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両生学講座 第12回(両生哲学)
 



      
「無」とは最大の「有」


 無知がゆえであったのですが、私は最近まで、仏教思想でいう 「無」 と聞くと、それは何か虚無思想の象徴のように思われ、 「煩悩」 とか 「悟り」 とかという関連する用語を聞けばなおさら、その思いをかたくなにしてきました。そして、知らない部分があるにちがいないとは思いつつも、そうした思想は、少なくとも俗世的には、とどのつまり、一連の “諦念” の体系ではないか、といぶかってきました。
 そんな私が、先月号のエッセイで、 「一生涯 『仮の姿』 」 という、還暦を直前にした感慨を述べました。
 そのエッセイ発表のあと数日して、――ということは、この世は結局 「無」 だ、ということと同じことを言っているのではないか、とのひらめきが脳裏を走りました。
 そして、そうした発見をへて、今、「無」 とは最大の 「有」 だ、との境地を見出そうとしています。

 まず、話を飛躍させます。
 7月12日、中東で、またまた、新たな 「戦争」 が開始されました。イスラエルによるレバノンへの攻撃の始まりです (その詳しい事情を知りたい方には、「田中宇の国際ニュース解説 2006年7月19日 http://tanakanews.com/g0719israel.htm 」 を推薦します。実に的確な分析が読めます)。
 その一方、私はいま、ほぼ70年前の、日本の対中国 「戦争」 がどのように開始されたのか、それにまつわる 「訳読」 作業を続けています。この作業から、よりいっそう明らかとなってきていることは、「戦争」 という最強 “政治” 手段の極めていかがわしい使われ方です (比喩的に言えば、戦争とは傲慢の極に達した権力者の、不可能を可能に転じる 「魔法の杖」 で、彼らは使わないではいられないのです)。
 こうして、二つの 「戦争」 の開始を並置して観察しますと、実によく似た現象が見えてきます。つまり、政治が軍事をコントロールできなくなる現象と、その前に必ず起こされる世論を発火させる軍事的挑発です。
 こうした発見に触発された、戦争に関しての私の見方を、今号の 「ダブル・フィクションとしての天皇」 に述べていますが、その要点は、まず、戦争とは国家の “発狂” 状態のことで、そこに至る過程は、その国が独裁的であればあるほど、独裁者の腕力である軍部を先走って “発狂” させ、また、民主的であればあるほど、平和でいたい国民を奮起させるに足る被害の演出をへて “発狂” へと誘導します。
 つまり、そこに見られるのは、 “発狂” への手の込みようはやや異なっても、人類がおこす戦争についての繰り返される類似したパターンです。言い換えれば、歴史は繰り返すのです。
 私には、この、繰り返される歴史、つまり、愚かな人類の足跡と、それを 「無」 と見定めた先人たちの見識との間には、さほど大きな隔たりはないように思えます。
 確かに、人の一生は短く、繰り返される歴史の周期を、いくつもまたがっては体験できません。せいぜいそのワン・サイクルの中で、ことに庶民は、いずれかに振れる世の方向に沿って、あたかもそれが永久の道理かのように思い、あるいは思いこまされ、その藻屑となるのがつねでした。
 つまり、「無」 思想は、けして 「諦念」 に支配された隷属の体系ではなく、その内実は、きわめて大胆に前向きな、現世的な思想と思います。
 あえて言えば、「無」 思想こそ、もっとも深く民主主義の精神の根源に触れえる考え方と思え、権力が演出あるいは誘導しようとする方向を、定期的に与えられる選挙という手段を通じ、それを 「無」 と断じ、いともたやすく葬ってしまったり、あしらってしまう、そうした楽天的強靭さを支える根源であるようにも思えます。
 もちろん、権力もただものではありませんから、そうした 「無」 思想を、没我、拝金、物質主義によって巧みにからめ取り、大勢として、似て非なる、歴史的、政治的、社会的無感覚状態に変質させることに成功しています。私が「無」 を誤解してきたのは、この後者の派生物がゆえにでした。
 そうした仰々しいからくりを透視し、本来の 「無」 思想に立ち還ってみれば、「無」 こそ最大の 「有」 と立脚できるのではないかと思います。

 (松崎 元、2006年8月15日)
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