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    修行第九風景


 今回は二つの話題についてです。

 はじめに、店に起こった 「一大事」 につきましては、店の雰囲気に次第な “韓国化” を含みながら、ひとまずの沈着化が進みつつあります。
 幸いに、新しい寿司板さんが予想外に早くみつかって着任、また、辞めざるをえなかった一人の板さんはビザの再申請を行い、つけ場には、 「一大事」 以前の状態がほぼ再現しつつあります。(聞くところでは、新オーナーは、この新採用にあたり、そうとうのペイを求められ、決断させられたとのことです。) そういう次第で、私には、「ピンチがチャンスに」 変ずる機会は到来せず、店での私の 「寿司つくり」 は、週一回のまかない食を中心としたものへと戻っています。そしてむしろ目下は、板長が、昨年のように12月の初めより休暇に入るため、その間、私がその代行をし、また、私に代わる役を、新人たちに教え込むことが急務となっています。
 ところで、私の韓国人友人 「星友」 氏は、店のこうした 「韓国化」 に、私が目指している寿司修行の真髄が損なわれるのではないか、と心配してくれています。と言うのは、彼によれば、韓国人はとかく、目先の金にしばられて野卑な行動に走りがちで、日本の職人のもっている、誇りあるこだわりなどにも、根っから無理解であると言います。韓国社会では、歴史的に、職人はその社会身分階級の最下層におかれ、農民以下の地位に見下げられてきたとの経緯があり、今でも、職人を見る目は冷たいからだそうです。
 ともあれ、そうした広い背景も伴いながら、店の 「和韓混合」 が進行しています。
 ただ、そうした店の状況とは別に、私は自主訓練として、自分で握って自分で食べたり、ことに、休みの際などに友人らを相手に、私の握った寿司を食べてもらっています。この 「自宅寿司」 が、このところにわかに好評で、友人たちが集まったパーティーの際などでは、皆が舌鼓をうって楽しんでくれ、場を盛り上がらせる効果を大いに生んでいます。もちろん、そこには作る側の楽しさも大いにあり、商売としての寿司職人からは離れた世界の、味わい深い “働き甲斐” が生まれつつあるように思えます。
 実は、この、職業としてではなく、いわば、“もてなし術”、ひいては “自分表現手段” としての寿司技量は、私がひそかに、究極のねらいとしているものでもあり、今後の私の人生の幅を広げてくれるものとして、期待を寄せているところのものです。それが、こうして早くも実際効果を見せはじめていることは、一連の「不運」にも対し、大きな励ましとなっています。

 さて、第二の話題は、こうして一年半、日本食レストランの仕事に従事し、出入りの多い若者事情を観察してきての感想です。
 ひところとは違って、最近は、日本の景気の好転のためか、オーストラリアに渡ってくる日本の若者の数が減っているようで、どこの日本食関係の店も、人手の確保に頭を悩ましているようです。
 そうした状況や、上記の 「韓国化」 も手伝って、わが店に働く若者たちもとみに国際化し、現在では、五ヶ国にわたって国籍を異ならせる人たちが、それぞれの気風を放ちながら、入り混じって働いています。
 そうした中で私は、それぞれの文化の違いを下地に、浮かび上がる日本の若者たちの特色に注目させられています。ことに関心を抱かされるのは、日本の若者たちが、教育によって打ちのめされている者と、それを何とかかわした者とに、大別できることです。
 ひと言でいうと、有名大学を出た者ほど、その打ちのめされ度が高いように観察されます。これは、私にとっては、一種、予想外のことでした。というのは、私は、有名大学出ということが誇りや自信をうみ、前向きな人生態度に繋がると思ってきたのですが、私の観測の限りではどうもそうではなく、店にくる有名大学を出た彼ら彼女らほど、どこか自信を失い、それだけ弱々しさも漂わせており、そのもろさのためか、妙にぎこちない会話を発しながら、かろうじてながらの虚勢を保っている、との印象を抱かされます。
 ところがです。興味深いことに、そうした彼ら彼女らが、店で数週間も働くと、そのほとんどに、ある生気を取り戻してくる “蘇生現象” のようなものが見られるのです。ことに面白いのは、当初、なにかを教えてもらったりしても、お礼どころかろくに返答もせず、時には生硬な言い訳にこだわっていた彼ら彼女らが、一定期間を過ぎると、些細なことにも、「ありがとうございます」 との言葉が出るようになり、その仕草がいかにも自然で滑らかになり、その表情にも柔らかさが出てくることです。
 有名大学を出て、自信満々な道を歩んでいるものは、わざわざオーストラリアくんだりまでやってきて、この店に来たりはしないのかもしれませんが、社会、ことに教育によって、何かを壊された若者たちが、こうしてこの店で働くことによって、どこか立ち直って、生きいきしてくるのです。
 ただ、厳密な点に触れておくと、そういう店でも、店の言う 「試用期間」 を経たのち、店に合わないとの理由で、「試用終了」 となる者も少数ながらいます。なかでも、いかにもゲイ風なある若者が早々にクビになったことがありました。たしかに彼は、少々荒っぽいキッチンでの仕事には合わない、ソフト過ぎるところがありました。ですが、シドニーには 「マディ グラ」 でも有名なゲイ文化も栄えており、私は、店がそうした時代の流れを組み込みつつ、そんな彼に機会を提供できなかったことを、残念なことに思えます。
 それにしても、店は、オーストラリアのシドニーに所在するとはいえども日本文化や慣習の充満する日本食レストランであり、そこに、母国で病んだそうした日本の若者たちの再生の機会が生まれているとするならば、一見、アイロニーな現象のように見うけられます。ただ、それを、日本でもオーストラリアでもない中間的、あるいは橋渡し的その場がその癒し効果の土壌となっているからではないかとも考えられ、これも一種の 「両生現象」 かもしれないと、新発見を得た気持ちでいます。
 
 (松崎 元、2007年10月12日)

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