「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
 



    
    修行第五風景


 私の自力の 「しゃり切り」 が始まって一ヶ月ほどを経た先週、私の希望――行過ぎた我流の癖がつかないうちに軌道修正が必要と思い――もあって、親方にふたたび見てもらい、その “再審査” を受けてみることにしました。その結果は、案の定、惨憺たるもので、再度、初めての時と同じような手ほどきを受けることとなりました。
 ところで、店での私には、ぼぼ同じ道を歩むひとりの兄弟子がいます。彼は、もしいたとすれば私の息子ほどの年齢で、彼の父親も私より3歳ほど若いだけのようです。その兄弟子の彼から、先輩としての助言をもらっているのですが、彼によると、私の休日である水曜に、私に代わって親方が切ったしゃりは、手にするとふわっとして粘らず、その違いがありありとしている、といいます。しゃり切りを始めて三ヶ月弱の私と、経験三十年を越える親方の腕とが、比較にならないほど違いがあって当たり前なのですが、一生懸命にやっている本人としては、ある意味で、ショックなことでもありました。逆に言えば、しゃり切りひとつとっても、それほど、奥ゆきがあるということでもあります。
 その兄弟子に関連してですが、ある日、猛烈に忙しい日を終えて、後片付けをしている時のことでした。同じく洗い物をしている彼に自然と 「疲れたね」 と言葉が出たのですが、彼は、それに同意を示しつつ、「いやぁ、はじめさんを前にして、疲れたとは言えませんよ」、との返答がかえってきました。彼は前から、私と同世代の自分の父親とを並べて見ていたらしく、そういう私の、いわばガンバリように、どこか鼓舞されるものを感じていたようです。しかし、そう言われた私には、少なくとも息子をひとりそこまで育てオーストラリアに送り出している (彼は大卒で今こちらの料理学校に通っている)、その親父さんのご苦労――腰を痛めていて車なしでは動けないと彼は言います――がしのばれ、ひるがえって、私自身の健康に、深く感謝したくなります。

 その親方が、来る7月の新年度より、店の休日を、従来の月曜に日曜を加え、週休二日とする決断をし、先日、私たち従業員にその旨の発表がありました。私の知る限りでは、シドニーにレストラン多しと言えども、週に二日を閉店する店は、それほど多くはありません。
 この店は、昼食時にも開店している例の多いこの業界で、立地がオフィス街でもないという条件もありますが、すでに長く、夕食時のみの営業に絞り、それなりの成功をおさめてきている稀有な店です。
 その店が、さらに週休二日となるのですから、かなりの異例と言えるかもしれません。そこで先日、仕込み作業中の親方と話す機会があった際、そのあたりをたずねてみました。
 「一時的な客足の落ち込みはあっても、すぐに回復しますよ、これまでの経験からして」、といかにも自信ありげな返事で、それに加えて、「私も永年やってきて、ダウンサイジングも必要だからね」 との彼の答えでした。成功が続くかぎり、拡大一本やりの傾向の強いこの業界で、彼の経営方針は、たしかに、ユニークなところがあります。
 店は、ここのところ、昨年比で実質10パーセント以上の売り上げ増をはたしており、そうした好調がこの親方の判断にもつながっているようです。
 ただ、そうした計画にマイナスの影響を与えそうなのが、今、オーストラリアのどんな経営者をも悩ましている、人手不足の問題です。
 オーストラリアのホテル、レストランの業界では、その労働力の主要な供給源となっているのが、ワーキングホリデーや語学留学などでやってきている若者たちです。日本料理関係でも、そうした事情に変わりはありません。数ヶ月の短期の労働力という難点はありながら、比較的低賃金で使える潤沢な供給源であった彼ら彼女らなのですが、最近になって、どうも減少傾向にあるようです。それは、日本の景気が回復し、これまで、就職難回避もあってオーストラリアにやってきていた彼らにとって、その必要がなくなってきている事情があるのでは、と私は見ています。
 私の働く店でも、この一年の内に、大半のメンバーが入れ替わり、ことにキッチンでは、板長を除き、私が最古参の従業員となりました。
 そうした人手確保難のもとで、店も慢性的なアンダースタッフ状態にいたっており、キッチンも同様です。お陰で、私も経験一年余りで熟練労働者扱いとなり、たとえば、先週末の多忙時では、板長から、「はじめさんは、キッチンの真ん中にいてくれ」 と言われました。「真ん中」 とは、キッチンのほぼすべての担当をこなす役の意味で、発生している刻々の状況に適宜柔軟に対応する多技能な役割です。人手不足の多忙状況の中で、キッチンのぎりぎりの対応能力の発揮が必要となっているからです。いわば非常態勢です。
 毎年、3、4月はこうした日本の若者たちの帰国、入国の入れ替わりの時期で、この業界は人手不足になりがちなのですが、そうしたわけで、それが今年は5月になって、むしろより深刻になっています。店によっては、こちらに永住している主婦層にも求人の対象を広げ、こうした状況に対応しているところもあります。
 その余波で、私の労働時間も、週40時間を上回るようにもなり、パートタイマーのはずが、それどころではない期待がかされつつあります。
 この先、7月以降の週5日営業となると、いっそうの客足の集中が予想され、もし、その時期でもこうした不足状態にあるとなると、対応能力がついてゆけるのか、寿司修行どころでない事態ともあわせ、一抹の懸念が脳裏をかすめます。
 
 (松崎 元、2007年5月9日)

 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
                  Copyright(C) Hajime Matsuzaki  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします