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修行第十三風景
三月七日をもって、修行を始めて満二年となりました。
週七日無休営業となった店で、私は、日、水が休みで、出勤五日のうち、月、火の二日、寿司のつけ場に出ています。
ただ、月曜日はいつもひまで、売り上げも多忙な週末日の四分の一にもなりません。お陰で身体には楽でよいのすが、あまり修行には役立ちません。加えて、三週間前からは、キッチンのスタッフが一人削られ、私は月曜日には、寿司とキッチンの両方をかけもちしています。
一方、火曜日にはお客さんもぐんと増え、それに応じたプレッシャーもかかって、よい訓練となります。寿司はキッチンと違って、お客さんの目にさらされて仕事をするため、一層の緊張を強いられますし、時には、話好きなお客さんの相手もしなければなりません。
このようにして、私の寿司修行は、確かに前進はしているのですが、ここのところ、何かもの足りないものを感じ始めています。
しかも、三年としている私の寿司修行計画は、残すところあと一年のみとなっています。この残す一年で、果たしてどこまで獲得できるのか、店の 「韓流化」
も手伝って、期待できる奥行きを余り見出せなくなってきています。もちろん、修行には、相当の基礎訓練が必要で、それなりの我慢期間が必要なのは承知しています。そうした基礎が十分に身についたとは自分でも胸を張っては言えないのですが、そうした基礎習得を導くスタンダードの高さが見出せない感じで、生意気なのですが、店の先輩や親方(前オーナー)にしても、本腰を入れて毎日を過ごしているようには見られないのです。つまり、雇われ人に徹し始めているのです。
そうした 「奥行き」 は、そもそもこのオーストラリアでは、ない物ねだりであるとは思います。また、おそらく日本でも、私のような時期外れの “狂い咲き”
の徒弟を、誰も本気で仕込む気持ちにはならないでしょう。
そういう意味では、これは私自身の問題として、私なりに工夫し、組み立てて行かねばならないのかも知れません。
寿司屋と言えば、確かに、お客さんと対面して握っている姿が華ですが、仕事としてはそれは半分で、あとの半分は仕込みにあります。ことに、各種の魚をさばく下ごしらえは、寿司ならではの仕事です。
オーナが変わる前は、マグロを除いて、魚は丸のまま仕入れ、店でそれをさばいていました。それが、今では、サケやハマチなどの大型魚の基本的なさばきは魚業者側で済まされて店に入ってきます。タイでも大きなものになると、すでにさばかれています。新オーナーが、大量に仕入れる強みを生かして、その工程を業者側に任せたようです。そのために、魚さばきの訓練の機会も減り、サケとかハマチなどに丸ごと接する機会はほとんどなくなりました。
また、難しさという面では、握り寿司よりは巻き寿司のほうがまさります。それに最近では、うら巻き寿司や、また、それをいろいろにアレンジした創作寿司に人気があり、そのテクニックも様々となります。お客さんも、寿司をカウンターで食べる人は少なく、テーブルでとなりますと、工夫をこらしたまるでケーキのような巻き寿司に人気があるようです。江戸前寿司の伝統という面からみれば、邪道なのかもしれません。ともあれ、お客さんの意向には逆らえません。
(松崎 元、2008年3月10日)
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