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「明」と「暗」
六十を越えるということは、まわりから、「もう、若くはないんだから」 と言われ始めることでもあります。
そんな私が、自転車で 「通勤」 をしていることは、先にも書いたとおりです。周囲の人たちは、どうやら、やや心配気に、そうする私をみているようです。
そうした折、「だから、言わんこっちゃない」、と言われても仕方のない “事件” に遭遇しました。
先週の金曜日の夜、忙しかった店の仕事を終えて帰宅途上、11時半ごろでした。乗っていた自転車のハンドルがいきなり支柱ごと折れて、私はもんどりうって前方の道路上へ投げ出されました。ゆるい下りで、速度は25キロは超えていたと思います。
腕の一箇所ぐらい骨折しても不思議ではない場面でしたが、幸いに、右肩に強い打撲 (他は、その右肩とほかに二、三箇所のすりむき傷) だけですみました。それに、その道路も裏道で後続車もなく、二重の事故に巻き込まれるという最悪の事態にもなりませんでした。ただ、さすがにその打撲傷で右腕が使えず、仕事は二日間休ませてもらいましたが、今週からは通常通りに働きはじめています。
職場の同僚たちには、「一週間はダメだろうな」 と予想されていたようですが、意外な 「早期復帰」 のほどにびっくりされています。(明らかに、自転車の製造上の欠陥を原因とする事故で、「愛用車」に裏切られたような、私こそ哀れな被害者なのですが、その点についての言及は、ここではひとまず触れないでおきます。)
そんな軽度の負傷ですんだ理由は、どうやら私は、昔、高校生時代、バレーボールをやっていたなかで身に付けた、当時 「回転レシーブ」 と呼ばれていた身のこなしを、その投げ出された際、無意識のうちにも実行し、柔道の受身のように、衝撃を和らげながら
“着地” を果たしていたからのようなのです。
若いころの能力が、少なくとも消え去らないで残っており、こうした危急の場で働いてくれたことは、驚きであるとともに、まんざら捨てたもんでもないじゃないかと、自身の可能性についての
「明」 の面を垣間見させてくれた発見でありました。
しかしその一方、そうした 「職人修行」 を続けるなかで、「暗」 の面にも遭遇してきています。
たとえこうした修行が、ひとつのねらいとして 「ボケ」 防止の効果を期待するものであったとしても、その毎日のなかで、思うように行かないことに度々出会い、ことに、板長から乱暴な言葉をあびせられたりした場合などは
(後日、謝罪をもらったりもするのですが)、さすがに、なけなしのプライドにも傷が付けられ、消沈させられたりしてしまいます。
すなわち、さほどに、ねらい通りの “効果” を示している証拠であるわけで、それほどの強い 「刺激」 が得られる機会となっています。
なかでもことに,、ほとほと腑甲斐無い思いを深めさせられることは、いわゆる 「短期記憶」 の衰えです。
修行中とはいえ、私の働きは、専門用語で言う on-the-job-training (実仕事を通しての訓練) として、毎日の店の業務に組み込まれており、それをこなしながら実務的技を習得してゆく、という建前にあるものです。ことに店の週末の繁忙時のデマンドは私には極限的で、文字通り、秒をあらそうスピードが要求されます。習っていることをたとえ備忘録にメモしておいたとしても、それにいちいち当たっているひまなぞありません。そこでモタモタしたり、しくじったりが当然な結果となるのですが、そんな時、歯がゆい思いとともに、disabled
つまり、「障害者」 といった言葉が脳裏をよぎったりします。「したくともできない」、「苦もなく出来たはずのことができない」、そうした腑甲斐無さの経験で、そこで、今まで、自分の問題としては考えたこともなかった、そうした言葉との出会いともなっているわけです。たとえ、「健康」
に自信満々であったとしても。
もちろん、私の人生で、できないことは山のようにありましたが、こうした腑甲斐無さの体験ではなかったように思い出されます。いくつかのことは、頑張ればできるようになりましたし、もともと、気にもならない
「できない」 こともたくさんありました。しかし、この新たな 「できない」 はそれらとは異なるもので、おそらく、disabled とか障害者とかと呼ばれている人たちが、日々、経験していることでしょう。
さて、このように、私に、対照的なことが生じ始めており、それを、『「明」と「暗」』 と、題しもしました。
そうなのではありますが、それを 「明」 と 「暗」 とコントラストをつけなければならないのはなぜなのでしょうか。
『異国の客』 と題するエッセイ集 (http://www.impala.jp/ikoku/) を配信する池澤夏樹は、その最近号 (No 058) のなかで、彼の住むフランスの、老人がゆったりと暮らしている様子を紹介し、仏日間の 「明」
と 「暗」 を彼風に指摘して、次のように記しています。
- このような違いの背後にあるのは何だろう。
社会の年齢的重心のシフトという説明はどうだろうか。
ものごとの変化の速度が速くなるのは世界的な現象だけれども、日本はと
りわけそれが著しい。
それは日本が若者中心の社会を作ったからだ。
若い者の方が変化に対する反応が速い。
資本主義はモノを作って売ることで成り立っている。
新製品を開発し、それを売り出して、使いかたを啓蒙し、新しい需要を生
み出す。
その場合、若い人々を相手にした方が結果が早く出る。
そのことによる加速が、日本に本来あった地理的条件としての高密度をい
よいよ推進した。
若い人々に購買力を与えて、彼らに合う商品を開発し、それによって経済
を活性化する。
そういう戦略を戦後のある時点で日本は採用した。
それは一定の効果を上げたけれど、同時に日本の社会の雰囲気を大きく変
えた。
年齢や経験が権威を失い、新しいものが尊重されて古いものが捨てられ、
全体が幼児化した。
伝統的なものはどんどん姿を消した。
日本は、世界の先頭をきって 「老人社会」 になりつつあります。そして、その牽引役を,、またしても担っているのが 「団塊」 層です。しかも最近は、その
「団子」 世代自体すらをも色分けする、「富裕層」 (とその他大勢) といった資本主義的な用語も目立つようになっており、「明」 と 「暗」 が、そんな風にも定着させられようとしています。
全人口の20パーセント、あるいは、25パーセントが 「老人」 となりつつある社会が、それでも 「幼児的」 であるという気持ちの悪いコントラストがここにあります。
それは、そうしたいくつもの 「明」 と 暗」 と呼応しあって、このひとりの 「その他大勢」 に、disabled という言葉をかぶせてきているようです。
(松崎 元、2006年11月12日)
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