クモ膜下出血から生還して

自己健康エコロジー=切迫編=その1

Day 170+1,108(9月23日〈土〉

今日、店でどうにも左足に力が入らず、最後にはしゃがみこんでしまい、へたり込む始末でした。さすがに店のみんなが心配してくれて、自転車は後部席に積み、車で自宅まで送ってもらいました。何かが変なのです。

(8月20日の僕の71歳の誕生日に発生した自転車転倒事故を参照)

 

Day 170+1,109(9月24日〈日〉

家事労働をなんとか片づけたものの、体のしんどさは抜けません。

ウエブサイトの医学情報に当たると、どうもひと月前の自転車転倒事故に絡んでいるのは確かなようです。そこで、頭の外傷による影響となるとえら事です。すでに夜十時をまわっていましたが、タクシーで地区の公立病院の救急に駆け付けました。ひと月前の頭部強打を告げると、大勢の救急患者がいるにも拘わらず、待ち時間なしで脳スキャンを受けさせてもらえました。その結果、脳内の二か所で、出血していることが判明したした次第です。もう夜中をまわっているころでした。

かくして、明日午後に出発するはずのヒマラヤ旅行は全く不可能となり、同行する友人に連絡して、全日程をキャンセルしてもらうよう依頼しました。

以下に述べるように、脳の外傷は僕の人生を大きく変えました。そこで、これまでのサブタイトル、『私の健康エコロジー実践法 =長期戦編=』を改め、緊迫の目盛りをひとつ進めて『自己健康エコロジー=切迫編=』とすることにしました。それとともに、前立腺ガン発症以来の日数をまとめ、それに加えて、このあらたな「若気の至り」のカウントを加算してゆきます。

 

 Day 1,280+0(9月25日〈月〉)

この病院では脳手術はできず、大きな病院(コンコルド病院)に移り、手術を受けることになりましたが、ベッドが空いておらず、終日待たされる。

 

Day 1,280+1(9月26日〈火〉)

まだベッドが空かず、さらにもう一日待たされる。

夜になると、今度は右手に麻痺が拡大している。ただごとではありません。

夜中、悶々と眠れない中、本来はインド旅行用にと買い込んだ――病院の待ち時間の暇つぶし用に持参していた――広瀬隆の『文明開化は長崎から』をひも解く。

当時のページには、苦難の読書痕が・・・

入院前にイントロ部分には手をつけていたものの、この上下二巻しかも二段組みの本はあまりにもぼう大で、読み通せるか見通しがつかない。加えてページをくるにも手が思うように動かず、いっそう落ち込まされる。傍線を引こうにも必要箇所にペンをもってゆくだけでも困難この上ない。長い、長い、夜。

 

Day 1,280+2(9月27日〈水〉)

午後になって、コンコルド病院に救急車で移送され、すぐに手術。頭蓋骨の左右二か所に小さい穴をあけ、脳内にたまった出血を抜く。

夜になると、右半身がほとんど麻痺して、立つことも、手を使うこともできず、トイレにもゆけず。筋肉に力はあるのだが、コーディネーションがうまくゆかない。このまま、生涯介護生活を強いられるのかと大きな不安がよぎる。食事も左手がなんとか使えるのみで、右手はほとんど役立たず。小便は尿道に入れたパイプを通じて垂れ流し、大便もおむつ生活に。

 

Day 1,280+3(9月28日〈木〉)

主治医から手術結果を説明される。出血は抜いてはあるがまだ止まっておらず、経過を見る必要がある。もし出血が止まっていない場合、再手術の場合もあるとのこと。今後の見通しは、この数日にかかっているとの説明。

右半身の麻痺、つまり左脳での出血の圧力の影響なのだが、即座には改善せず。三度の食事の不自由、便秘、尿の処置、シャワーは看護師二人掛かり。この生活が残りの生涯続くのかとは考えたくもない。むしろ、気分転換以上に読書に専念し、著者の意向を汲み取ろうと努力。確かにこの作品は著者の40年来の結晶で、ものすごい詳細ながら、強い説得力を感じる。

 

Day 1,280+4(9月29日〈金〉)

再度脳スキャンして、脳内の出血具合を見る。まだ出血はあるもののほとんど止まっているとの説明。左脳の圧迫具合の経過見。

 

Day 1,280+5(9月30日〈土〉)

朝起きると、右手の動きが少々改善している。底は脱した様子である。

読書のページぐりなど、手の動きが楽になりはじめたと主治医に告げる。それを聞いて彼は再手術の必要はなくなったと診断。

遅々ながら進めている読書は、望みの印となっている。自分の自尊心の意味でも、新たな歴史的知識を得る意味でも。

 

Day 1,280+6(10月1日〈日〉)

これまで、頭の傷口からぶら下がっていた脳内液体のドレイン袋が取り去られ、傷口を縫合。左右各9針。右足の麻痺の改善が見られ始める。

 

Day 1,280+7(10月2日〈月〉)

スタンディング装置を用いて、自力で立ち上がりトイレに。

 

Day 1,280+8(10月3日〈火〉)

再度、脳スキャン。スタンディング装置なしでも、自力で立ち上がれるようになる。まだ、看護師のサポートは必要。

 

Day 1,280+9(10月4日〈水〉)

リハビリ開始。下肢のトレーニング、病院の廊下の歩行(看護師付き)。

 

Day 1,280+10(10月5日〈木〉)

歩行さらに改善、ほとんど看護師のサポートなしで、廊下を行ったり来たり。

 

Day 1,280+11(10月6日〈金〉)

それまで、脳内部から常に聞こえていた液体音がしなくなる(時々のぶり返しはあるが)。医師によると、そうした液体は次第に脳内に吸収されるとのこと。

一方、自分の症例に関連し、詳しい最新の医学レポートを提供してくれるよう医師に要望。

 

Day 1,280+12(10月7日〈土〉)

受け取った医学レポートによると、私のケースはクモ膜下出血であったことが判明。ただ、その重症度のスケール(Glasgow Coma Scale)は最もマイナーなもので、この先、事故や転倒に会ったりしない限り再発の可能性はほとんどなく(数パーセント)、命を脅かす危険は極めて少ないとの記述。

私のケースでは、激烈な頭痛もなく、風邪と間違う程度。他にも神経学的症状(感覚の鈍りや瞳孔反応差異)もなく、スケール上では、健常者と変わらぬものであった。ただし、自分で自分の脳に傷を負わせた点は決定的な差。

同居人のTが欧州旅行を短縮して帰国。一緒に6階の病室を出て、病棟外の屋外を散策。二週間ぶりのフレッシュ・エアー。

 

Day 1,280+13(10月8日〈日〉)

Tと病院近辺の公園を1時間半ほど散策。

散策がてら、介護生活がほぼ回避できそうなことに、安堵と幸運を確認。むろん脳に自ら傷を負わせて、それだけ軽率をいましめ、より安全重視を心がけることが必至となったが、反面、今後の人生に選択を意欲的にめざそうと意志一致。

 

Day 1,280+14(10月9日〈月〉)

リハビリの身体障害担当者による達成度テストがあり、身体的範囲での課題はすべてクリア―。

午後、Tと二人で病院付近の公園を散策。

 

Day 1,280+15(10月10日〈火〉)

朝、主任医師(新任)と副主任医師の回診。まだ脳内では出血が完全に止まっていない恐れがあり、午後のスキャンで最終的に判断。この先最低6週間は経過観察期間とし、激しい運動(走り、水泳、山登り、自転車乗り等)は禁止。

午前、リハビリのメモリー障害担当者から、今後(退院後も含む)への取り組みの説明を受ける。

午後、スキャン検査。微細な出血はあるが、経過は良好。二週間後に通院で経過判断。

夕方、退院。

 

二週間を過ごした病室からの風景。中央奥にハーバーブリッジが遠望できる。

 


 

          この1ヶ月間のエクササイズ・ログ

9月07日(木) 自・電車通勤 自転車走行     8km

9月08日(金) 同 自転車走行          8km 

9月09日(土) 同 自転車走行          8km

9月10日(日) サイクリング 25km  1時間40分       

9月11日(月) はじり 8km  1時間06分25秒      79.2kg

9月12日(火) 水泳  1200m 33分23秒  78.4kg

9月13日(水) 水泳  1000m 27分38秒  79.4kg

9月14日(木) 自・電車通勤 自転車走行     8km

9月15日(金) 同 自転車走行          8km

9月16日(土) 同 自転車走行          8km 

9月17日(日)  はじり 8km  1時間06分48秒      78.4kg        

9日18日(月) 水泳  1200m 32分32秒  78.4kg

9月19日(火) 水泳  1000m 27分38秒  79.4kg

9月20日(水) はじり 8km  1時間04分39秒      78.2kg

9月21日(木) ミーティング 電車通勤 

9月22日(金) 同 自転車走行          8km    

9月23日(土) 同 自転車走行          4km

        帰りは車で送ってもらう 

9月24日(日) 夜より入院    

         入院中

10月10日(火) 夕方に退院

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