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    修行第四風景


 二月末より始まった 「しゃり切り」 は、ほぼ一ヶ月を経た三月の最終ウィークより、いよいよ、私ひとりに任されるようになりました。毎日、店で使う寿司ご飯は、予想外の大入りによる追加 「しゃり切り」 もしくは私の休みの日を除き、すべて、私が 「しゃり切り」 したものとなっています。
 ただ、こうして、親方より一応の 「免許皆伝」 はもらえたものの、その本人の気分としてはいまだ心もとなく、自分でも、日によって切り方にむらがあったり、動きが板についていない、などとの未熟感はまだまだぬぐえません。
 それに、こうして、私の 「しゃり切り」 が店の毎日の仕込み過程の一部に組み込まれますと、当然のことながら、修行中にあったそれなりの特別扱いがなくなり、人並みの手早さや出来具合が要求されてきます。いわば、自ら、それだけの負荷を背負い込んだ格好となり、繁忙な時などには、「よしとけばよかったのに」 との思いが頭をかすめないわけでもありません。
 それでも、一年前を思い起こせば格段の進歩で、よくぞここまでこれたもんだと、我褒めの気持ちも湧いてきます。

 こうしてひとステップ進めた次の段階として、今度は板長に申し出て、いま、魚のさばき方を教わり始めたところです。
 まだ、ほんの初歩の段階で、板長がおろすのを見て、原則を教わっています。
 幸い、これまで、我流で魚おろしのまねごとをしてきていますので、先日も、「やってみろ」 と出刃をわたされ、数匹のキスのおろしをやらされた際、その出来具合は、さほどひどいものではなかったようです。
 ただ、教わるといっても、そこは営業中の店の厨房で、お料理学校ではありません。誰もの毎日の時間は、必要な作業のあれこれで手一杯です。そうした環境で何かを教えてもらおうとする場合、ただ、「お願いします」 だけでは何も起こりません。何しろ、板長の口癖は、「時間はつくるものだ」 というものです。
 上のキスのおろしをした日も、工夫をして、いつもの作業工程より、いくらか早めに進んでいた時、板長の方から、「二十分ほど時間がとれるか」 との声がかかって、そういう流れとなったものです。板場とは、そういう世界のようです。

 ところで、オーストラリアのここシドニーあたりは、今、早秋。
 ここのところ、最寄の商店街の魚屋に、いい型のサバが見られるようになりました。日本でいうゴマサバです。一昨日もよさそうなものがj店頭に出ており、さっそく手にとってみますと、丸々と太り、身もピンと張り、いわゆる死後硬直状態にあって新鮮さは上々。値段も、キロ2.99ドル(約300円)とおおいにお買い得でした。そう、当地では、いまがサバの旬なのです。
 さっそくそれを買い求め、習った通りに三枚におろし、私の好物のシメサバをつくってみました。
 普段、こちらのサバはぱさぱさとして脂っけがないのですが、今回のものは、脂ののりもまずまずで、ひさびさに、とろっとしたその味と舌触りを楽しみました。
 どうも私は、こうした道楽のために、一連の修行に、精出しているようです。
 
 
 (松崎 元、2007年4月13日)
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