地球時代、たしか聖路加病院の日野原重明先生がそう言ってたと思うのだが、「命は時間」だった。あの先生はまだ生きてられて、もう105歳にもなっているはずだ。たいした長寿だしその活躍ぶりだ。
一方俺は、その命を早々と収めちまってここに来てMotejiとなり、いまは、その「時間」の無い生活をエンジョイし始めている。ただし、それが「生活」と言えるものかどうかは判らん。
ともあれ、時間というものが無くなってみて初めて、「目からうころが落ちた」感じを多々みつけている。そう胸を張って言えるのは、ここに「先に」やってきた、そういう強みがゆえだろうね。 詳細記事 →
本章には、そのタイトル「超人間力」のごとく、現実界では架空事と扱われるだろう数々のいわゆる「超能力」があげられています。それはテレパシーから、それこそ霞を食う仙人に至るまで、常識上では考慮の対象には含まれない能力であり世界です。
しかし、本章の議論のように、そうした広範な諸能力がそう一覧されていると、それらは総体として、単なる絵空事として片付けられるものではない、それなりの現実味を持った世界となってよみがえってきます。 詳細記事 →
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【新版(Second Edition)に基づく】
超人間力
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「すべての発言、行動、そして態度は意識の動きにもとづく。あらゆる人生は意識から発生し、意識をもって持続される。宇宙全体ですら意識の現れである。宇宙という現実は、働いている意識の無限の大洋である。」 ――マハリシ・マヘース・ヨーギー(超越瞑想指導者〔1918-2008〕)
何世紀にもわたり、神秘主義者の根幹の信条は、精神機能は身体から独立できるというものであった。ヨガやエソテリック指導者は、意識は脳や身体に縛られないと説いてきた。そうした主張は、精神分野の研究や冷戦期の遠隔視そして量子物理学において、歴史的な学問探究が取り組まれて一定程度の達成をもたらしたが、おしなべてまだ不十分なものである。際立った精神能力を発揮する者は「特別な知覚力」を備え、ビジネス界ではそれを直感力と呼んだ。現代的な組織である Noetic Sciences Institute は、科学的にこの特別の感知能力を研究してきた。このNoeticとはギリシア語で、知能を超える内的知覚力を意味する。 詳細記事 →