自分でも驚きの包丁研ぎ

  修行風景=穴埋め働き編=その5

私がこの寿司シェフ業を曲がりにも務めながら、ひとつ、我が事ながら、自分でも感心させられていることがあります。それは、週三日の仕事が終わった非番の時、自分の包丁を研がなければ、どうにも気持ちが落ち着かないのです。私はけっこういい加減なところがあるのですが、この潔癖さには、自分でも驚かされているのです。

子供のころから、刃物研ぎは好きだったようで、家庭でも、母親の使っている包丁を研いでみせて、重宝がられたものでした。

道具というのは正直なもので、丁寧に手入れをするのとしないのとでは、その使いよさはまるで違います。それに仕事の出来具合も雲泥の差となります。

週一回、切れ味の落ちた包丁を自宅に持ち帰って研ぎます。その作業をしながら、指先で刃の鋭さの回復を感じるのは、一種の快感に近いものがあります。

おそらく、もっとも納得できるほどに研ぎあがったその刃先は、鋼の分子が一列だけ整列したミクロンの世界でしょう。

その微妙なザリザリ具合を指先の指紋上で感じる味わいは、これこそ職人のみの知る世界でしょう。

その研ぎあがった柳葉包丁で、たとえば巻物を切ったとします。すると、その切り口はスパッとした面をなし、そこには米の粒々の一つひとつ異なった断面が見られ、それは精緻できりっとした世界です。そしてだからこそそれが、いかにも旨そうに見えるのです。

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