『天皇の陰謀』の参考図書化

  憲法改正考(その17)

本ブログで訳読・フリー出版した『天皇の陰謀』が、参考図書として定着してきている様子がうかがえます。

このところ毎年、8月の終戦記念シーズンが近づくと、そのページへのヒット数が増加して、一年のうちのピークを示すのがつねでした。

そしてその訪問者については、当初、私前後の年齢層が主体ではないかと予想していました。ところが、その経由デバイスを見ると、パソコンよりスマホからのヒット数がはるかに多く、むしろ若い人たちに関心を持たれていることが推定されます。

それに確かに、グーグル・アナリシスの年齢分布を参照しても、当ブログ全体での傾向ですが、50歳以上は4割弱で、それ以下が6割を越えています。

そしてどうやら、そうした訪問者は、天皇制に批判的な人たちが中心というより、右も左も、老いも若きも、そして最近は海外からの訪問も少なくなく、そういう意味で、本訳読書が、一種の参考図書として広く認められてきていると言えそうです。

10年前、私がこの訳読作業に取り掛かった時の意識は、この質と量の両面にわたって「重たい」本の訳読を、果たして完了しえるかどうかにあり、こうした展開なぞ思いもよりませんでした。

そこでは、その完成時、国粋主義者らからの脅迫への心配ぐらいがせいぜいで、今日のような広範な読者層が生まれてくるといった建設的な見通しは、まったくの“想定”外のことでした。

むしろ、今日の訪問者や読者は、その幅広い構成から見て、書物の主張や色合いを求めているというより、正確な事実としての情報を求めており、それがゆえでの本書へのアプローチや選択であるように思われます。

そのような関連では、ともに完読するのはしんどい作業なのですが、方や、今年の8・15を前に終了した『週刊金曜日』連載の辺見庸の「1★9★3★7」を、日本人の主観と情緒を鋭くえぐる関連文献とすれば、他方、『天皇の陰謀』は、その事実関係の客観性を可能な限り追究した関連文書と言え、それがゆえの参考図書としての定着かと思われます。

さらには、日本の「憲法改正」問題も、単に「護憲」か否かといった、あたかも二者択一式に単線化された次元を克服し、その根底にひそむ、より見落とされ、隠蔽されていた本質に、少しずつでも踏み込まれてきているのではないかと判断します。

「ブロぐり合うのも何かの縁」にも書きましたように、9月16日(安保法案参院議論の山場日)は、当ブログへの訪問者は、普段の日の6倍、7倍にも達し、その翌日は、十数倍にもなりました。そしてそのほとんどが、「天皇の陰謀」のページへの訪問者です。例年なら、8・15を過ぎれば下火となる傾向が、今年は大いに違って、9月にまでも熱々と燃え続けています。

目論見どおり、法案は通りましたが、日本は確かに、変わり始めているように、遠方からながら観測されます。これからが期待されます。

 

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