こんな宝物が他にあるだろうか

  私の健康エコロジー実践法 =長期戦編=その27

Day 170+438(11月16日)

こんどのヒマラヤ行きでは、特別な経験と出会えたことについてはすでにふれました。そしてその後も、ヒマラヤの山の写真を自分のPCの背景に入れるなどして、毎日のように、それも日に幾度も、繰り返しその貴重な体験を反すうしています。

そこでなのですが、そう繰り返して噛みしめれば噛みしめるほど、これまでにも幾度も述べていることなのですが、《健康であるということ》が、ますますに、最高の宝物をえていることなのだということに、じつにしみじみと思い至ってきています。

言うまでもなく、《健康がゆえ》ヒマラヤのあの5千メートル高地に達することができました。さらに言えば、《健康がゆえ》毎週、何の苦もなく――むしろ楽しみすらともなって――店に出て働いています。《健康がゆえ》、家族のみならず、人に愛情をもって接することができています。もちろん、《健康がゆえ》毎日食べるものがおいしく、便通も眠りもよく、快適な日々をおくることができています。さらには、《健康がゆえ》意欲も衰えることがなく、既述のように、70歳記念の6千メートル峰登山などすら“マジに”計画しています。

つまり、《健康》という、これ以上の財産がほかにあるのだろうか、との気持ちでいっぱいなのです。

もちろん、誰にもその危険があるように、予期せぬ不幸はやってくるものです。しかしです。健康という頼める自らがあれば、それもなんとか踏ん張っていけるだろうと、楽観的になれるのです。(以前は、そういう時の頼りは、やはりお金かなと考えさせられてもいました。しかし、今に至っては、どういうわけか、そうした心配をしているより、健康を味方につけることのほうが、ずっと頼もしく、正解に思えるのです。)

こんな値打ちに、ようやくにして、気付いている次第です。

追記します。健康に銀行はいりません。自分の内に、あるだけを蓄えておくことが可能です。それに、使っても減らないどころか、使わないと減ります。

 

Day 170+441(11月19日)

太陽凝視を続けています。ひとことで言って、プラスの効用が確かにあるからです。

ただ、その科学的因果関係が確かなものであるかどうかに関しては、それは別の問題です。そうした論証問題については、その道の専門家にやってもらうしかありません。私の意見は、あくまでも、自分の体験にもとづく、主観的見地です。

そういう“自己満足的”である限りの意見ですが、そうしたプラスの効用とは、「心的なエネルギー注入」とでも表現できる効果です。前にも書きましたが、気持ちが寛容になるとでも言えるような、精神的容量が質・量両面で、広がる効果です。それこそ、あらゆる面にわたってポジティブ発想でいられます。言い換えれば、視野が広がるとも言ってよいでしょう。私のように、独りよがりでひねくれた見方の強い人間には、バランスからいっても極めて歓迎できる効用です。

他の人にも同様な効用があるかどうかは知りません。体験者がいらっしゃるなら、その経験をお聞きしたいとも思います。

ともあれ、いまのところ私の場合は、自分でも信じがたいほどに有効です。

 

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