もう6年ほど前、『天皇の陰謀』訳読の解説で、「明示的か黙示的か」という記事を書きました。日本の天皇制を「黙示的」体制の最たるものとすれば、著者のバーガミニは、それを「明示的」に述べることに努めたというものです。

今、それを読み直すと、日本文化の特徴が天皇制にそうした「黙示的」性格を与えたというその見方は、相当に、身びいき過ぎる甘さがあります。 詳細記事

最近の世界情勢を見ていると、世界は、まるで思春期に舞い戻ったかのようだ。

もっと大人かと思っていたが、意外に若かった。 詳細記事

アメリカでは、「トランプの乱」が、その開始以前から大騒ぎを引き起こしています。むろん、それはアメリカ国内にとどまっていません。

このいわゆるポピュリズムの起こす「乱」には両面があり、いたずらなオール・オア・ナッシングな対応は無益だと思われます。 詳細記事

アメリカで、またしても市民が50人近くも銃で殺されました。どうやらそれは、いわゆる「テロ」であるようです。これで銃規制の議論はまたしても再燃していますが、その一方で、反テロが声高に叫ばれ、加えて、銃撃事件のたびに銃の売り上げが伸びているといいます。

「狂ったアメリカ」が再認識されるところですが、もう、とどまるところを知らぬ≪底なし感≫を否定できません。 詳細記事

最近の日本へのインバウンド旅行者の急増を眺めていると、海外からの旅行客を迎える個々の町や地方のもてなし方はさまざまとは言え、その全体像は、日本国民全員をその従業員とする、「テーマパークランド日本」がフル開園し、世界中からの人気を集めて繁盛し始めているシーンであるかのように映ります。

そうした動向からうかがえることは、年に2千万人を超えたという世界からの訪問客のみなさんは、日本が向いだしているきな臭い方向(大概はどこもそのようですが)なぞ、まるで気にも留めていない――間違って迷い込んでいる一時現象――といったふうに、そうではない日本にぞっこん魅了され、その来日体験を心底、楽しんでいる様子です(誰が押しつけやプロパガンダで、そう安くはないその訪日をわざわざ選んで来てくれるでしょうか)。 詳細記事

4月26日、オーストラリアのマルコム・ターンブル首相は、世界的注目を集めていた次世代潜水艦建造の発注先を、フランスの国営系造船会社DCNSに決定したことを発表しました。これにより、日本はドイツとともにその大事業の機会を失い、ことに、国を挙げての実に異例な獲得競争を展開してきた日本、ことに阿部政権にとって、おおきな痛手をこうむる結果となりました。

私見ながら、私はしかし、この結果を≪オーストラリア民主主義のおかげ≫と、あえて“たたえたい”と受け止めています。 詳細記事

昨年10月の「戦後70周年《宣言》」に引き続き、もし私が日本の首相だったら、この際、ゼロ金利だのマイナス金利だのと姑息な回り道などしないで、いっそのこと、仁徳天皇ではありませんが、税金を――ゼロにするのはこの先のために残しておくとしても――、一斉に半分位に大減税してみるでしょう。 詳細記事

人間にはどうも、つい「行ったり来たり」してしまう、悪い癖があるようです。

この「悪い癖」とは、例えば民主主義といった、せっかく長い時間をかけて、社会のみんなで作ってきた「ルール」があるのに、それをその一線を越えて、つまり「ルール破り」をして、一気にドバっと将来を先取りしてみたい、そういう危ない癖のことでです。どうやらそこに、《狭義の政治》と《広義の政治》の分かれ目があるようです。 詳細記事

戦争という悪魔的巨大暴力に関して、それに伴って発生した、殺されたとか殺したとか、あるいは、被害者であるとか加害者であるとかという、けっして拭い去られてはならぬ事実のひとつ一つについては、その悲惨な当事者にしてみれば、それは降ってわいたにも等しい災厄です。まして、そんな苦しみを負わねばならぬ言われなぞ微塵もないにもかかわらず、その結末はまさしくそのように、痛々しくかつ逃れ難く、個々人の上にのし掛かっています。 詳細記事

もし私が日本の首相であったなら、先の戦後70周年の記念日には、「談話」などとしてではなく、日本国首相としての《宣言》として、以下のように、世界に向けて表明したのではないかと思います。 詳細記事