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修行第二十三風景
「職人根性」 という言い方があります。いい意味も悪い意味にも使われるようですが、ここではその前者です。
それはまた 「職人気質」 とも言われますが、たとえば寿司職人の場合、タネの鮮度や産地についてのこだわり、これがなくては寿司屋とは言えません。がんこにそのこだわりを持ち続けているという、お気に入りの寿司屋の親方の、それだからこそあるその人物への愛着とも重なり合った信頼、これこそが、ごひいきの根源です。
そこには、今回の 『 「産地偽装」 あれこれ』 にも書きました 「お金化」 に抵抗する姿勢や伝統といってもいいものがあります。ただ、それをそうまっこうから採り上げてしまうと、親方はおそらく、
「それはやぼだよ」 とそっぽを向くのでしょうが、理屈や観念ではない、生き方と織り合わさった姿勢がそこにあります。
そうはいっても、近年、そうしたこだわりを維持していたのでは、仕入のコストは天井知らずで、ひいては、a) 損覚悟で高価なタネを手ごろな値段で味わっていただくのか、b)
相応のお代をいただくのか、さもなくば、c) タネへのこだわりを緩めるのか、の岐路に立たされます。
当然、a) は長もちせず、町の寿司屋さんの多くが姿を消し、b) が高級化でお客を選別して生存を維持し、そして庶民向けには、c) が企業の組織力を駆使して、たとえば
「回転寿司チェーン」 を展開しています。そこで使われているタネの仕入れ先は、まさにグローバル化そのものであるようです。
ここシドニーでは、一部、 「回転寿司」 の普及がみられますが、日本では見られない形態で生き残っているのが、俗にこちらで 「ジャパレス」 と呼ばれる
Japanese Restaurant という業態です。それは、一時代のデパートの食堂で、寿司屋やてんぷら屋といった専門店のすべてが合体したようなもので、寿司からてんぷら、とんかつ、照り焼き、どんぶりもの、すきやき、しゃぶしゃぶ、うどん、そばまで、いわばなんでもあります。もちろん、
「食堂」 呼ばわれされたくない高級志向の 「ジャパレス」 もありますが、私の修業中の店は、まあ、その中間といったところでしょうか。そして、店の中の店といった感じに、店内の一角に
「寿司バー」 コーナーが設けられ、寿司へのこだわりを表しています。もし、日本からのお客さんがこの店に来られれば、何十年か前の日本の風情に出会われることでしょう。
話題が少々脇道にそれましたが、テーマの 「職人根性、職人気質」 について、まだまだ駆け出しに過ぎませんが、私も、そうなりたいと志しはしています。
ただ、それは、本人の願望としてはそれで結構なのでしょうが、実際の腕の裏付けなくては無い物ねだりに過ぎず、しかもその腕の形成は文字通り年季のいることであります。
私も、寿司バーに出るようになって数か月、直接にお客さんと接していて感じることですが、やはりお客さんの目は、たとえば、いかにも素人離れした手の動きに惹かれるようで、私の素人くさい動作なぞ、すぐに新米と看破されてしまいます。ましてや、出来上がった寿司の見栄えとなると、やはり明らかな違いを認めざるをえません。
片や二年年半しかない年季と、片や十年、二十年のそれとなると、包丁さばきひとつにも、はっきりとした差が現われます。
今の私にとって、この先二十年の修業とは想定外ですが、しかし、そうした年季の厚みなくして、上に述べた、タネへのこだわりも意味をなしませんし、むろん、実行もできません。
はっきり申して、二年そこそこでは空念仏の時代で、まだ、魚の下ろしすら満足にはできません。下ろしもできないものに、魚の良し悪しが実行できるはずもありません。私の切った刺身など、形もわるくて、とてもじゃないですがお客さんの前に出せません。
せめて、未熟なことをそれとこころえている駆け出しにはなりたいと思っています。
(2008年10月24日)
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