「地の利」と「打たれ強さ」の《親身現実主義》

 憲法改正考(その26)

最近の世界情勢を見ていると、世界は、まるで思春期に舞い戻ったかのようだ。

もっと大人かと思っていたが、意外に若かった。

隣の半島では、若干33歳の絵にかいたような独裁者が、少なくとも、地球の東半分を我が物顔でかき回している。

太平洋の向こうでは、世界の冠たる覇権国のはずの超大国が、オレオレ主義に転じて、既存の世界秩序を根底から揺さぶっている。

ヨーロッパでは、未来の世界モデルになるやとも見られてきたEUが、英国の「オレ抜けた」をきっかけに、一斉に、自分事情を前面に打ち出しはじめた各メンバー国の内向き主義の続出に、もろくも崩壊の瀬戸際にさらされている。

ここオーストラリアはどうか。

つねに一周遅れのトップランナーかの風采を見せてきたこの国は、そういう世界情勢にあっても、ずれた我が世の春を楽しんでいて、どこか能天気になんとかその伝統の政治環境を維持している。

日本と言えば、突然の殿のご乱心に遭遇し、慌ててその気の取り直しに奔走しているその様は、能天気というより、もはや、物乞いか小商人の小賢しさに見えて、正視がつらい。

躍動の途に就いたアジアの巨大人口は、この先、確実に、世界の動きを左右する。

日本は、地勢的にも歴史的にも、そうしたアジアの一国であることに立ち帰り、かく妙にメロメロし始めた西洋世界をしり目に、片やその地の利を生かし、他方、度々の災害に遭っても「打たれ強い」、そうした《親身現実主義》に徹すべきではないか。

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