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修行第二十一風景
昨日、自転車のメーターが9800kmを超えました。あとひと息です。
さて、先に柳刃包丁の話をしましたが、この修行をしていると、料理は道具だ、との感をますますと深くします。
話はちょっと前ににさかのぼるのですが、飯台が新しいものと取り代ったことがありました。
飯台というのは、しゃり切りをする大きな木のたらいのことです。その、先のオーナーが日本からもってきて使い込んできた飯台――直径が80センチほどあって、日本時代も含めると30年近くも使ってきたもの――が、色もすっかりと黒ずみ、あちこちが擦り減り、ことに底板は凸凹に変形し、つなぎ目が合わなくなって底が抜けてしまうことも度々となっていました。
そういう年季も入り、言われもある飯台でしたので、私も、簡単には捨ててしまいたくなく、タガを少しゆるめては、ばらばらになった底板を再度はめこみ、そしてタガを締め直して、なんとかだましだまし使っていました。しかし、それが頻繁となると、修復に要する時間も並ではなく、他の仕込み作業にも支障が出始めるようなことにもなりましたので、とうとう、新調してもらうことにしました。
ひと月ほどして、まだ木の香もういういしい新品の飯台が到着しました。古いものより小ぶりで、直径にして8センチほど小さく、深さにして2センチほど浅いものでした。
使い始めてまず発見したことは、これくらいの違いなのですが、しゃり切りを始めると、扱えるご飯の量がうんと限られてしまうのです。感じとして、今までの6割ほどです。無理に増やしてやると、深さが足りないものですから、ご飯は飛び散るし、それに何より、切りの勢いを落とさざるを得ず、従ってご飯と酢の混じり具合も不完全となりがちでした。そこでやむを得ず、量を減らし、回数を増やすことで、この問題を解決することとなります。
(これから夏に向かい、寿司の売れ行きが伸びて切るしゃりの量も増えるのですが、一回ですむものを二回、二回ですむものを三、四回とすることで無駄になる時間も、毎日のことですからばかにはなりません。)
こうして使い始めてひと月ほど経ったある日、私がしゃり切りを終わってそれを洗っている時でした。
忙しい時で急いでいたのですが、その際、右手でタワシを持ってこすりながら、飯台を回転させようとその外側を勢いよくすべらせた左手に激痛が走りました。数ミリほど飛び出していた釘の頭が、左手の人差し指と中指の又を切り裂いたのです。お陰でその日は、応急処置をした上にゴム手袋をはめ、その中を赤く染めながら、ぎこちなくかつ腹立たしく、お寿司を握っていました。
この釘についてなのですが、実は、当初から気になっていました。その飯台には、なぜかそのように、上下二段のタガにそれぞれ四か所づつ、釘が打ってあったのです。古い飯台にはそんなものはありませんでしたしそもそも不必要でした。で、怪我の後、よく調べて見ると、なんとそのタガは輪になっているのではなく、一枚の薄い帯状の銅線
(おそらくメッキものでしょう) が、ぐるっと巻きつけられ、釘でとめてあるだけなのです。つまり、輪で締め付ける効果はなんらしていない、見かけだけのダガなのです。
そうしてさらによく見てみると、通常ならタガで締め付けられて接合されているはずの各木片のつなぎ目が、釘が抜けかけタガが緩んでいても、少しの変化もみせず、わずかなガタつきもないのです。つまり、どうやら各木片同士は接着剤ではりつけられているようなのです。
それが最近になると、洗ったあとで日干しにする際、木が乾燥して縮み、上の端よりその接着が離れてつなぎ目に隙間が見え始め、乾燥を直そうと水を張っても、早くも水漏れし始めています。
そうした具合で、こんないいかげんな飯台を作ったのは誰かと、ひっくり返して底裏を見ると、焼印で、その製造元らしい漢字名と、「Made in 」
までは読めるのですが、その先が、たまたまなのか意図的なのか、いかにも焼印が不完全であるかのように薄れて読めない表示があります。
かく、それがどこの国製かは判りませんが、ともあれ、これは飯台とは似て非なるものです。
新オーナーは、これを出入りの業者を通じて購入したようですが、おそらくその値段は、たいしたものではなかったでしょう。
ちなみに、先日、インターネットで、日本の木製飯台の値段を調べてみたのですが、いまだに手作りで、このサイズのものですと、一台3〜4万円ほどもします。もしそれを輸入するとなると、ここシドニーでの入手価格は、おそらくその倍にはなるでしょう。
今、このもどき飯台を使い、その接着剤こそは安全なものであると願いつつ、回数の増えたしゃり切りをしています。
確かに言えることは、この形ばかりの飯台が、来年の今頃、はたしてまだ使用に耐えているかどうか、誰も確信がもてないことです。
(2008年9月11日 巨大なヤラセ七周年の日に)
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