認知症“シミュレーション”

   ≪メタ健康≫ダイアリー=皮切り編=(その3)

Day 170+646(6月11日)

ここのところ、はっきりと自覚させられ始めていることなのですが、聞き取り力がとみに低下してきていると感じています。それは、日本語の場合はまださほどではないと踏んでいるのですが、英語の場合それは明らかで、本人にしてみればなかなか深刻です。

耳が遠くなっているのではなく、聞こえてはいるのですが、意味として入ってこないのです。それも、さほど難しいやり取りをしている場でもない時にでもです。なんだか、英語の初心者時代に舞い戻って行っているかのようです。

日本語でもそれが同じ程度に起こり始めれば、それはもう、疑いの余地なしの≪認知症≫状態です。

それを、二つの言語をめぐる認知症の進行度として比較すれば、その程度の差はひとつのシミュレーションを見るかのようです。何年かの差をもって、英語上でおこっていることが日本語上にもおこってくるのかと、ひとしきりな覚悟すら呼び起こされる体験です。

思い起こせば、英語の習得は、中年になってからの、まったくの“付け刃”のそれでした。したがって、それが早くも“刃こぼれ”してゆくのは致し方ないと納得できなくもありません。しかし、日本語となるとそうとは行かず、英語ほど悠長に構えていられるものではありません。

はたして、日本語上に同程度の深刻さが起こってくるのは、実際には何年後のことなのでしょう。10年? 15年? それとも、もっと早く?

 

Day 170+650(6月15日)

ここのところ、宴食の機会が重なって、体重が80㎏の大台に迫ってしまっていました。そこで今日は、天気も穏やかな秋の日で、一挙の挽回を託して、久々の10キロはじりに挑んでみました。

ところが、いざはじり始めると、案の定、足は重いし、呼吸は喉が痛いほど苦しく、どうにもなりません。そこで、ほとんど歩きに近いはじりまでペースを落し、我慢の1キロ半ほどをなんとかこなしました。するとどうでしょう。体が暖まってきたのか、ほんのり汗ばんでくるとともに、しだいに足が“回転”しはじめて距離をこなせ、呼吸もがぜん楽になり始めました。そして、折り返しをするころには、不思議なほどに快調となり、呼吸もまるで歩いている時と変わらないような軽さとなりました。膝の痛みも全くあらわれず、最後で左のふくらはぎがしこる程度で、なんなく完走できました。

終わってみると、タイムは1時間24分44秒、今日のコースは正確には10.5キロですので、キロ当たりは8分ほどとなります。まさにはじりそのもので、さすが、これくらいの「質より量」ペースにしますと、呼吸もまったく普通で、足の筋肉がもつなら、いくらでもはじれそうな感じです。

そして、出発点の公園にもどってクールダウンのストレッチをしていると、太陽がちょうど沈もうとしています。太陽凝視には最適のタイミングです。沈みゆく柔らかに輝く太陽を見つめていると、何か大切なものを受け取っている気分となりました。またこの気分のことを、別掲載記事では、「共振」と呼んでいます。

 

Day 170+655(6月20日)

再度、10.5キロをはじりました。今日のタイムは1時間20分36秒。先週より4分ほど短縮。4分といえば5パーセントほどの改善。ほんのそれほどの短縮ながら、体感は全然違います。呼吸は苦しさの一歩手前。キロ当たりにすると7分40秒。3月に求めた昨年平均の7分32秒に比べ、やや遅めながら平均的。曇天で太陽凝視はおあずけ。

 

Day 170+656(6月21日)

今日(オーストラリアでは冬至)、風はやや強いもののまずまずの天気。火曜定例の泳ぎの日です。ただ、昨日の疲れが残っていて、足の筋肉がつり気味で、500メートルで切り上げました。

 

 

 

 

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