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両生学講座 第27回
「商品」として見ない精神
以前にも触れたことですが、 「セレンディピティー」(serendipity)という言葉があります。脳科学者の茂木健一郎は 『脳と創造性』 (2005年、PHP研究所) の中で、この語をこう説明してくれています。ちょっと長くなりますが、以下、それを引用します。
- 科学の歴史を見ると、A液とB液を混ぜるつもりが、A液とC液を混ぜたために、今までにない化学反応が偶然起こり、大発見につながった、というようなことが頻繁にある。探し求めていたものとは違うものに出会う、あるいは、特に何も探していなかったのに大発見に恵まれる。このような
「偶然幸運に出会う能力」 を 「セレンディピティー」 と言う。もともとは 「セレンディピティプの三人の王子たち」 という童話をもとに、十八世紀のイギリスの作家、ホラス・ウォルポールが発案した造語だが、二十世紀になって世界的に使われるようになった (セレンディピティプは、スリランカの古い呼称である)。
セレンディピティーの典型例は、十八世紀のイタリアの解剖学者、ガルヴァニの発見である。ガルヴァニは、スープの材料のカエルの足に金属がたまたま触れて、収縮するのを観察したことがきっかけとなって、カエルの足の筋肉が電気で収縮する現象を発見したのである。最近では、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんの 「脱離イオン化法」 の発見も、実験をしている時の失敗がきっかけとなった副産物だった。白川英樹さんの導電性高分子の発見も、他の目的で行った実験の際の副産物だった。
- 偶然の出会いというと、原理的に制御不可能なもののように思われる。しかし、その偶然を必然に化する錬金術に長けた人たちがいる。十九世紀のフランスの数学者、ポアンカレの
「偶然はそれを受け入れる準備ができた精神のみに訪れる」 という言葉は有名である。いつ、どのような偶然が起きるかということ自体はコントロールできなくても、偶然の幸運を生かす能力は、自分の心掛け次第で鍛えることができる。この能力は、脳の遇有性の知覚と関連している。(p.220-21、リンクは松崎)
先日、この、まさに 「セレンディピティー」 そのものであると感じられる、感慨深い体験をしました。
四年前から、私は 「リタイアメント オーストラリア」 と称して、オーストラリアへの移住を支援するビジネスを手がけてきています。このサブサイト
『両生空間』 も、そのホームページをポータル(玄関)としています。ただ、読者もすでにお気付きのように、さる9月より、このHPの様子がちょっと変わり、そのビジネス色をかなり薄めています。それというのも、私のこの事業着手を追うかのように、大手旅行企業もこの分野に参入、このところ、当方にはさっぱり、引き合いすらも来なくなっており、ひとつの見極めを強いられていたことが関係しています。
かくして、このビジネスへのチャレンジそのものは不成功に帰しつつあるのですが、それはそれとして、その体験の中で貴重な収穫を得つつあります。と言うのは、この間私は、実質的にある一人の顧客のみしか相手にしてこなかったところがあり、それが今や、この 「セレンディピティー」 の経験へとも結びつく展開を生んでいるのです。
2004年6月、その顧客から最初の問い合わせを受け取り、いくつかのメールのやり取りの後、私は、ある疑問を抱きました。そこで、 「あまたの企業がある中から、なぜ当社を選ばれたのですか」
との質問を送り、先方からは、 「サイトにある松崎さんの写真を拝見して」 との返答をいただきました。そこで私がとっさに感じたことは、この人は、自分の眼力をこのように信ずる人なんだなということで、そしてそれをもって、ある直観めいた肯定的選択を、私の側でもさせてもらう対応となったのでした。
そのようにして仕事をいただいて今日まで手助けをさせてもらっているのですが、あいにく、オーストラリア政府の定める該当移住ビザ条件が、金持ち以外は相手にせずと言わんばかりに余りに高価で、その方ご夫婦のオーストラリア移住計画は、大きな壁にぶつかっていました。
また、正直なところをいえば、私は、そのような、ほとんど個人対個人の支援サービス提供に、たとえ双方、ビジネスとして了解し合っているとはいえ、それに料金として値段を付け、
「商品」 とすることに、いかに割り切ろうとしてもそうし切れない、ある落ち着きの悪さを終始抱いてきていました。たとえそれがビジネスライクな 「誠意」
の実行であるとしても、それがはたしていくらの価値に相当し、どうしてその額でなければならないのか、根拠の置き所がないのです。(むろん、“相場” という実務手段は採用できますが、では、私の実行している 「誠意」 とは、そんな相場程度のことでしかないのか、などなど)。
そうして先日、その方が最後の可能性を見極めるためにシドニーに来られ、三年ぶりに再会する機会をえました。かくして、いわゆるビジネス機会は再び、私のもとに訪れようとしていましたが、私はもう、この機会をビジネスとして扱う積りはなく、むしろ、久しい友人に接するように、二度にわたる、それぞれ昼食を供にしながら、数時間におよぶ面会をすることとなりました。
これまでにも、私はこの方に、『両生空間』 の開設はお知らせし、各更新の際にも、その案内は差し上げてきていました。そうした次第で、一回目の面会で、実務関連の話がひとまず終わった後、幾つかの私の
「両生講座」 の内容へと話題が移りました。そこで、実に興味深いことに、私もその人も、同じような考えを持っていることを相互発見するに至ったのでした。そう、まるで、期せずしての同志を得たように。
そして、数日後の二度目の面会では、十分に話のやり取りを終えた後、その人は、もう、オーストラリアへの移住はあきらめる決心をしたと言われました。ただ、その点では残念そうではあったのですが、同時に、今回のオーストラリア訪問では私に再会することができ、以前に日本で会った時とは大きく違う私像に接し、移住断念の失意を埋めてかつ上回る、「この訪問のなによりもの収穫となりました」 と、嬉々としておっしゃったのです。私は確かに、前回の日本では、私の 「仮の姿」 を見せていたはずですが、今回では、もはや、その姿を見せる必要はなくなっていました。
その人は、一回目の面会の後、再度、私のサイトを精読され、二度目の面会では、むしろ、こちらの話題が中心となった感があり、私の言わんとしていることを、実に深く理解されていることも分かりました。つまり、かくして私には、一人の稀有な人物との出会いに恵まれるという成果が、いつのまにやら、もたらされていたのでした。
これこそ、私にとって――おそらくその人にとっても――、まさしく、予期していなかった偶然の幸運であり、冒頭に挙げた 「セレンディピティー」 の実行の実例にほかなりません。
さらに、私にとって、それが嬉しく、また、しっかりと確認しておきたいことは、人との出会いという収穫面ばかりでなく、それをもたらした経緯が、私がそうするしかなかった
「商品化」 への抵抗感をつらぬいたことに決定的に導びかれていることです。つまり、ここに 「セレンディピティー」 が見られるとするなら、その成果を 「受け入れる準備」 は 《 「商品」 として見ない精神》 によって成されていたがゆえ、と言うことができましょう。逆に言えば、商品視する精神は、人との出会いを生まないばかりか、脳の創造性を阻害する要因であるとすら言えましょう。
このようにして――今や “実の姿”をなす私もそれを勧めたのですが ( 「仮の姿」 のままの私なら、移住を強引にも勧め続けたかもしれません)――、その人はオーストラリア移住を断念し、再度、日本の中で、彼女らご夫妻の計画を実現する方向を選択されようとしています (これがどういう意味を持っているかについては、また別の機会に述べてみたいと思っています)。そういう意味で、その人は、この間の一連の体験を手掛かりに、オーストラリアを
「卒業」 し、本来の目的地を定められようとしています。
他方、私自身に目を向けますと、寿司修行というある意味での日本回帰を第一点とし、また、一年半後のその修行終了の暁には、その腕をひとつの糧として、ひとまず、アメリカないしはカナダを始めとした、ちょっと長期にわたる各国
“居住” 旅行、すなわち、《純正モナド生活》 に出発する計画でいます。
つまり、そのような意味では、私もオーストラリアを 「卒業」 しようとしており、私が掲げてきた 「リタイアメント オーストラリア」 も、もはや、オーストラリアでのリタイアメント生活というより、
《オーストラリアからのリタイアメント》 を意味しはじめようとしています。
(松崎 元、2007年12月11日)
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