「修行風景」から「多世代協働」へ

  多世代協働 提起編(その1)

これまでの『修行風景』では、昔なら「六十の手習い」とされるこころみを、「六十の“新職”」の視点から、その初体験、一定の定着、そして中堅化、あるいは穴埋め働きへと、その経緯をやや距離をとった姿勢で、「写生」風に描いてきました。

それはそもそも、私が還暦を迎えるにあたって、自分の「ボケ防止プロジェクト」として始めた寿司修行体験にかかわる一連の体験談でした。その私もこの8月で72となって新たな年男の番が巡ってきています。そしてこの12年間の「ポスト還暦働き経験」に関しても、あらたな「風景」に達しつつあるとの感慨を持ち始めています。

そこで新たに表記のような「多世代協働」というテーマをおこし、この十年余りの私的体験を、少々、格上げしてみます。

 

過去を振り返れば、私の職業上の現役人生は、建設技術者としてスタートし、その実体験が労使関係分野への参入をうながし、さらにそのキャリアのある節目でオーストラリアへの中年留学を試み、それを契機に人的資源管理の国際的――少なくとも日豪間の――実務者という独自分野を歩んできました。

そうした自身が、いわゆる定年年齢に達したものの、リタイア生活に没入する環境は自他ともになく、上記のような、十年余のポスト還暦働き体験から、なにやら《人的資源の新分野》を開拓しているかの気配を見出し、この新タイトル「多世代協業」を発想するに至った次第です。

つまり、「多世代協業」とは、《長生き社会》という新しい人生ステージが現実化してきている中での、新たな働き方と層ミックスの登場です。

 

これをアカデミックな角度から見ると、私が提起しようとしているこの分野は、しいて分類すれば「エイジング研究」の一部とされる領域でしょう。日本でも、いくつかの大学が、「エイジング」の学科をもち、さらに細分化された研究あるいは実務を提供しているようです。

ただ、そこで私の感じる難点は、それは現役世代による現役世代のための新分野で、肝心のエイジド・ピープルは「まな板の上の鯉」で、言うなれば「医者と患者」の関係を越えた設定ではないようです。

そういう意味では、「画竜点睛を欠く」もので、この新テーマは、その「画竜」に眼を入れてみたいと望む、体験的な主客入れ替え談義です。

ついでにいまひとつ苦言を添えれば、この分野は、深刻度を増す労働力不足時代とは言え、「高齢労働力の掘り起こしやその活用」といった《人手不足の弥縫策》に終始してもらっていては、人的資源の無駄遣いになりかねない分野でもあるわけです。

そういう視点で、この新テーマは、その実物の個人的体験の披瀝にとどまらず、長生き化社会に伴う新たな人間現象をクローズアップする助けにもなるのではないかと自負するものです。

そこで今回はそこで、その切り出しとして、パートタイム労働の視点を採り上げます。

 

1.「穴埋め労働」でいい

私はいま、シドニー東部のある日本食レストランで、週末三日、パートタイムの寿司シェフとして働いています。シェフといっても正確にはアシスタントというところですが、一日の労働時間は5~6時間で、フルタイムの三分の二程度の負担です。体力としても、時間の割り振りとしても、ちょうどいい負担量と感じています。

使用者側の事情としても、一定の腕をもった寿司シェフを雇用するのはまず不可能で、しかも、週末の繁忙期のみを働いてくれるというのは、二重に好都合のようです。

それに、これは当地の流れにそった現実性――これが寿司かと疑わされる「sush」と呼ばれる食品が横行――としては善し悪しでもあるのですが、日本の本当の寿司を知る純日本人の寿司シェフとなると、もはや希少価値ということとなります。

また、収入上は、私はもう年金を支給されており、かすかすながらでは、それで生存は可能です。しかし、年金額はいわば基本生活を支える程度には設定されていますが、それ以上のものではありません。したがって、このパートタイムの労働による収入は、年金生活に余裕をもたらす上で、不可欠なものとなっています。

また、雇う側にしても、年金収入のために、腕に応じた割高な賃金を払うことに気を使う必要もない事情があります。私も、賃金については、法定の最低賃金以上のものを求めるつもりはありません。

ただ、制度上、オーストラリアの場合、年金受給者が労働収入を得た場合、その額に応じ一種の税として年金が減額されます。しかし、私程度の収入の場合、非課税の低収入者となって、年度末には引かれた額が払い戻され、ほぼ、差し引きゼロとなります。

ところで、この仕事を始めた当初、私は、自分のような高齢者の居座りのために、若い人たちが雇用や訓練の機会を失くしたり狭くさせているのはよくないとの考えがあり、それに気付いてからは、若い人の雇用や訓練が優先されるように行動してきました。

それに、訓練を与える雇用主側にしても、雇った人が仕事を覚え、店にばかりでなく、その人の先の人生の支えとなって何十年も役に立つなら、教え甲斐もあるというものです。それが、さほど長く役立つわけでもなく、まして退職者の趣味の延長のような必要に関わらされるのは、辞退したいというものでしょう。

しかし、上記のように、若い人はもはや求人をかけても応募がなく、こうした私の配慮も杞憂に終わっています。

そこで最近は、自分で進んで新しい仕事を身に着けるようにし、店の中での自分の多用性を広げ、繁閑の変動による店への負担を均す助けにもなろうとこころがけています。

一方、私は年に三度ほど、旅行に出かけるのを常にしており、合計して二カ月ほど、店を休みます。むろん、繁忙期は避けていますが、なるべく店の長期休日と合わせるようにしています。

むろん、こうした労働は、働く場所の個別状況とのマッチングが欠かせず、そういう意味では、私の場合、良い働き場を得ていると感じています。

ともあれ、年金支給をえ、時間的にも自由度のあるこの世代の労働力は、雇う側でも、制約も確かにあるものの、そのフレキシブル度の幅の広さによるメリットも、充分にあるものと考えています。

以上のように、高齢者労働力は、その適応性に個人差は当然にありますが、一般的にいって、画一的な雇用や就業はもはや必要はなく、互いに必要な条件に応じて、業務の変動部分や特殊事情の穴埋め労働力としては、ひとつの打ってつけなマッチをなすものです。

その実現の要はマッチングで、雇用側だけでなく、働く側としても、事前に十分な準備をへて、自分に合った分野の開拓や、自分のエンプロイアビリティー(雇われ度)の意欲的な形成も肝要となります。

 

 

 

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