カナダ・アメリカ旅行の開始

  私の健康エコロジー実践法 =長期戦編=第2期 その6

Day 170+748(9月21日)

1:00 pmのカンタス007便でダラス・フォートワース空港へ向け出発

 

以下は、アメリカの現地日付で記録します。

 

9月21日(1日目)

シドニーからダラスを経由し、飛行時間だけで計ほぼ20時間を要して、カナダのカルガリーに到着。すでに先に来ているTと合流。

9月22日(2日目)

昼、日本からの一行を出迎え。旧友夫妻たちとのカナダ旅行の開始。

夕刻、バンフのスキーロッジ風ホテルに到着。

9月23日(3日目)

終日、ヨーホー国立公園の観光。

モレーンレイク、レイクルイーズと、もし、他に誰も人がいなかったら実にいいところだろうが、世界からの、ことに中国人の観光客でごったがえしており、その魅力が台無しにされている感があった。むろん私たちもその観光客の一員なのだが、そこが観光地のジレンマ。

だが、カナダロッキーのスケールの大きさは、筆舌に尽くし難い。やはりこの味を自分のものとするには、そこに長期に滞在し、ひとつひとつの山々に接してみるしかないだろう。自然の横暴にも脅かせられながら。つまり、脱観光。

9月24日(4日目)

早朝に訪れたボウレイクは、まだどの観光客も来ておらず、絶好のシャッターチャンスをねらうプロのカメラマン数人以外に人影はない。その静まりきった清冽なたたずまいは、これぞカナダロッキーの核心の味わいの感を深くする。

続いて訪れたペイトレイクを遠望する展望台からの一望には息をのんだ。その奥行きのある大規模な氷河渓谷の光景は言葉には尽くせない。そこで別掲のレポートには、立体写真を掲載してその一抹でも表現しようと工夫。

その後のコロンビア大雪原にある氷河を訪れる地は、ある種の自然の危険と観光ビジネスの妥協の産物で、山好きの者には、ある痛々しさを感じさせられる。

9月25日(5日目)

ボートで一巡りするマリーンレイクは、氷河の創り出した渓谷に水を湛えたもので、奥に長い。レイクの両側にはいくつもの現存する氷河が迫り、観光地を越える迫力がある。熊に襲われる危険をおかしても、自分のカヌーで湖畔に陣取り、キャンプをしている人たちの姿も遠望できる。そんなもっとワイルドな体験への魅惑に刺激される。

午後2時半発(実際はほぼ2時間遅れて出発)のカナダVIAレイル1号列車で、バンクーバーに向かう。約20時間のこの鉄道の旅は、今回のカナダ旅行の一つのハイライトでもある。一行中のO君は足にハンディキャップがあり、夫妻で寝台車に、他の3組のカップルはエコノミー車に乗車。

9月26日(6日目)

午前11時、列車はバンクーバーに到着。

午後は、地元のマーケットで天然ものサーモンを一匹購入、キッチン付きの宿にもどってそれをさばいて刺身に(私はこのために自分の刺身や出刃包丁を持参)。この日の夕は、舌でカナダを味わうちょっとした宴会に。

9月27日(7日目)

レンタルした8人乗りのフォードのワゴン車をH君が運転して、周辺観光の開始。

フェリーで車ごと対岸のバンクーバー島に渡る。

島内では、ブッチャード・ガーデンを訪問。ここはまるで花の楽園で、観光客は多いものの、色とりどりの花々はなかなかの見もの。園内のレストランの昼食も、天然光を取り入れた開放された店内で楽しむ。

9月28日(8日目)

朝、市内にあるキャピラノ森林公園を訪れ、長いつり橋を体験。O君も奥さんと手と取り合って渡り切る。

レンターカーを返した後、市内を徒歩で観光。

昼食は、市内の有名中華レストランで飲茶を楽しむ。

旅行費用が予算より安く収まったため、一行は予定以上のお土産ショッピングを満喫。

夕食は、市内の有名寿司レストランでパーティー寿司セットを仕入れ、ホテルにもどって、再度のそして最後の宴会。

9月29日(9日目)

旅日程最終日。タクシーで空港へ向かい、6人は日本に向け、私とT(今回の旅行の企画・実行功労者)の二人はサンフランシスコに向け、それぞれに出発。

 

        ――――――――――――――――

 

これより、私の初めてのアメリカの旅の報告です。

 

サンフランシスコ〔SF〕の下町の安宿に到着。

予想はしていたものの、ホームレスの人たちの多さに改めて驚かされました。

かくしてアメリカ訪問の第一印象は、「富める大国の崩壊の一端」を見る思いで始まりました。

9月30日(10日目)

この日は、私が訳読中のエソテリック二部作の著者ブラッド・オルセン氏に会う日です。私たちはホテルから、およそ4キロの坂道の多い市内を徒歩で、氏の待つレストランに向かいました。

ブラッドは、聞けば206センチという長身で、祖先はスカンジナビアの出と知って納得しました。氏はその後の予定もあって、1時間少々の面会でした。

ただ私は、最近の傾向ですが、英語での会話がますますと不自由になってきており、この場でも、そのフラストレーションを十分に味あわされてしまいました。

それでも、わざわざ彼に会いに行ったのは、いい体験となりました。

その後は、相変わらずに徒歩で、まず、面会地点からさほと遠くない金門橋へと向かい、そしてぐるっと半島をまわって市内へともどってきました。合計すると、一日の徒歩延長は20キロほどにもなりました。さすがにへとへとになりました。

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面会したブラッドは206㎝の“巨人”で、隣の私が小さく見える。

10月1日(11日目)

この日も、徒歩で市内を散策しました。ともあれ、坂で有名な市内ですから、ケーブルカーを使わないでその急坂道を上るのはちょっとした“登山”です。

そうしたこの日だったのですが、二つのショッキングな光景を目撃することとなりました。

その一つは、街の繁華街のあるバンケット式のテイクアウト店での昼食時、屋外の舗道にあるテーブルでそれを食べていた時でした。一人のホームレスとおぼしき黒人女性が、つい立ての向こうから、私たちの食事をじっと見ているのです。そして、私たちが食べ終わると、今度は店の脇のごみ箱をあさって捨てられた残り物をさがし、空き瓶や缶がみつかれば残りがないかと口にし、あげくのはてに、店の中に入っていって、ただの水を紙コップについて飲んでいます。そうした光景を目の当たりにすると、こちらの食事も食べた気にならず、いやな思いというより、深刻な気分にさせられました。また、地元の人らしい人たちは、そうした光景に接しても、もう慣れっこなのでしょうが、なにも気になどしていない様子でした。

その二つ目は、夕方、そろそろ宿へもどろうと繁華街を歩いていた時でした。高級な服装店から、若い黒人女性が、片手に衣類をもって飛び出してきて、道路をわたって走り去って行きました。あその顔には薄笑いを浮かべ、その行為を楽しんでもいるようにも見受けられます。そしてそのあとを、やはり若い黒人男性が手にした衣類を制止しようとするガードマンの前で捨て去り、ガードマンがそれに気を取られているすきに、先の女性をかばうように、反対方向へ走り去ってゆきました。明らかに、計画的にもくろんだ、かっぱらい行為の一シーンでした。

アメリカ初日につづくこうした追体験は、私のアメリカの初印象の特徴をますます強めるものとなり、この国の向かっている方向がいれずなのか、その異様さを予感させるものとなっています。

この夜、夜行バスでSFを発ってロスアンゼルスに向かいました。

10月2日(12日目)

ロスアンゼルス〔LA〕の宿は、市の北西の住宅地にある沖縄人のご夫婦(と見うける)が営んでいる、これもお手頃な宿です。

この宿は、いったん泊まってみると、予想に反して、なんとも居心地のよい宿なのです。おんぼろのアパートながら、スペースも充分な部屋が提供され、なんだか、どこか遠い昔、自分が住んだことのある家とでも思えてくる、不思議な雰囲気の宿なのです。

そうしたこの宿をアメリカの“ベースキャンプ”に、防寒着などカナダ旅行用の荷物をここにあずけ、これからの5週間のアメリカ、メキシコ旅行に出かけました。

10月3日(13日目)

全日、この居心地満点な宿で休養。

この宿には20ほどの部屋があるのですが、興味深いことに、そこに、何人かの、ほぼ私くらいかやや若い年恰好の、みな男性ですが、なんともいわく因縁のありそうな人たちが住みこんでいます。

どうやら、私たちの世代が二十台の頃、いわゆる「世界無銭旅行」の流行りましたが、そのころ以降、「日本脱出」の野心に燃えて日本を飛び出した若者たちが、その後の波乱の生き方をして、その果てに、もはや日本には帰れず、この宿にたどりついたといったような風で、そんなためか、どこか寡黙な生活をしているのです。

そんな、旅を自分の人生のモチーフとする人たちにとって、「たまり場」と言っては失礼になりますが、少なくとも、「やどり木」にはなっている場なのです。

10月4日(14日目)

そうした「やどり木」宿を後にして、午前11時のバスでラスベガスへ。

道中、車窓からみえる風景は、しだいしだいに、まるで火星表面を思わせるような、赤茶けた乾燥した荒れ野へと変化し、それがどこまでも続いています。

そんな、砂漠のど真ん中に築かれたのが、この人工の街、「ベガス」です。

街には、「たかがギャンブルのために」と私には受け止められるのですが、どうしてこんなに巨大な施設が軒並みにならぶ必要があるのかと思わせられる、なんとも大規模で奇抜な建物が続いています。

ただ、街の中には、工事が途中で停止されたビルや、広大な敷地が空き地のまま、その裸体をさらしています。聞けば、2008年の世界不況以来、業績がふるわずに店をたたんだカジノが、解体されて空き地となったり、工事にとりかかったものの途中での撤退を強いられたからのようです。

ともあれ、このベガスという街は、アメリカの貪欲さの一方、その創意工夫とエネルギーを噴出している街ともうかがわれ、アメリカ人メンタリティーのある一種の神髄を見る思いがします。

10月5日(15日目)

ラスベガスを見物後、夕方、レンターカーを借り、一週間の車の旅に出発。

途中で仮眠をとりつつも夜通しで、真っ暗な道を運転、UFOのメッカの町、レイチェルへ向かう。

10月6日(16日目)

早朝、州道93号線の分岐点アッシュ・スプリングスで一休み。そこには、「EXTRATERRESTRIAL HIGH WAY」の掲示(別掲記事参照)が見られます。

さらに進むと、道脇に、ETの姿の人形やら掲示がめだつようになり、いよいよ現地にやってきたの気分が高まります。

上述のように、ベガスを出て以降、乾燥地帯に入るにつけ、地形がまるで火星表面のような光景に印象づけられてきました。それが、さらに先に進むにつれて、膨大な広さの乾燥盆地に幾度も出会うこととなり、そこにまさに定規で線を引いたような、直線道路が先に延び、その長さは10キロ以上にもなります。そうした地形に、これが秘密を守るもう一つの“秘密”であるのだなと覚らされます。つまり、周囲の山脈が遮蔽壁の役を果たしているのです。

そして、午前8時前、目的地レイチェルの小さなモーテル「リトル・エイリアン・イン」に到着。まだ店は開いておらず、その間、その数件しか家のない“町”を一巡り。

店内に入ると、UFOやETゆかりの品々の「充満」にびっくり。ついにやってきたとの高揚感にさえさらされます。

店内のバーの天井には、世界からの訪問者の紙幣がサイン入りでぶら下げられています。もちろん、UFOやETをあしらった様々なおみやげ品も多種陳列されています。

そうして朝食もすませ、「エリア51」に最接近できるポイントまでの道を確認して、いよいよ、「検分」に入ってゆきました。

店を出ると、真っ青な空には、幾筋もの、しかも互いに曲がりくねった飛行機雲が描かれています。そして、突然に、「バーン」といった爆発音のようなものが聞こえてきます。つまり、その飛行機雲は、高空で展開されている戦闘機飛行のものらしく、その爆発音とは、地上にとどいた衝撃波の音のようです。

教えられた道は、ほとんどが乾燥地にまっすぐに伸びる砂利道で、その通過が巻きあげるほこりは、どんな遠くからも見とおせ、すでに先をゆくそれが見えます。

やがて、ようやくに到達した「エリア51」との境界線は、しっかりとしたゲートで閉鎖され、そこにかかげられた看板には、「立入禁止」「違反者には罰金」はおろか、「致死的強制手段の執行も辞さず」との文字が読めます。そして、遠方の丘の上には一台の車が見え、どうやら、私たちを監視しているようです。また、周囲の幾本もの柱の先には、いずれも、監視カメラらしきものも見られます。

そして関心させられたのは、今までの長い砂利道が、そのゲートの先からは立派な舗装道路となっているのです。つまり、そこまでの道が舗装されていないのは意図的で、その通過の際に避けられない巻き上げるほこりが、接近者を容易に発見できる警告になるためのであるようなのです。

このように、その一帯は、途方もなく膨大な広さにも拘わらず、異様な緊張感の漂う地域となっています。

この夜通しの走行距離は、523マイル(834キロ)

 

以下、現地で撮影してきた写真を数点、掲載します。

 

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広大な乾燥盆地に一直線に伸びる道路。左手の集落がレイチェルの町。空には戦闘機による飛行機雲。

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店内のバーの天井には、おびただしい数の訪問者が記念に残した紙幣が。

掲示されているETの写真

撮影可能な地点から遠望したエリア51へのゲート。柱の上には監視カメラが。遠くの山々の向こう側が「エリア51」の地帯。

澄み渡った青空に描かれた飛行機雲。最新戦闘機による「ドックファイト」」訓練でもしているのだろうか。ちなみに、雲が描かれてゆく速さは、あきらかにジェット旅客機のその比ではない。

澄み渡った青空に描かれたいく筋もの飛行機雲。最新戦闘機による「ドックファイト」」訓練でもしているのだろうか。ちなみに、雲が描かれてゆく速さは、あきらかにジェット旅客機のその比ではない。

州道375号から「エリア51」地帯への進入路への分岐点にある、いわゆる「黒いメールボックス」。人々のメモや品々が残されている。

「異星人街道」と呼ばれる州道375号線から「エリア51」地帯への進入路への分岐点にある、いわゆる「黒いメールボックス」。人々のメモや落書きや品々が残されている。

 


 

   この1ヶ月間のエクササイズ・ログ

09月07日(水) はじり 12.0km  1時間35分41秒 75.4kg 

09月08日(木) 自・電車通勤 自転車走行     8km

09月09日(金) 同 自転車走行          8km

09月10日(土) 同 自転車走行          8km

09月11日(日) なし 10:45am

09月12日(月) はじり 12.0km  1時間35分52秒 74.6kg 

09月13日(火) なし

09月14日(水) 歯科医、ミーティング

        水泳   1500m   38分40秒  77.6kg

09月15日(木) 自・電車通勤 自転車走行     8km

09月16日(金) 同 自転車走行          8km

09月17日(土) 同 自転車走行          8km

09日18日(日) なし

09月19日(月) はじり 10km    1時間18分16秒       74.8kg 

09月20日(火) なし

09月21日(水) 1:00pm発カンタス007便

【以下、現地日時】

        1:35pm Dallas-Fortwarth着

        5:50pm  同     発

        8:38pm Calgary 着

09月22日(木) 10:45 am着の日本からの一行を出迎え

09月23日(金) ヨーホー国立公園

        モレーンレイク、レイクルイーズ、

09月24日(土) ヨーホー国立公園

        ボウレイク

        コロンビア大雪原

        Jasper へ移動

09月25日(日) マリーンレイク

        VIAレイル1号列車で4:00pm Jasper 発

09月26日(月) 11:00am Vancouver 着

09月27日(火) ビクトリア島観光

09月28日(水) バンクーバー観光

09月29日(木) 一行は1:25pm 発エアーカナダ便で帰国

          3:56pm 発  サンフランシスコ着6:21pm

09月30日(金) サンフランシスコ

10月01日(土) 10:30pm発、夜行バス 

10月02日(日) 6:00am ロスアンゼルス着

10月03日(月) ロスアンゼルス

10月04日(火) ロスアンゼルス 11:00発

         バスでラスベガス着4:30pm

10月05日(水) ベガス見物。夕方レンターカーを借り、出発。

10月06日(木) 朝、レイチェルに到着。エリア51地帯の実地検分。

 

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