大きな前進を実体験中

私の健康エコロジー実践法 =実遭遇編= (その11)

Day 100+44 (8月9日)

いい結果が出てきました。実にいい結果です。先に行った血液検査の結果がきょう出て、そのPSA値が、二ヶ月前の5.47から、なんと3.32へと、大幅に下っていました。

オーストラリアでは、私の年齢(60歳代)での境目値は4.5で、それ以下ならノーマルということになります。つまり、PSA値のかぎりでは、私のZGは、治癒されたということです。

当然、この結果を内心では期待していたわけですが、わずか二ヶ月で、まさかこれほど劇的に下っているとは、予想だにしていなかった、新鮮な驚きです。

ともあれ、これは私にとって、大きな、おおきな前進です。

あとは、今月20日のMRIで――その結果が解るのは9月4日午後の専門医との面会で――、臓器の実映像上でも、ZGが消えていることが確認されれば、これで私のZG問題は、一件落着ということとなります。

それにしても、玄米菜食主義が、これほど効果的とは驚異的です。そうでありながら、これほど有効なものが、どうして、医師の勧める第一の治療法とされずに、私が自分で、あたかも医師の勧めに背くように行なわねばならなかったのか。身体を傷つけることもなく、自然な治癒力を引き出すきわめて理にかなった方法が、なぜ、代替療法として、脇役におとしめられるのか。

ますます、今日の医療の在り方に、深い疑問を感じざるをえません。

身体的にも経済的にも負担が多く、危険な副作用もある全摘手術などしなくとも、本来の身体の治癒力で、確実な前進が可能であることが、ここに証明されたといえます。少なくともその一例として。

ただ、そこで思うのですが、今回の一歩前進の裏には、患者としての私の側に、大きな姿勢の変化を起こしえたからであることは確かです。

その「変化」をひとことで言えば、《他人頼りにしない》というごくごく平凡なことです。

つまり、ガンという命にかかわる重篤な病気だから、患者の側は疑問も持たず、医者に頼るのは当然とし、また医者の側も、その専門性の権威をたてにして、患者は医学に従うのが当り前とする、そういう双方の他人任せの在り方があります。私は、ここに根本的な分れ目として、それは自分の体の問題であり、自分がそういう体を作ってきたという事の核心を見落とし、事態の成否の黒白を分けていたと思います。

また、私が今回のZGとの遭遇で見出していることは、ガンも、《生活習慣病》のひとつであることです。

つまり、タバコや嗜好品や食物傾向や生活環境など、長年にわたって摂取しつづけてきた自分の身体への一連の偏りが、身体内部に、ガンの発生を促す内的環境を作ってきたということです。むろん、遺伝等の個的要素の影響もあると考えられますが、それとて、100パーセントの決定要因ではなく、遺伝はあっても、そうした生活習慣の偏りによる内的環境がなければ、発病はおこらないとは言えるわけです。

 

Day 100+46 (8月11日)

今日、ついつい頑張ってしまい、これまでの最長記録の「はじり」16㎞を更新し、一気に、20㎞をはじってしまいました。

さすがに、帰路に入って、過去の実績の16キロを過ぎた“未知体験域”に入ったあたりから、足の、ことにふくらはぎの筋肉の硬直が始まり、とうとう最後の2キロではもうメタメタで、一時止まってストレッチするのも数回となり、さらにはそれも効かずにもうはじりすらもできなくなって、やむなく歩く場面ともなりました。

記録は2時間25分27秒。まるでフルマラソン並のタイムですが、これが僕が初めてはじった20キロのタイムです。

帰宅して体重をはかったら、69.2㎏と、これまたこの数十年間では初めて、70を切って60キロ台に下がっていました。むろん水分を補給するまでの一時のものですが、ともあれ、60キロ台なんて、ハイティーン時代以来の数字です。

 

Day 100+55 (8月20日)

今日、MRI を受けました。

白い土管状の機械の中に入れられ、奇妙な機械音に包まれた30分余り。SF映画の、空間移送マシーンにかけられているかの自分を想像をしていました。

今日の限りでは、ただ検査を受けるのみです。その結果は、上記のように、来月4日の専門医との面談で明らかにされます。それまで、2週間の「俎上の鯉」。

ちなみに、三カ月前にこの検査の予約を入れた時、何かの予感がして、いくつかの空いている日程の選択から、自分の誕生日の今日にそれをぶつけました。受付嬢も、私の書類でそれに気付き、まさかいいプレゼントになればとは言わないまでも、「グッドラック」とでも言いたげな様子でした。

帰宅して一休み後、暮れなずむ空の下、雨上がりのまだ湿ったいつものコースを、10キロはじりました。タイムは上々の1時間5分36秒。結論はまだ出されていないながら、何かがこうして過ぎて行ったような、どこか爽快な気分のはじりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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