないからです。

オーストラリアにおいても、つい最近まで、その輸出産業の新主役へとのし上がってきていたLNG産業が、豪ドル高とこのエネルギー価格の下落によって、その座を揺るがされつつあります。 詳細記事

Day 170+101(12月14日)

「日常化」を始めて、100日を越えました。

体調はすこぶる順調で、右肩の腕関節に痛みが走る——冬季の水泳休止による関節の固着化のためと思われます——以外には、これといった問題な自覚症状はありません。

今日の夕方も、10キロはじりをしたのですが、それに出る前には、正直なところ、気乗りのしない気分があったのですが、それを押してなんとか「はじり」終わってみると、いつものように、実に爽快な事後感を満喫することができました。 詳細記事

今度の総選挙で、自らの落選と最高顧問の責を負う「次世代の党」の壊滅的結果を受け、石原慎太郎が政治家としての引退を表明しました。曰く、心残りは「憲法を一文字も変えられなかった」。

そういう脈絡では、憲法を守る目的は、一部成功したかとは言えます。

しかし、憲法を守る戦いの本来は、それが私たちの社会をよくするためであったはずで、にもかかわらず、あらぬ迷路に陥っている、との感を深くしています。

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Day 170+88(12月1日)

今日、定期的な血液検査をしました。

結果が出るのはあさってですが、前回、決定的な正常値が出た検査は8月7日でしたので、四ヶ月ぶりの“審判”です。慎重にモニターするため、従来の六ヶ月を短縮しています。

この間、食の「日常化」を取り入れてきているのですが、その度合いが果たして、適正であったのか、それとも行き過ぎであったのか、ひとまず、その判定が出ます。

また、今日、この検査に際してGP(一般医)が計った血圧値は、114と70でした。GPは「very good」と言っていましたが、血圧の目安を、よく言われているように「年齢+90」とすると、114ということは、24歳ということとなります。ヒャッホー。 詳細記事

Day 170+68(11月11日)

「日常化」に入ってはや2ヶ月、いろいろな面で、非常態勢が解除されてきています。

それとともに、食の平常化も進んでいるのですが、一度、食の安全をフル点検した経験から、毎日自分の口にする食物について、そのいちいちで、それが本当に安全かどうかを再考してみることが習慣のようになってきています。 詳細記事

Day 170+48(10月22日)

泳ぎの方はまだリカバリー中ですが、はじりの方は、おととい、10キロで1時間1分台が初めて出て、にわかに、1時間を切ることが視界に入ってきたかの感じです。「はじり」の精神でゆけば、タイムなど目標にしないはずなのですが、ここまで調子が上がってきてしまうと1時間という大台はやはり気になってしまいます。もし、それを切ったとなれば、キロ6分を下回ったことになり、もはや「はじり」とは言えなくなってきているのかもしれません。 詳細記事

若い人たちの修行を優先してもらいたいとリリーフ役に徹している私ですが、その役割は、キッチン内部では、なんとかうまく働いている感じです。

一方、レストランにはキッチンとフロアーと呼び分けられる二つの部門があり、フロアーとは、店にとってはそれが表舞台の接客部門のことです。そうした二つの部門にまたがる際、このリリーフの役割がもたらすある波紋がおこってきています。 詳細記事

前立腺ガンを患って(私の健康エコロジー実践法 =実遭遇編= 参照)いろいろ調べているうちに、自転車乗りが股の鼠蹊部を圧迫することから、このガンにはよくないエクササイズだという見解に幾度か出くわしました。 詳細記事

 Day 170+36(10月10日)

私にとって、ガンとの遭遇は、実に意味あるできごととなりました。そしてそれは、安易に医師にたよらず、自分の体のもつ可能性に信頼を託しきれたという結果をえて、いま、「やわらかくしなやかな」とでも表現できるような、そんな自身ができてきたような気がしています。この年齢になって、「やわらかくしなやかな」なぞとは何とも妙で、予想すらできなかった功名です。医師の助言に従い、あのまま前立腺を全摘しないで本当によかった。この身体感覚、なかなか絶妙です。 詳細記事

Day 100+97(10月1日)

9月27日にTも帰豪し、二人暮らしが再開されて、私の生活パターンの脱緊急態勢化=日常化がはじまりました。

Tは根っからのベジタリアンで、私の菜食主義化でその面では二人の足並みがそろった格好ですが、それでも微妙な差は残ります。ことに、私が乳製品やコーヒーの摂取をやめたので、この点では新たな別々路線が生まれました。飲酒は、ときたまの頻度としては再開しています。 詳細記事

Day 100+79(9月13日)

京都、大阪、伊勢、津をまわって、今日、東京にもどりました。

今回の旅の一つの目的は両親の墓参り(京都、知恩院)をすることでしたが、もうひとつの目的は、私のZGへの挑戦を勇気づけてくれた一人の“戦士”に再会することでした。

その彼は、大阪の富田林で、自然食店を営む人で、肝臓ガンからの生還者です。レストランと食品販売を兼ねたこの店をはじめたのも、その生還の経験を転機に、他の患者に自分の体験を生かそうとのねらいがあるものです。

彼はそうした仕事柄、食物に関する“実戦的”情報に詳しく、かつ、健康を損ないやすい食品が横行し、また、本来の使命から脱線したかの医師の存在の目立つ今日にあって、まさに、苦しみ迷える患者たちを率いる「戦士」の雰囲気すら漂うきりりとした人物です。

ちなみに、彼の店は、富田林市本町の「暮らし屋」(Tel 090 2358 0443)と言います。 詳細記事

Day 100+62(8月27日)

二度目の14kmはじり。タイムは一度目から4分半縮まって1時間32分55秒。かなり快適なはじりでした。来月4日に結果の解るMRI ――もう検査済みでただ待ちなのだが――について、この調子ならば「想定通りとなるはず」との確信をより強めています。

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前回に書いた「労使共同のこころみ」が、申請手続きに手間取らされたもののそれは政府に受理されて、このこころみはなんとか達成することができました。

かくして、この先二年間、この政府補助金により、私の労働条件は少々向上し、雇い主の側もやや人件費を軽減するという、一石二鳥の成果が現実のものとなりました。 詳細記事

Day 100+44 (8月9日)

いい結果が出てきました。実にいい結果です。先に行った血液検査の結果がきょう出て、そのPSA値が、二ヶ月前の5.47から、なんと3.32へと、大幅に下っていました。

オーストラリアでは、私の年齢(60歳代)での境目値は4.5で、それ以下ならノーマルということになります。つまり、PSA値のかぎりでは、私のZGは、治癒されたということです。

当然、この結果を内心では期待していたわけですが、わずか二ヶ月で、まさかこれほど劇的に下っているとは、予想だにしていなかった、新鮮な驚きです。

ともあれ、これは私にとって、大きな、おおきな前進です。 詳細記事

この修行中堅編が、それを修行と呼ぶにしても、もはや、競って腕を磨くという立場ではなくなっており、あくまでもリリーフ役に徹するものであるとの狙いは、これまでにも書いた通りです。

それに加え、こちらがいかに頑張ってみたところで、やはり、周囲の若い人たちから見れば、老人然としたところがあるのは明らからしく、いたわられるという程ではないにしても、それなりの配慮は頂戴するところとなっています。 詳細記事

マレーシア航空機の「誤撃墜」や、中東地域での紛争の悲惨な泥沼化を見るにつけ、世界のキナ臭さはつるべ落としに、やむを得ない危急事態どころか、無益と言うことすらはばかれる、それが事実とは信じがたい事態へと迷い込んでいっています。

互いがそれぞれ、武装にぬかりなく往行すれば、それぞれが丸腰であるより、偶発、あるいは暴発――さらには軍事的策略――の事態の生じる頻度が高まるのは理の当然で、世界の理性はいまや、粗野な腕力の理屈に牛耳られているのも同然かの事態です。 詳細記事

Day 100+28 (7月24日)

 このところの勢いにさらに乗って、今日は16キロをはじりました。タイムは1時間51分34秒、10キロ換算で1時間9分41秒ですから、またも、通常の10キロペースでの16キロということになります。ちょっとビックリです。

今日、いけるところまでいっちゃえば、復路はいやでも帰ってこなくてはならないんだから、足を引きずってでも戻るだろうと、チャレンジしたものです。 詳細記事

この7月7日から10日の安部首相の訪豪は、日豪経済連携協定という難題に、ぎくしゃくしながら、かろうじて達した合意にもかかわらず、当地で報道される両国首相の様子は、その親密性がいかにも前面に押し出されているかに見えるものでした。

というのは、両国ともに、経済上の対立は大幅に妥協しても、ともあれその合意が優先されたもので、これまでの長年の大山鳴動がネズミ一匹の成果ほどのものでしかなく、その貿易上の利益は、双方にとっても、さほどの期待は持てない結果に収められました。

その一方、防衛上の連携の強化面はことに力点を置いて報告され、西太平洋における日豪の同盟関係の強化がことのほか重視されているかの様子が打ち出されています。

ことにオーストラリア側は、これまで自国開発してきた潜水艦建造を、共同研究開発との名で、日本製の潜水艦の使用に道を開くといった、従来路線の大転換――つまりオーストラリアの雇用をそれだけ失う――までするといったところまでの譲歩を見せています。というのは、今や軍事目的の潜水艦は原子力推進が世界の大勢ですが、日本とオーストラリアは、強い国内の反核世論(あるいは、そうした世論の背後に隠された米国の核拡散防止戦略)のため、いまだに従来型の内燃機関推進の潜水艦が前提となっています。こうした非核潜水艦という点では、すすんだ造船技術と合わせて、日本製の潜水艦の採用は確かな合理性は持っています。

こうしたい建前上の理由は付けられながらも、その内実は、真の国益が捻じ曲げられたり、少なくとも、矛盾をはらんだものであることは否定できません。

世界の警察官を自認してきたアメリカが、その国力の衰えにより、次第に世界くまない目配りから、重点を絞ったそれにへと移してきてる情勢にあって、西太平洋は、新たな覇権国、中国と直接に面と向かい合う領域です。

そうした東半球情勢にあって、日本とオーストラリアが、ともあれ米国の同盟国として足並みをそろえることは、ことに両国の政府が親米保守の路線に立つ者であるなら、おおいに現実的な選択であると言えましょう。

そういう意味では、日豪は、米国の番犬として、かってない「仲良し関係」にある様子が、しみじみとうかがえるところです。

Day 100+16 (7月12日)

 今日、「10kmはじろう」後の「最低体重」が72.0㎏となり、取組み中の菜食主義の減量効果は着実に進行していることは確かとなっています。ただ肝心のZG治療への効果はいかほどなのか、それとも何の実りのないものなのか、その答えは、来月20日のMRIで出されます。

そこでなのですが、これは実に微妙なものであり、まったく心理的でもあり、しかも寄与ファクターも多く、客観的には計りようがないのですが、菜食主義の二次効果として、どことなく、頭の働きが軽くなったというか、ギヤーの入りが良くなったというか、いうなれば、《抗認知症効果》といったものが働いているような気がしてきています。 詳細記事

第二次大戦末期の1945年、同じ枢軸国同士でありながら、原爆はなぜ、ドイツにも、イタリアにも投下されず、日本のみに対して使用されたのか、という疑問があります。 詳細記事

Day 100 (6月26日) 

昨日、定期健康診断の血液検査の結果があがってきました。

気掛りとなっていたPSA値は、やはり、少々上がっていました。ひそかな期待は、期待のままで終わりました。でもそれほどの高水準ではありません。ともあれ、これが100日目の現実です。

ガンという命をおびやかす病気との遭遇は、むろんこれまでに体験したことのない、自分についての文字通りの“命がけ”な問いかけを投げかけてきています。逆に言えば、これまでの生活姿勢が、それほどにも生ぬるいものであった、あるいはそれほどに認識が甘かったとの、そうしたやはり油断があった積み重ねへの警告の総決算でもあるようです。 詳細記事

Day 84 (6月10日) 

整理をしていて出てきた昔のアルバムを思わず開いて、学生時代の写真を見つけました。その中に、大学1年の時、当時ワンゲルという運動部に属していて、同大学の学園祭に催された駅伝大会に出た時の写真(下)がありました。ほとんど50年昔、1966年秋のことです(昨年末におぼろげな記憶でちょっと触れたことがあります)。

駅伝走者2

50年の歳月のへだたり

その写真に、その時のタイムがメモしてありました。するとどうでしょう、7.5キロを26分30秒で走ったとあります(記憶していた27、8分どころではありませんでした)。時速にすると17km/hr となります。10キロに換算すると35分18秒で、現在のタイムのちょうど半分です。

その時、田町から三田にかけてのそうとう上り下りのきついコースを、部を代表して、第一走者として走りました。

昨年につづき再度追憶にふけりますが、さすが若かったのですね。今の二倍の速さです。

あるいは逆にして、67歳のいまにして、まだ半分とは、上出来と解釈すべきなのでしょうか。

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先にこのシリーズで、「『天皇の陰謀』の訳読を終えて」を書いて、日本の現代史における「ダブル・フィクション」に、私にとってのひとまずの節目を付けたとの見解を述べました。

しかしその後、ことにこの「憲法改正考」を掲載を続けながら、たしかに過去のミッシング・リンクの補充はできたものの、「フィクション」の時代はそれで終わっているわけではない、との思いを引きづってきています。

今回は、その新たな「フィクション」についての考察です。 詳細記事

Day 75 (6月1日) 

私が「最低体重」とよんでいるものがあります。エクササイズをして、汗を存分に流した後の、おそらくその日の最低に下がったと思われる体重です。運動からもどり、シャワーを浴びる前に計ります。

その最低体重が、コンスタントに75キロを切るようになり、暑い日などで、大量に発汗し脱水症状気味な時なぞ、73キロ台にもなっています。

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Day 54 (5月11日) 

Z君、ずっと大人しくしていてくれてありがとう。おかげでいまも自覚症状はなく、調子は上々だよ。流れも悪くない。

いまからここに書くことはね、根拠のあるような、ないような、言ってみれば僕の繰りごとに過ぎないけれど、まあ、聞いてもらおうか。

相変わらず、なんでZGと遭遇することになったんだろうっていう原因論が頭から離れない。恩着せがましく聞こえるかもしれないけど、これも、Z君、君が来てくれた、そのおかげというか、それに敬意を表すというか、ともあれ、その理由を考えさせられてのことだよ。 詳細記事

 

Day 37 (4月24日) 

Z君、生検を受けてから、どういうわけだか、かえって調子がいいみたいだね。専門医もそういうことってあると言ってたけど、尿の出具合もいくらか勢いが回復しているみたいだし。ともあれ、尿の細り以外には何も自覚症状はないので、君が具合を悪くしているとは、どうしても信じられないんだ。

でも、生検による組織病理レポートによれば、初期段階の異常細胞が発見されているわけだから、何かが良くないのは確かなんだよね。

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Day 21 (4月8日) 「継続監視」を選択

昨日(4月7日)、専門医と再び面談し、生検結果の詳しい説明を受けました。

生検の組織病理レポートによると、前立腺の八か所で各2個の標本をとり、計16個のうちの4標本から、ガン細胞が発見されています。

そのタイプは、グリーソン・スコアーの総合スコアーで6となっており、ガンの悪性度で言えば、5段階の内の、軽い方から2番目の状態です。

神経周囲の浸潤、血管浸潤、前立腺外転移のいずれも見られないとなっています。

16分の4の発見率で、まだ初期と考えられ、緊急の危険度も低ということで、自分としては即座の全摘手術は避け、能動的監視を続けて経緯を見たいとの希望を伝えました。

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憲法改正議論からはやや離れますが、むろん対外的に関連して、日本の「移民政策」についてです。

いってみれば、日本に一番定着しにくい政策議論の代表が「移民問題」でしょう。

昨年7月に、「憲法改正考(その5)再び孤立の道を歩むのかを論じた際に、調査捕鯨をめぐって、少なくとも日本政府は、世界の情勢の中で孤立の道を進んでいるのではないかとの心配をのべ、それは今年3月末、国際司法裁判所での敗訴によって現実のものとなりました。

つまり、日本の政府に、世界情勢の「KY(空気読めない)」なところがあるのは明らかで、それの第二の実例が、この「移民問題」となるのではないかとの再度の“心配”です

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Day 5

生検結果の信頼性を疑わない限り、ガン細胞が発見されたのは確かなのですから、“理念的なそもそも問題”はそれはそれとして、遭遇した現実をつぶさに受け入れ、実際的判断を下すべきと考えろ、とするものがあります。

つまりこの目下の問題とは、その道のエキスパートが勧める全摘手術を信頼し、それによって「得るべきもの」と「失うべきもの」の収支が、入手可能な現実条件に照らして妥当なものであるのか否か、という発想をすべきではないのかというものです。

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私の健康に関して、すでに現実に表れ始めている病的兆候は、坐骨神経痛と前立腺肥大によるものです。

以前にも触れましたが、前者は、このところの「はじり」の効果か、一時よりはかなり軽減しています。一方、前立腺の方は、尿の細りがもう数年にもわたって続いていて(ただし症状は定常化していて進行はみられない感じ)、これは、年二回の定期的血液検査でモニターしてきています。

その血液検査のPSA(前立腺特異抗原)値が、この一年ほどでじわじわと上がっているということから、3月5日、biopsy (生検)を受けました。 詳細記事

先の「日々両生」にも書きましたが、季節のせいか、それとも年齢のためか、体調が悪いというのではないのですが、くすんだ感じがぬけません。

それに、 こういうものかとも思うのですが、このごろはどうも、理数系の諸事を考えるのがおっくうなことが増えています。ことに、ウェブサイトの運営にかかわるプログラムやデータ扱いなどの作業に入ってゆくのが、なんとも面倒に感じられ、ついつい後回しにしてしまっています。

まだまだ、抽象的思考のほうはそれほどでもないと自負しているのですが、切れのよいワークの不可欠な上記のような分野は、はなはだ頼りない限りです。 詳細記事

 

ほぼ一年ぶりの当風景ですが、いまオーストラリアで、ひとつの歴史の終焉を見る思いの出来事が展開されています。それは、ある意味で、先進国のいずれの国にでも見られるものとも言え、労働者が団結力をもって達成してきたその究極の頂点であるはずの世界が、金、癒着、悪徳にまみれた堕落界に陥ろうとしているシーンです。 詳細記事

 別掲記事でも述べているように、先月、二ユージーランドの Abel Tasman 国立公園でトランピング(山歩き)をしてきました。

数年来の膝の故障からなんとか回復した後、昨年9月の日本の羽黒三山につぐ、二度目の海外遠征です。しかも今回は4泊5日というやや長丁場。二日目に足首を捻挫するアクシデントもありましたが、幸い大事にならず、翌日には自己治癒していました。まだまだ、私の身体は働いてくれそうです。

さすがに国立公園。その風光明媚さもピカイチです。百聞も“一映像”にしかず。とっておきの写真を数点、ご覧に入れましょう。 詳細記事

オーストラリアの国是のひとつが「マルチ・カルチュラル」、すなわち「多文化」であることは、もはや世界に広く知れわたっていることです。

一方、料理の世界での「マルチ・カルチュラル」は、「フュージョン」(融合)という言葉で知られ、たとえば、日本料理とフランス料理の「フュージョン」といった具合となります。

いま、私の働くレストランも、そういう意味では、一種の「フュージョン」スタイルです。ただ、日本料理とどこの料理かというと、その組合せはやや多彩で、しいて言えば、日・欧州料理(それにややアジア料理)といったところでしょうか。店長が日本の大手ホテルで修行し、また、オーストラリアでも、オージーがオーナーのレストランで経験を積んできた、そうした経歴が反映しているようです。 詳細記事

 シェフ修行再開のため、10キロの「はじり」は、せいぜい週に一回ほどしかできなくなっています。それに、調子が悪かったり、暑すぎる日は、距離を縮めたりしています。

そうなのですが、この10キロという距離が、質より量というねらいで始めたものなのに、僕にとっては、逆に、量が質に転化するというのか、独特の効用を持つものとなってきています。 詳細記事