白紙委任

   憲法改正考(その16)

お金は、私たちが富と幸せを追求するにあたっての、価値の《白紙委任》です。

それは、その価値が、何により、どのように築かれ、何を求めているかは一切問わず、ただ、その大きさのみを数値化して扱います。その数字には、色も味も種類もなく、ただ数値的大小がすべてです。さらに、汗水たらした1,000であろうと、あぶく銭の1,000であろうと、1,000は1,000です。そこに個性なぞ一切なく、善悪すらも消え去ります。しかも、今日のような商品経済社会では、そうしたお金にたよらずには生活は不可能です。

(これほどに理不尽な価値のすり替えが可能なシステムのもとで、私は、《お金により少なく関わる》ことで、どうやらその影響減を模索してきたようです。)

そして通常、その数値化された価値は金融機関に預けられ、一定期間の運用後、回収され、当初の目的のために使用されます。

こと平和と戦争に関して言えば、そのようにして預けられた価値は、たとえどれほど平和を願って築かれた価値であろうと、それがいったんお金に変えられてしまえば、その運用において、それが戦争に使われようとも、もはや止めようもなく、まして、自分のお金がどこでどのように運用されているか、見分けるのさえ不可能です。

株投資であるなら、その投資先の選別は可能でしょう。しかし、庶民に身近な貯金の場合、それは完全に《白紙委任》です。

いずれにせよ、そうしたすり替えに他方で漬かり切っていたのでは、一人ひとりの切なる反戦の願いも、まんまとかすめ盗られてしまいます。

 

 【お断り】 この稿は、8月24-25日の間、手違いにより未掲載となっていました。

 

 

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