二周目人生の「スタミナ」

   私の健康エコロジー実践法 =長期戦編=(その5)

Day 170+68(11月11日)

「日常化」に入ってはや2ヶ月、いろいろな面で、非常態勢が解除されてきています。

それとともに、食の平常化も進んでいるのですが、一度、食の安全をフル点検した経験から、毎日自分の口にする食物について、そのいちいちで、それが本当に安全かどうかを再考してみることが習慣のようになってきています。

そのような点検の目を続けていると、100パーセント安全と安心して口にできるものはほとんどなく、たとえ自然栽培野菜や果物だとうたわれていても、その基準や実際どれほど信頼できるものなのか等々と、疑念は限りがありません。言い換えれば、そんな時代に暮らしているのかと、ネガティブな意味での「時代の変遷」に、改めて慨嘆させられるものがあります。

要は、自作するか信頼できる人の作ったもの以外は安心できないということとなります。しかしそれとれとても、大気や水や放射能汚染といったような環境問題には、お手上げ同然です。

そんなわけで、たいがいは毎日、自分で料理しますので、味や栄養面については満足できるのですが、そこに含まれている危険要素が「今日はどれほどだったのか」と、あたかも、評点をつけるような毎日となっています。

ショッピングのポイントなら、貯まればうれしい話ですが、こうして蓄積されてゆく“危険ポイント”については、あたかも時限爆弾を体内に育てているがごとく、おだやかならぬものがあります。どうやら現代生活とは、そういうものであるようです。

そうした中、最近、自分の職歴を転換し、自然栽培の農業に取り組み始めている話を、いくつか耳にします。

心から応援したい未来的な挑戦で、是非、成功してもらいたいと思います。

 

Day 170+74(11月17日)

「はじり」や「はじ泳」に、なんとか安定持続が回復してくると、自分の身体の状態に、一種「スタミナ」とも表現できるような、ある充実がなされてきている感じがあります。

この「スタミナ」とは、一面、「体力」といっていいものですが、それだけに終わらず、いわば心身両面にわたる、「体力・気力の充実」とも言ってよいものでしょう。

むろん、若い頃のスタミナとか体力とかは、こんなレベルではありませんでしたが、しかしその頃と確実に違っているのは、衰えながらもこうして一定の体力を維持しつつ、その他方で、若い頃には絶対になかった、人生の体験の蓄積があることです。

極端に言ってしまえば、若い頃は、スタミナ100、経験0の、“頭からっぽ”状態でしたが、今や、スタミナ50、経験50とでも言えるような、“身・頭両立”状態です。

つまり、この50-50の状態とは、「スタミナ=体力」と「経験=心的知恵」が、ほどよくバランスされている状態です。すなわち、この歳に至って、ようやくにして得られている貴重で特徴的な状態です。

ちなみに、その逆の状態、たとえば、スタミナ20、経験80といった状態も考えられます。あるいは極端に、0-100 といった状態すらあるでしょう。この最後のケースともなれば、それはいわゆる「若死に」です。アップルの創設者、スティーブ・ジョブズ氏の56歳での死などは、その典型例でしょう。

そこで、もし、この良いバランス状態が維持され、うまく働くとすると、これこそ、二周目人生が健康であることの、最大の効用、すなわち財産——物でもマネーでもない無形財産——ということではないかと思われます。スタミナというエンジンと、経験という十分な量の燃料がそろって、その結合がもたらす出力は、言ってみれば、人生の、この時だからこそ、そして、この時のみに果たしえる働きやその成果と言えましょう。

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