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    修行第十風景


 私は、店ではまだ一年八ヶ月の経験しかもたぬ駆け出しにすぎないのですが、パートタイム従業員の間では、いつのまにやら最古参となり、ここのところ、シニアの役割にある自分を感じるようになってきました。
 あれほどに口うるさかった板長からも、今では、むしろ大いに頼りにされているかのごとくで (もちろん、私なくして彼のこの年末年始休暇の実行は無理です)、また、店の若者たちからも、それなりの “敬意” をふくめた態度で接せられるようにもなってきています。

 前にも書きましたように、旧店長の時、たとえパートタイムでも、一定以上長く働いた人が辞めてゆく際には、その都度、彼ら彼女らの送別会が持たれました。そうした時、主に週末の店を閉じた後、従業員のほぼ全員が参加して、費用は一切店持ちで、評判のレストランや居酒屋に繰り出したものでした。
 ところが、オーナーが代わって以来、その伝統が姿を消し、ちょうどその境目にあたった幾人かの人たちは、その恩恵を話だけでしか受けられない不運な成り行きとなっていました。
 そうした折、先日、二人の本来ならの該当者が辞めてゆく際、店からの援助はなしでも、仲間同士で送別会をしようとの話が持ち上がっていました。うち一人はキッチンで働いてきた若者で、日本での同業での経験もあり、よく気の利いた働きぶりを示してくれ、私個人としても、何か、ねぎらいをしてあげたく感じていたところでした。そうした時、私にも参加してくれないかとの話があり、年配者は私だけのようなのですが、日曜日の夜、その会に出席することとなりました。
 その“自主”送別会には、費用が自前のためか、都合の付かないという人もいて、私を含めて四人が集っただけでしたが、かえってその小じんまりさが、中身のあるやり取りができる機会を与えてくれました。

 さて、その出席した印象をひと言の宣言に託せばこうなります。
 「日本の若者の方が、バングラディッシュの若者より “ハングリー” だ。」
 これにはもちろん説明が必要でしょう。前回にも書きましたが、今、店には5ヶ国の違った国籍の人たちが入り混じって働いています。その中には、バングラディッシュやネパールという、途上国からやってきている若者もいます (他は、韓国および台湾)。ただより正確に言うと、こうした途上国からオーストラリアまでやってこれる若者は、よく聞いてみると、その国の上層階級の子息たちで、そういう意味では、 “平民” 階級の息子、娘たちでもそうできる日本とでは同列な比較はやや無理なところがありそうです。そうなのですが、店では何の差別もなく同じように働いている彼ら彼女らを同じ目で見てみると、そういう印象がまぬがれないのです。つまり、この日本人だけの自主送別会に参加させてもらって、日本の若者たちの声をより密着して聞いてみると、日本の若者の方が、何か、失わされてしまっているものがあって、その求めているものが、より危うげでより深いように思えるのです。
 もちろん、バングラディッシュの若者とネパールの若者の間でもいくつか違いが見られますが、それでも、彼らが求めているのは一様に、 「実業の習得」 です (そういう点では私と似ています)。ところが、日本の若者たちが求めているものは、 「生きがい」 です。人によっては 「生きる目的」 でもあります。ゆえに、私の目には、「日本の若者の方が、バングラディッシュの若者より “ハングリー” だ」、ということになるのです。もし人生に 「リセットボタン」 といったものがあるならば、それを押したいのは、あきらかに、日本人の彼ら彼女らであるでしょう。

 この小さな送別会の私以外の参加者は、そのように、私と、私の子供の世代の若者三人で、一見、親父を囲んだファミリーの、あるいは、先生とセミナー学生の集いのようなものにも見えたでしょう。ただ、そうした二世代間にあるはずのギャップも、オーストラリアという異世界を供に選択したという共有感のもとではさほどの支障にはならず、むしろ、私の過去二十余年の経験や知恵が、彼ら彼女らの言う、「いい勉強になりました」、というこの会の顛末となりました。
 それにしても、私を改めて驚かせたものは、今の英語学校で展開されている有様は、二十余年も経ながら、私の時のそれと大差はないことで、一例として私があげた、日本人学生の二つのグループ化の話を、 「それって今でもあります」 と、いかにも新鮮な話としてすら受け止める彼ら彼女らであることでした。
 ちなみに、この二つのグループ化とは、日本人語学留学生には、一方に、二十歳前後の親の仕送りに頼るいわば遊・学半々、男女ほぼ同数の “子供” グループがあり、他方に、三十歳前後の、こちらは女性を主体とする、なけなしの自前資金による “お姉さん” グループがあることで、前者はよく遅刻や欠席をするのが特徴なのですが、後者はめったにそれがない真剣さがにじみ、同じ学校に通いながらも、見事なコントラストを形成しているものです。言うまでもなく、わが店で働かなくてはならない理由をより多く背負っているのは、後者のグループです。
 二十年の歳月を隔てても、今でも日本は多くの失意の 「お姉さん」 たちを、オーストラリアに送り出しているようです。しかも、「お兄さん」 たちも増やしながら。

 (松崎 元、2007年12月4日)

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