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職人という「総合業」
先月号のエッセイに書きましたように、筆者、目下、パートタイマーながら、すし職人の徒弟修行中です。
この、これまでの生活を180度反転させたような変化 (どこかに 「コペルニクス的転換」 なんて言葉がありました) を取り入れて一ヶ月半。まるで、ライフスタイルのスペクトルの両端間を、毎日の中で往復しているかのような生活に、時に、眼がくらくらするような上気にすらとらわれています。
この、「貴賎」 あるいは 「清濁」、もしくは、「洋和」 あるいは 「動静」 の混在は、リタイア準備の趣味にしては強烈すぎ、かと言ってフィクションでもなく、たしかに、ボケ防止の処方としては、相当に効き目がありそうです。
それで、体験をはじめてみて、それを編み出したのは自分自身であるはずなのに、その刺激の予想外の強さ、多彩さ、錯綜さに、正直なところ、戸惑わされています。
ところで、思い起こしてみると、もう十年以上の昔こととなりますが、博士論文にチャレンジしていた頃、この職人という職種について、私は、興味深い発見をしていました。
というのは、同論文のテーマ、産業組織の発展史という視点で見ると、実は、職人というのは、会社とか、労働組合とか、株式上場企業とかという近代の産業組織の、その原点に存在した、いわば、今日の経済世界のルーツともいうべき存在であることです。
たとえば、昔の、村の鍛冶屋を想像してみてください。そのあるじ (若造を一人くらい使っていたかも知れません) が、材料の仕入れから、刃物や農具などの製品の作製、そしてその修理、そして注文や販売まで、それらすべてを彼ひとりでやっていたことです。
これを学問的に言えば、商人、生産者、雇用主、職長、労働者、店員、そうした役割のすべてを自分自身のなかに統合して実行していたということです。つまり、産業の発展とは、歴史的には、こうした職人を振り出しに、そのような別個の要素が、それぞれ独立した職種として分化、成長してゆく、分業化の過程であったわけです。今日の高度な企業社会も、そうした産業発展史の頂点に開花しているもので、そのルーツをたどれば、「職人」 にたどりつくのです。
つまり、こうした歴史を頭に入れて言えば、職人とは、働く人間の様々な要素を合わせ持つ、文字通りの「総合業」 とすら表現できる性格をもっているわけです。
上記の研究では、筆者は、そうした職人の一例として、建設産業における職人、たとえば、大工、左官、石工などに焦点を当てたのですが、そうした職人の性格は、他の産業でもほぼ変わりはなく、食物産業においてもしかりです。
落語に登場する 「八さん」 「寅さん」 という職人たちが、「宵越しの銭はもたねぇー」 と、きっぷよくその日の稼ぎを酒やばくちに使い果たしてしまい、長屋の家賃をとどこおらしえたのも、こうした統合した役割 (つまり自活してゆける確立した自負) を、まがりなりにも持っていたからでした。
現代の職人は、もちろん、こうした 「村の鍛冶屋」 のようにも、「八さん」 「寅さん」 のようにも行きません。その多くで、もはや、独立した職人としてやっていける条件が極めて限られてきており、何らかの形で、大手企業の下請けとなったり、さらに機能分化されてもはや存続不能とすらなったりして、職人の役割の崩壊が進んできています。あたかも、「絶滅種」
生物であるかのごとくです。
こうした事情は、飲食産業においても、大きな違いはないようです。
たとえばレストラン業界では、大企業が、綿密に練り上げられた製品あるいはサービスのマニュアルに基づき、大規模なチェーンあるいはフランチャイズ・ビジネスを展開しています。そうしたレストランに必要な労働力は、単純、低賃金のもので、年季の入った腕をもつ職人はもはや必要ありません。せいぜい、店長として、その管理をおこなう、マネジャー職種が必要なだけです。つまり、現代のそうしたレストランでは、さまざまな機能は細かく分業化されて個々の作業マニュアルに明示され、それを単純低賃金労働者が、わずかな訓練で実行しているわけです。これが、レストラン業界での、いわゆる
「価格破壊」 のプロセスです。
すし業界でも、かって、街のあちこちにあった 「お寿司屋さん」 は、企業化された 「持ち帰り寿司」 や 「配達専門寿司」 あるいは 「回転寿司」
などに押され、その多くが姿を消しています。かってのすし職人の果たしていた業主としての役割は分化、再組織化され、提供される商品は類似のものでも、その業態は根こそぎに変貌してきています。
ただ、「食べもの」 という商品には多様な嗜好がともない、そうした低価格化・大衆化の潮流の一方で、また、そうであればあるほど、差異化された商品への新需要が生まれ、その中で、かつての職人技も、いろいろな形で生き残ってきています。そこが、車や電化製品と異なる、「食」
のもつ面白さであり、そういう意味での深さです。つまり、企業によって組織化されない、個人技だからこそ生かされる分野が、まだまだ存在しているようです。いうなれば、作り手と受け手が直に結ばれ、他の介在がない
“等身大” の需給形態が生き続けうる世界です。見方によっては、「芸」 の世界とも似ています。
私は、こうした、製品やサービスの作り手と受け手の間の、人間サイズの関係を、働きの 《原点》 として注目しています。それは、多分に伝統的でありながら、他方、特定の能力のみが抽出されるのではない全人間的という意味で、むしろ未来的でもあるのではないかと思っています。
この 『両生空間』 のエッセイでは、私は自身を 「変わり者」 と、いくども書いてきました。
以下は私的なエピソードのひとつですが、ある時、アルコール依存などメンタルな病弱さもあって、自活生活に難しくなっていたあるオージーの友人を元気づけようとして、「私も同じ絶滅危険種だよ」
と打ち明け話をしたことがありました。そうすると、彼は涙ぐんで、私の手をぎゅっとにぎって離しませんでした。
私のような選考癖のつよい人間は、相応に、社会の方からも選別されてきていますが、今日の 「利益意識」 の余りな強調の風潮に素直に従って行けず、いっそうその癖の重篤化がすすむ経過をたどってきました。
それが至って今や、すし職人の徒弟修業と出会っているわけですが、この初の試みのなかで、私はある不思議な体験をしています。
それは、目下、担っている仕事は下働き的な作業ですが、妙に、素直に働けるのです。しばしば、自分の子供くらいの年齢の 「先輩」 から叱咤されたりするのですが、それにも不思議と腹が立ったり、意固地なこけんにも傷が付いたりはしないのです。
今、こうして働いている店は、偶然にも、私の渡豪と同じ年にやはりオーストラリアに渡ってきたオーナー親方を含め、常時、十人少々が働く職場です。接客業という、お客さんに最大に満足してもらうサービスを提供するとの使命のもと、そこでは、あらゆる必要が単純明快なのです。そして、人をいぶかさせたり、まどわしたりする、大言壮語をなすからくりが、こうした場には不必要のようです。
たしかに、詳細に目を凝らせば、商売として生き延びるための条件や適応や工夫はうかがえます。そうではありますが、上に述べた、働きの 《原点》 の、もしくはそれに近い一例が、そこに存在しているように思えます。つまり、そうした
「総合性」 が、私のような選考癖の強い 「絶滅種」 にも、棲息にたる風土をかもし出してくれているようです。
また、「自足自律機械」しかけの私 でものべたように、そうしたマシンたる自身を自分でフルに操縦している、あたかも、山歩きをしている時に見出すような爽快感、充足感が伴っていることもたしかです。
それに加えて、なにごとでも、新しいことを学ぶ、習うというのは、楽しいものです。
それらのカクテルが私をよわせ、そうしたオープンさを与えてくれているのかもしれません。
初期的現象で終わらないよう、祈りつつ。
(松崎 元、2006年4月14日)
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