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修行第十五風景
別掲の今回の両生講座では、人間にとっての 「物」 と 「心」 の境目の話をしました。
こちらは、その 「物」 の世界の話です。
前回、日本で購入してきた柳葉包丁の話をしました。
この大ぶりの柳葉は、切れ味は怖いくらいですが、なにしろ純粋なはがね製ですので、手入れをちょっとでもおこたると、すぐに錆や、その前段階である変色を発生します。まるで、わがままな子供のようです。
じつは、この包丁を買う前に、先輩にどんな包丁を買うべきか相談したのですが、その際のひとつの助言は、最初からステンレスの包丁を使うな、とのことでした。つまり、はなから錆の出ない包丁に慣れてしまうと、自分の道具を丹念に手入れする習慣がつかない、ということでした。
そうして、ともあれオーストラリアにその柳葉を持ち込み、使い始めたのですが、その初日で、その包丁の先を何かにぶつけてまったらしく、少々、欠けさせてしまいました。そればかりでなく、まさか、はがねがそれ程早く反応してゆくものとは思わず、ことに、寿司ですから酢つまり酸を含んだものを切るのは日常ごとで、はがねにとってはまことに厳しい環境にあったわけです。そんなことも良くわきまえずに、その柳葉を使いだしたものですから、わずか一日で、その身のあちこちに、うっすらと変色を発生させてしまいました。せっかくの包丁なのにと、後悔はおこったものの、もはや、あとのまつりです。ここに、まさに先輩の指摘した、自分の道具を丹念に手入れする動機を、自らして発見する次第となったわけです。
さて、こうして、毎日、営業が終わり、片付けも終わった最後の私の仕事は、一日使ったこの柳葉の手入れです。先輩も同じことをしますから、彼のその作業が終わって、流しが空いてから、私の作業が始まります。ですから、すべてが終わる時は、他の皆の後始末も終わった、一番後となるのもしばしばです。
まず、クレンザーで、包丁全体の汚れを落とし、ことに、うっすらと浮びかけている変色は丹念に磨いて落とします。それを終わらせて、いよいよ、砥ぎに入ります。
最初、私は、その欠いた剣先を戻そうと、中砥ぎの砥石を使って砥ぎを急いだものですから、かえってそのほかの部分の刃先を荒らしてしまい、小さなギザギザを付けてしまいました。それを見た先輩の助言は、 「中砥ぎでなく、仕上げ砥ぎを使え」 でした。
仕上げ砥ぎの砥石は、その表面はつるつるで、それが砥石のようにはまるで見えません。ですから私はそれまで、そんな砥石を無視していたのですが、先輩は、それを使えと言うのです。
そもそも刃物を砥ぐのは、時間を要する根気のいる作業なのですが、この仕上げ砥ぎの作業は、その典型とも言えます。その滑らかな表面に問題の柳葉を当て、まるで手ごたえなく前後動を繰り返す作業は、なんとも
「暖簾に腕押し」 的で、その効果すらも疑ってしまうような作業です。
ともあれ、砥ぎは時間を要しますから、その作業を一晩の限られた時間で終わらせるわけにもゆきません。そこで、幾晩かをかけて、その仕上げ砥ぎを続けてみました。
するとどうでしょう、三晩ほどたったある日、その柳葉の刃身が、まるで鏡のように輝きはじめているのです。それまで、すりガラスのように曇っていたその表面が、つやつやと光りだしているのです。すなわち、中砥ぎという荒い砥石で細かく付けられたキズが、仕上げ砥石のそのつるつるな表面、つまり最微粒子による磨きがかけられて、滑らかな平面に仕上げられてきていたのです。そして、それに伴って、刃先にあった細かいぎざぎざもなくなり、まさにカミソリのような刃に変わっていました。
おそらく、こうした変化は、刃先に起こっている、ミクロン、あるいは、はがねの分子単位の変化の結果なのでしょうが、そのようにして、私の柳葉は、まるで本物の日本刀のような風貌をもつようになってきました(下に写真)。
以前、まだ、日本にいたころ、あるいはもっと後でも、たとえば、私が日本に帰った際、久々に戻ってきたというので、家族が、よく、寿司をとってくれました。その際、なつかしい日本の味に舌鼓を打ちつつ、ふと取り上げた海苔巻きの切り口に、さまざまな形の、米の一粒ひとつぶの断面が見られ、あのねばねばした米粒のいちいちを、よくもこんなにシャープに切断できるものと、感心させられたことが一度となくありました。
今では、私は、その切り口を切って見せる側にあるのですが、あの日本の鮨屋の板さんの柳葉も、きっと、こうした手入れが繰り返された、みごとな輝きを放っていたことでしょう。
刃に輝きが付いてきましたが、まだ完成ではありません
(2008年5月11日)
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