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- 鎮魂
初めて見た水俣の海は
もう海ではなかった
有機水銀の毒を深く土で埋め
平らにならされたその場所は
ひょろひょろとした植栽が点在する
どこにでもある平和公園だった
そこに隠そうとしたもの
水銀へドロの他に
人々の嘆き 怒り 怖れ
砕かれた誇り
全うされなかった一生
のたうって狂い死んだ生き物たち
すべてを埋めてフタをしてしまえ
あってはならないことだから
なかったことにしてしまえ
そんなウソがしらじらと漂っていた
国が水俣病患者に和解勧告を出した翌年のことだった
「水俣の悲劇を千年残すため能に創る」
その一言にひかれ再び訪れた親水公園
夕日と満月が手をつなぐ大潮の宵
笛と鼓とこおろぎと波の音
新作能 不知火に歩み出たシテとワキ方は
何ものともつかない魂の灯を手に乱舞した
フタなどしない
一緒にいよう
亡くなった人々
猫や魚たち
ちりとなってしまったプランクトンも
生き続けている私たちと
ずっと一緒にいよう
舞台から発せされた確かなうねりがあたりを満たし
おぼろ月を見上げる公園を
新しい約束の地にぬりかえていった
道
白い腹をみせて海面に浮いたたくさんの魚の話を聞き
体躯をよじるだけで歩けない猫のことを読み
生身とはおもえないくねった指の写真を見て
こどもだった私は水銀をにくみ
にどとこんな病気がうまれないよう
化学を仕事にしようと決めた
長じて実験室で学んでいるあいだに
公害大国だったこの国は
名だたる環境先進国になっていた
少しばかりかじった反応理論の矛先を見失い
どこへどうゆけばいいのか 途方にくれたとき
不知火海のほとりで現実に出会った
次々に劇症の家族を失い
生き延びた患者達はすでに高齢
生涯のほとんどを地獄の中でおくってきた
からだのしびれをこらえ 今はおだやかに語る口調に
無念のにじむ人々を前にただ、じたんだを踏む
千年の未来にまで水俣の人間の悲劇を残すべく
創られた能 不知火
その舞台の生と死 苦悶と歓喜の舞いを観た私に
届いたあの声はどこからきたのだろう
忘れるな 忘れさせるな
やがて水俣病なる事実は 過ぎた話として
汚れて埋立て公園にされた湾と共に消えてしまう
海の声か 土の声か
HgとSとCらがうなずいてよこす
忘れないために
水俣湾でおきた人工の転変地異のことどもを
私は詩に書けばいいのだと
(松崎 元、2006年9月15日)
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