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    修行第十八風景


 時間は私の味方のようで、このごろ、寿司を握っていても、以前ほど緊張することもなくなり、ある気重さも軽減してきています。
 先日も、なかなか口の厳しい先輩から、 「形が良くなってきた」 と言われました。自分でも、握って並べてみて、どこか素人くさかった寿司たちが、何か、だんだん寿司らしくなってきたなと思っていたやさきでした。毎日々々、繰り返しくりかし、同じことをやっていること、その成果です。そういう意味で、時間は味方です。

 そのようにして、今、週三日は寿司に、週二日はキッチンに立つのですが、時には、一日のうちで、両方を掛けもちすることもあり、店での存在も、確かに、セニアの位置に移ってきています。
 ことに、キッチンに立つ時は、今では天ぷらに当たることも少なく、多くは、全体を切り盛りする役に回って、 「長」 の立場に近づいてきたなとも思わされます。
 ただ、ほんとうの 「長」 といわれるには、沢山の自分独自のレセピーを持たねばならず、それには文字通り、十年台の経験が必要とされます。
 こうして、全体を見る立場に立つようになって面白いのは、材料切れが出るとか、下ごしらえ不足の品目が出るとか、特に忙しさが集中している部門がでるとか、そうした全体の流れを乱す事態の起らぬよう準備し、手当し、必要なら自分で皿洗いまでもして、それがうまくいって、限られた人数にしては大きな売り上げを支えきる事ができた時、スタッフの一同が晴ればれとしていることです。
 ことに私がチーフとしてキッチンを担当する土曜日は、週で最多忙となることが多く、それだけにプレッシャーも重く、何というのか、そういう時にこそ、彼らが信頼してフルパワーを出してくれている、とでも言うのでしょうか。そうした共同の達成感と満足感を導き出す仕事、それが何とかできるようになると、不思議に、スタッフたちは言うことを聞いてくれるもんですね。
 そうしたスタッフたちは、ほぼみな、私の息子や娘ほどの若者たちで、しかも、出生国の違う、異なった文化同士のごちゃまぜです。ですから、たとえ日本料理のレストランとはいえ、味付けや盛り付けは別としても、そこに日本流のなにがしが通用するとは限りません。私はですから、あまり日本流は意識しないで、まったくの自分流でやっています。ある面では、かえって自分の素直な持ち味をそのまま表わすこと、それが結構、うまく働いているように思います。そうです、人柄は国境をも越える共通の言語のようです。

 (2008年7月31日)

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