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翻訳資料
本文著者のジョナ・レーラー (Jonah Lehrer) は、 『Proust was a Neuroscientist』 (米国、Mariner
Books社から出版されたばかり)の著者。この原文は New Yorker 誌が7月28日号に掲載したものを、Australian Financial
Review 紙が10月24日号に再掲載したもの。原文の題名は 「It’s a Know Brainer」。 翻訳は松崎 元 (小見出しと太字は翻訳者)。
奇跡的に生還した消防隊長
1949年のモンタナ州の夏は、長く乾燥していた。州の最高気温を記録した8月5日午後、山岳地の松の森林が、落雷による山火事を起こしていた。15名からなるパラシュート下降消防隊が、その消火のために派遣された。その隊長はワグ・ドッジだった。この下降消防隊がC47輸送機でミソウラを飛び立った時、火勢は弱く、マン峡谷に散在しているとの情報だった。
延長およそ6kmのマン峡谷は、大平原がロッキー山脈と出会う地形学的な変化を見せる地帯で、松の木の森林が背高な草原へと変じ、急峻な崖がミッドウエストの大草原の上にそびえている。最初、火の手は峡谷の片岸で発生していたが、下降消防隊が到着するころには、その火勢は手のつけようもなくなっていた。ドッジ隊長は隊員に対岸に下降し、川に向かって崖を下るように命じた。
消防隊が崖を下り始めた時、風は火の手を向こうに押すように吹いていたが、突然、風向きが変わり、炎が峡谷を飛び越え、自分たちの側の草を燃やし始めた。消防隊はすでに数百メートル、崖を下っていた。火勢が上昇気流を発生させ、谷中の空気を吸い込んで強風となった。隊長は、その高さ15メートル、奥行き100メートルの炎の壁に気付いたが、火はまたたくうちに草の上を走り始め、消防隊に向かって毎分200メートルの速さで迫り出していた。
ドッジ隊長は部下に大声で撤退を命じた。彼らは装備を投げ捨て、稜線をめざし、急な峡谷の崖を登り始めた。数分後、ドッジは、火勢が50メートル以内に迫っていることを背中越しに見た。彼は、火勢は衰えず、崖は急すぎ、火の迫りが早すぎることを覚った。
ドッジは走るのをやめた。そして、その決断は思ったほど自殺的ではなかった。一瞬の必死の洞察が、その脱出法を変更させた。彼はマッチに火をつけ、足元の地面に点火した。その火はたちどころに燃え広がり、草地の斜面を登っていった。ドッジはその火の背後に入り、燃えた地面の空間に自分を取り囲ませた。彼は自分のハンカチを携帯食の水で濡らし、それで口をおおって、残り火のくすぶる地面に身を伏せた。両目を閉じ、地表面にかろうじて残された酸素を吸い込むことに努めた。そして、火が頭上を通り過ぎるのを待った。
この山火事で、13人の消防隊員が命を失った。今日でも、稜線下に、白い十字架がいくつも、そうした男たちが死んだ場所を示して残されている。そうした恐怖の数分間の後、ドッジは灰の中から起き上がった。ほとんど無傷だった。
洞察経験; 二つの特徴
洞察の瞬間には、なにか神秘的ものがある。ワグ・ドッジの場合、火から逃れるアイデアが、どこからやってきたのか、彼には説明できない。( 「理にかなったすべきことと思えた」
が、彼に説明できる全てであった)。アルキメデスが入浴中に叫んだ 「これだ!」 や、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て重力の理論を抱いたように、彼のあり得ない生還は、洞察についての伝説のひとつにさえなった。
そうした伝説には、すべてに共通した特徴がある。すなわち、心理学者や神経科学者が 「洞察経験」 と呼ぶものである。いずれも最初にそのひらめきがあったことで、それに思いつく前には、ある行き詰まりがあった。ワグ・ドッジのケースでは、火から逃れようと数分走ったものの、それが無益なものに思えた。そこに、その洞察がやってきた時、ドッジは即座に、これでいけると感じた。ここに、もうひとつの洞察の特徴がある。すなわち、その洞察についての、それを確信できる感覚である。ドッジには、その考えが役立つかどうか、思案する暇もなかった。ただ、それがいけると直感できただけであった。
右脳の不思議
ノースウェスターン大学の神経科学者、マーク・ユング-ビーマンは、過去15年間、人が洞察を得る時、脳の中で何が生じているのかを確証しようと努めてきた。
「それは、人の意識ならではの特徴で、それがどのように、そしてなぜ起こるのか、我々はまだ知らないのです」 と、彼は私に話した。洞察はしばしば、神的現象とみなされるが、この神的洞察を大脳皮質の回路間の関係を地図化することによって、ユング-ビーマンは、洞察経験に神秘性が介在するのを排除しようとしている。ユング-ビーマンは、きりっとした笑顔、広い額、そして、長距離ランナー特有の体格を持っている。彼は1500メートル走で1988年、1992年の両オリンピックに出場したが、その後、競技からは離脱した。彼はそれを、
「腰から下のなにもかもが別物になり始めた」 とその理由を語る。今は、長距離歩行とタップに打ち込んでいる。ユング-ビーマンがひとつのアイデア――ピラミッド状神経の細胞的特性――について述べ始めると、彼の口調はスピードを増し、手当たり次第、手元の紙に絵を描き始める。それはあたかも、彼の思考が、口よりも先走って跳躍しているかの如くである。
ユング-ビーマンは、1990年代の初め、右脳の研究のかたわら、洞察の特性について関心を注ぐようになった。その当時、彼は脳損傷による特徴的パターンをもった患者を研究していた。
「我々は右脳損傷の患者を幾人か受け持っていた」。 「そして医師たちはいつもこう言っていた。 『君らは幸運だよ。それは右脳だったからね。右脳はマイナーな脳だよ。それは言葉にはあんまり関係していないからね。』
」、と彼は言う。 しかし、そうした患者が深刻な認識障害を、ことに言葉のニュアンスの理解にもっており、彼はしだいに、右脳の役割が見過ごされていると感じるようになった。もし左脳が明示的な機能――言葉の基本的意味を保存――をつかさどっているとするのなら、右脳は暗示的な機能――文章や比喩の感傷的表意といった辞書の機能では扱われない分野――をつかさどっているのではないかと推測した。
「言葉というのは極めて複雑なもので、脳はそれを同時にふたつの違った方法で処理している」 と彼は言う。 「それは木と同時に森もみることだ。右脳はその森を見ることに寄与している」。
だが、認識のこうしたニュアンス部位を特定するのは容易ではない。とういうのは、左脳の損傷とちがって、右脳の損傷の結果はその場所をつきとめるのが困難だからだ。しかし、1993年、ユング-ビーマンは、心理学者のジョナサン・スクーラーによる洞察の瞬間についての研究発表に接した。スクーラーは、人がパズルを解く際、その解明過程を説明させること――彼が
「言葉の不便さ」 と呼ぶ現象――によって、洞察に関与できることを発表していた。この発表はユング-ビーマンにとっても有益なものだった。というのは、言葉による説明という行動は、ふつう左脳で活発におこなわれるもので、右脳からやってくる微妙な関連付けを往々にして無視するものであるからだ。
「それが、右脳が行う機能のすべてを知るために、洞察というものが実に興味深い着眼点であると覚った瞬間でした」 。 「つまり、私は、洞察について洞察したのです」
と彼は言う。
パズル実験
ユング-ビーマンはこうして、右脳を脳内の洞察の根源とする研究を始めた。彼は、洞察によって瞬時に解けたパズルと、可能な解決をいろいろ試して――そこでは人は自分の思考過程を厳密にたどることができ、解けた時、何ら驚きの感覚はおこらない――解けたパズルとを、比較することにした。しかし、科学者たちが洞察を研究しようと開発したパズルはすべて洞察を必要としていた。つまり、問題が突然の
「これだ!」 によって解決されないかぎり、それはまったく解けなかった。たとえば、 「ろうそく問題」 と呼ばれる有名なパズルは、数個の画鋲、ひと箱のマッチ、一本のろうそくが入ったボール紙箱が与えられる。そして、そのろうそくをコルク掲示板に取り付け、うまく火をともすよう命じられる。すると、およそ90パーセントの人は、同じようにふたつの方法を試みる。ひとつは、ろうそくを掲示板に直接画鋲でとめる方法である。ただこれは、ろうそくを壊してしまう。第二は、ろうそくにマッチで火をつけ、溶けたろうで掲示板にくっつけようとするが、うまくくっつかないでろうそくは落ちてしまう。ただわずか4パーセントの人だけが、ろうそくをボール紙箱に立て、その箱を掲示板に画鋲でとめるという解決法を考え出す。
ユング-ビーマンは、洞察プロセスをつかさどる脳活動をつきとめるため、洞察あるいは分析の、いずれでも解決できる、いくつかのパズルを作り出す必要があった。そして、そうすること自体が、これまたパズルであった。
「実験として有効なパズルをみつけるのはけっこう骨の折れる仕事でした」 と彼は言う。 「そうしたパズルは難し過ぎても、易し過ぎてもダメで、いろいろ実例をつくらなくてはならなかった」。だが彼はついに、1960年代、心理学者たちが使っていたものを基礎に、口述による一連のパズルを作り上げた。それは
「複合分離連想」 、略語でCRAと呼ばれた。
CRA言葉パズルでは、問題は三つの言葉で与えられた。たとえば、 「pine」 「crab」 「sauce」 が与えれ、この三つの言葉に共通してつながる言葉は何かと問われる。この場合、答えは
「apple」 (pineapple, crab apple, apple sauce)である。それぞれの問題には、30秒の時間制限があった。被験者が答えを思いつくと、キーボードのスペースバーを押し、そして、洞察か分析か、いずれかによって得たその答えを打ち込んだ。私がユング-ビーマンの研究室での実験に参加した時、二つの認識上方法を使い分けることがとても簡単なことを発見した。私が分析で答えを解く時、可能な言葉の組み合わせを声をだして読み上げ、それを他の言葉と組み合わせた。そして、回答に到達すると、スペースバーを押す前に、常に、再度、それが正しいかチェックした。その一方、洞察で答えを解く時は、それが即座にやってきて、天からの黙示のようにその答えが得られた。
脳内特性の測定
ユング-ビーマンは当初、被験者に磁気共鳴画像装置 (fMRI) ――血流の変化を調べることで神経活動を追跡する脳断層装置 ――の中でそうしたパズルを解くように求めた。しかし、この装置は、大脳皮質の血液の流れを、3〜5秒の遅れをもってしか計測できなかった。彼は、
「洞察はこの装置よりうんと早い」 と言い、 「そうして得られたデータは混乱しすぎている」 と説明した。ただその頃、彼は、ドレクセル大学の認知神経学者、ジョン・クニオスとチームを組む機会があった。クニオスは洞察に大変関心を注いでいた。というのは、洞察は学習の典型的な考え方、つまり、それは段々に発達する、とする考えと矛盾しているように見えたからだった。クニオスは、脳波――グリースを塗った電極が取り付けられたナイロンの帽子をかぶって脳から発生する電気の波を測定する――の研究に取り込んでいた。脳波の場合、時間的ずれはないため、クニオスは洞察による瞬時のプロセスを検査するには格好と考えた。だが、電気的な波は、その正確な発生源を突きとめることができなかった。だが、クニオスとユング-ビーマンは、脳波と磁気共鳴画像を組み合わせれば、時間的にも位置的にも両面に正確な洞察プロセスの脳地図を作り上げることができるのではないかと考えた。
2004年と2006年に発表されたそうした研究は、パズルが洞察で解かれた際には、大脳皮質の特定部位に活動がみられることの発見をもたらしていた。その発見は、何でもないもののように見えたが、ひとつの突破口を提供していた。つまり、答えを解く過程で活動化する最初の部位は、前頭葉や腹側前帯状皮質のような命令執行にあたる部分であった。彼らは、そこが問題解決のために顕著な計算上の能力をもって役だっていることから、これを 「準備段階」 と呼んだ。たが、視覚野のような各種の感覚野は、こうした命令執行の部位が、起こりうる乱れを抑制している際は沈黙していた。 「皮質がそうするのは、私達が考えようとして眼を閉じるのと同じ理由です」 、「集中するとは、他を排除することなのです」 とユング-ビーマンは言う。
次におこるのは 「探索段階」 とされるもので、脳は、関連するすべての部位に答えを探し始める。というのは、ユング-ビーマンとクニオスが言葉パズルを与えると、会話や言語に関連する部位の活動が加わる。だがこの探索はすぐに不満足を呈し、正しい言葉を思いつかず、数秒のうちに行き詰まりを覚る。
「脳に浮かぶほとんどすべての可能性は誤りであったということとなり、探索を続けるか、それとも作戦を変え、必要ならどこか別のところでの探索をするのか、その判断が命令執行野にまかされることとなる」
とユング-ビーマンは言う。
しかし、往々にして、脳はあきらめようとするまさにその時に、洞察を発揮する。 「椅子から突然立ち上がり目を見開く人をよく見ます」 と、ユング-ビーマン研究室の院生でCRA実験に取り組んできた、エルザ・ウェグブライトは言う。
「そればかりか、彼らは、答えを口にする前に 『これだ!』 と叫ぶ」 と彼女は言う 。洞察はこうして突然に、脳活動の爆発とともにやってくる。被験者が答えに達する100分の3秒前、脳波はガンマ波――脳が発する最高周波数をもつ――の急上昇を記録する。
ガンマ波は、大脳皮質全体にわたる細胞が新しいネットワークを形成し、それが意識に上る際の、神経の 「結合」 によって生じると考えられている。それはあたかも、洞察が白熱光を発するかのごときである。
なぜ早朝なのか
ユング-ビーマンとクニオスは、ガンマ波の一撃の数秒前に脳の中で何が生じたのかを求め、もとの磁気共鳴画像装置より得た情報を分析した。クオニスは 「私がもっとも心配だったのは、結局、何も発見できないのではないかということだった」 が、 「脳波が結局、脳の画像を何も描かずに終ろうとも、私は結構な可能性はあると思った」 と言う。彼らがそうしたデータをとっていた時、右脳表面の小さなしわ――前上側頭回――が洞察の一秒前に異常に活発となっているのを発見した。その活性化は、血流の上昇を意味する、突然で強力な電気的高揚であった。前上側頭回の機能についてはまだほとんど謎であるものの――脳は難題で満たされている――、ユング-ビーマンは、それが洞察プロセスに関係していることを知っていた。というのは、いくつかの先行研究が、その部位が、たとえば文学のテーマとか隠喩の意味とかといった、言葉の解釈に関係した分野であることを示していた。そこでユング-ビーマンは、こうした言語的能力は、洞察のように、脳が、隔たっていたために、前例のなかった一組の結合をつくることを必要としていると考えた。彼は、右脳の細胞が左脳のものより 「おおまかに作られ」、より長い分枝とより密な突起を持っていることを示した他の研究をあげた。 「この意味は、右脳の神経が皮質のより広い分野からの情報を集めていることなのです」 、そして、 「それらは厳密性には欠けるものの、結合性に富んでいる」 と彼は言う。脳が洞察を求めている時、それらの細胞がその働きをするらしい。
ユング-ビーマンとクニオスの概説によると、洞察のプロセスは、デリケートな認識の均衡の作業であるという。最初、脳は特定の問題について、注目された限られた資源を総動員する。しかし、脳が一度ある焦点をみつけると、皮質は活動をゆるめてリラックスし、右脳のもっと広範な連関をみつけようとし、これが洞察を下準備する。
「このリラックス段階が決め手なのです。だから洞察がいい気持ちで風呂にはいっている時によく起こるのです」 とユング-ビーマンは言う。彼らによると、もうひとつの洞察に最適な時は、ちょうど目覚めたばかりの早朝であるという。半眠状態の脳は、まだ無方向で雑然としており、どんなとっぴな考えにも門を開いている。右脳はまたこの時、きわめて活動的なのだが、 「問題は、いつも我々は、早朝、子供を遅れないように学校へやらねばならず、あまりに忙しすぎる。だから、ベッドからは跳ね起きなくてはならず、ゆっくりと考えている暇などありません」 と、彼は言う。だから難しい問題をかかえている時、我々は、ベッド内での時間を確保するため、目ざまし時計を数分間早く合わせておけばよい、と彼は助言する。我々は、まだ半分寝ている時、自分の最高の考えを得るのだ。
ユング-ビーマンとクニオスが見るように、洞察プロセスは、偶然かつ遇有的な結合によってなされる、認識上のゆとり中の出来事――脳は当座の任務に集中されていなければならない――なのである。私達は、集中していなければならないが、しかし、脳が自由に散策できるような集中でなければならない。
ロンドンのゴールドスミス大学の心理学者、ジョイ・バタチャルヤは、思考のこうした特異なパターンとして定義される脳の活動について研究してきた。彼は、脳波を用いて、その8秒前以内で、どの被験者が洞察によりクイズを解けるかを予告することができる。そのひとつの予期的兆候は、右脳から発生するアルファ波の安定したリズムである。アルファ波は、リラックスした状態に特に関連した脳波で、バタチャルヤは、そうした脳の状態は、脳が新らしく非凡なアイデアをいっそう受容可能としている時である、と捕えている。彼はまた、被験者が十分なアルファ波活動を示していない場合、与えられたヒントをうまく活用できないことも発見している。
この研究によって導かれるべき教訓は、洞察を強要しようとしても、それは逆効果であることだ。通常、難題を解くためによい方法とは、集中し、拡散を避け、関係した詳細にのみ関与することと考えられがちだが、この意識の凝り固まった状態は、即座な突破へと導く創造的結合を阻害する。つまりそうして我々は、奨励されるべき脳の状態をむしろ抑圧しているのだ。ジョナサン・スクーラーは最近、大きな視界でなく、詳細な視界に人々を集中させることは、洞察プロセスを著しく阻害することを実証している。
「それは、脳を左脳状態への移行をさせることで、得るところはあまりない。それは、右脳から得られるより全体的結合への集中をやめさせてしまう」 とスクーラーは言う。
一方、昨年に発表された研究によると、ドイツの研究者は、統合失調気質――統合失調症 〔以前は分裂症と呼んだ〕 に似ているがはるかに軽微な症状の精神状態――を持った人は、そうでない人より、洞察によって問題を解くのが顕著に上手であることを発見している。統合失調気質の被験者は、より高まった右脳機能をもっており、創造性や結合した思考の方法において、より高い特性をもつ傾向がある。
リラックスの効用
スクーラーの研究はまた、意識を散策させることへの悪評を再考させようとしている。脳はあまりに容易に取り乱されると主張されがちであるが、スクーラーは、むしろ、意識を散策させることが不可欠であると確信する。
「科学の歴史をちょっと振り返るだけで良い。偉大な考えは、常に、人が脇道にそれた時、彼らが本業とは関係のないことをしている時にやってきている」
と言い、彼は事例をあげる。19世紀の数学者、ヘンリ・ポアンカレが、その非ユークリッド幾何学への未来的洞察を得たのは、バスに乗っている時だった。ポアンカレは、
「私がステップに足を置いた瞬間、そこへと通ずるどんな事前の思考もなく、そのアイデアは湧いてきた・・・ 私はそのアイデアを確かめようともしなかったし、そうしたいとも思わなかった。バスの席に着くまで、私はすでに始まっていた雑談を続けながら、その完璧な正しさを感じていた」
と書いている。ポアンカレは、その突然の数学的洞察を、 「無意識の働き」、つまり、バスの中での友人との会話といった無関係の行動に携わっている間にも、数学的熟考をできる能力のためとしている。彼の1908年のエッセイ、
『数学的創造』 の中で、ポアンカレは、複雑な問題について考えるに当たって最適な方法は、行き詰まりにぶつかるまで、自分をその問題に浸らせつづけることだ、と主張している。そして、
「何も成せるものがない」 と思えた時、 「散歩とか旅行とか」 をすることで、自分を乱させる道をみつけるべきだ、という。解答は、もっとも自分が期待していなかった時にやってくるのだ。ノーベル賞受賞物理学者、リチャード・ファインマンは、トップレスバーでのリラックスした雰囲気を好み、そこでセブンアップを飲みながら
「エンタテイメントを見」 、そして、インスピレーションがやってきた時、その方程式を、手元のナプキン紙になぐり書きにした。
ユング-ビーマンとクニオスは、いろいろな実用的アドバイスは用意していないものの、求められればポアンカレのように語り始める。 「後退する時を知るべきだ」
とクニオスは言い、 「作り出せ、作り出せと強要ばかりされる環境のもとでは、ストレスを感じるだけで、なんら洞察にはたどりつけない」 と続ける。カフェイン、アデラル、リタリンといった刺激剤は、集中の増進には助けとなるが――最近の調査では、20パーセント近い科学者や研究者が
「集中促進」 剤を服用している――、ユング-ビーマンとクニオスによると、薬剤は、集中度をシャープにはするが、意識の逍遥を阻害して、洞察を難しくさせるという。どうやら、集中は、減退した創造性という見えないコストを課しているようである。
「グーグルの本社には卓球台が用意されているが、それも理由のあること」 とクニオスは言い、 「もし、洞察を高めたいと思うなら、リラックスすることを奨励すべきだ」
と指摘する。ユング-ビーマンの最新の論文は、いいムードにあるとき、なぜクイズを解く洞察に良いのかを研究したものだ。(平均20パーセントほど、複合分離連想の問題を解く割合が上昇するという)。
クニオスとユング-ビーマンは昨年、米国防高等研究計画局に招かれ、彼らの研究成果を発表した。 「とても変な感じだった」、 「私は自分が国防官僚に創造性について話すなんて、考えたこともなかった」
とクニオスは言う。国防高等研究計画局は、戦争遂行中に洞察をみちびく方法や戦場での創造性を促進することに関心をもっていたという。二人は、洞察が
「高度に管理される」 のもそう遠いことではないと信じているようだ。 「これは、新しい薬剤か技術か、それとも私達の環境を組み直す新しい方法かもしれない。我々は、入浴を勧める以上のところに、そう遠くなく到達するだろう」
とユング-ビーマンは言う。
今のところ、洞察を促進する科学は、逸話や、ポアンカレのように、そうした状態を常に導けた人々の経験談の段階にとどまっている。クニオスは、複合分離連想の洞察実験を受けた禅師についての話をした。最初、この人はどんな洞察問題も解くことができなかった。
「この禅師はおよそ30の口述パズルを与えられても何の成果も出せなかった。彼はもともと、とても焦点を絞り込む傾向があり、それが問いを解けなくさせていた」
とクニオスは言う。そこで、彼が断念しようとした時、彼は次々と問いを解き始め、実験が終わるまでには、すべてに答えられるようになっていた。それは、前例のない進歩だった。
「通常、人はうまくゆかぬとうんざりしてしまい、進歩はえられないものだ」 と彼は言う。ところがこの禅師の場合の目覚ましい進歩は、焦点をあてないということに焦点をあてる、彼の逆説的な能力、つまり、右脳の隔たった結合へも焦点を当てれえたことによるのであろうと言う。
瞬時の確信
洞察のもっとも神秘的な側面は、黙示的なところにあるのではなく、その次に何がおこるかである。脳は、際限のない結合の図書館であり、競合するアイデアのごちゃ混ぜでありながら、正しい結合が得られると、ただちにそれをそうと理解できることである。右脳でのガンマ波の上昇を伴って生まれた新たな思考は、たちどころにそれは確信される。これは、どこか逆説的で奇妙でもある。その一方、こうした直観は驚異的な出来事だ。我々は、自分が発見したものに驚かされる。だが、脳のある部分では、それは驚くべきことでもなんでもなく、洞察がなぜ即座に認識されるかを表している。
「洞察がおこるやいなや、それは当然のことに思われる。人はそれが依然は知らなかったこととは信じられないのである」 とスクーラーは言う。
こうした認識を行う脳の部位は皮質の前頭葉で、たとえ解答自体が浮かばなかったとしても、人は正しい答えを見せられた時、それは活性化する。皮質の前頭葉は、人類の進化の間に、額の骨を強く押して劇的な拡大をとげてきた。この部位は、たとえば抽象的理性といった、人の認識のもっとも特殊な分野と関連する一方、洞察プロセスにおいては決定的役割を演じる。幻覚剤は、幻覚が実際であるかのように脳を錯覚させて、皮質の前頭葉に変調をきたするよう主として働くと考えられている。そこで人は洞察に似た感じをもつが、そこに中身はない。ともあれ、どのように即座認識が生じるのかを理解するのは、きわめて精密な検査――細胞のある回路がひとつのアイデアを洞察として特定できるのはどのようにしてなのか、しかもそのアイデアがそうとは解っていない段階で――が必要である。脳波の変動や血液の特性はこの質問に答えをもたらさず、それに代わり、脳を、形状をもたない電気的細胞群として、そのもっとも土台のレベルで研究する必要がある。
前頭葉の役割
マサチューセッツ工科大学(MIT)の神経科学者、アール・ミラーは、前頭葉の解明に取り組んできた。彼の好む言葉は 「厳密に」 ――それはあらゆるものを程度付け、この仮説は
「厳密に」 正しいとか、この実験は 「厳密に」 なされたとか――で、彼の経歴の精密さを物語っている。彼の最初の科学的成果は、必要がもたらした副産物だった。それは1995年のことで、彼が
MIT の研究室で、仕事を始めたばかりのころだった。彼の仕事は、猿の脳の神経から直接に記録をとること――動物がいろいろな仕事を成し遂げた際、細胞が出す電圧の上昇を追跡する――だった。
「同時に8から9極の記録が取れる装置が必要であったが、それらはとても高価で、当時まだ私は助成金を得ていなかったため、それを購入する余裕がなかった」
と彼は言う。そこで彼は、自分の空いた時間を用いて自流の装置を開発し始めた。辛抱強く取り組んた数ヶ月後、彼は、入り組んだ電線や、金属のねじや電極からなる装置を完成させ、同時にいくつもの脳の神経細胞からの記録を取れるようにした。
「そいつは、高価な装置以上に働くことができた」 とミラーは言う。この方法的な前進――多極記録装置と呼ばれる――は、彼に、完璧に新しい科学的質問を問うことを可能にさせた。それは、脳の異なった部位の細胞がどう相互連関をもっているのかを調べることを可能とした。彼はことに、前頭葉の相互連関に関心をそそいだ。
「脳にはいろいろの名前を持ったさまざまな部位があるが、前頭葉はそれと明瞭に連関している」 と彼は言う。その気の遠くなるような探索は5年間を要した。猿の脳の細胞から記録をとり、前頭葉がただの情報の集合場所でないことを発見した。それはむしろ、オーケストラの指揮者のようで、指揮棒を振り、団員を指揮していた。これは、 「トップダウン過程」
と言われるもので、前頭葉、つまり脳の 「トップ」 がその他の部位の活動を直接に調整していた。これが、洞察プロセスに焦点をあてていたユング-ビーマンとクニオスが見た前頭葉や腹側前帯状皮質の活動であった。彼らは指揮者が行っている仕事の結果を観察していたのである。
2001年、ミラーと、プリンストン大学の神経科学者ジョナサン・コーエンは、大脳皮質前頭葉が他の脳をどのように、厳密に、支配しているかを示した重要な論文を発表した。ミラーとコーエンによると、前頭葉は、ただ当面の仕事に焦点を当てているばかりでなく、問題を解決するため、他のどの部位が必要かを見つけ出す役割も果たしていたのである。この意味するところは、もし私達が口述パズルを解こうとしているなら、前頭葉は言葉のプロセスを担当する特定部位を選択的に活性化させる。もしそれが右脳の部分を点灯することを決めたなら、それが洞察を引き起こし、もしそれが、左脳への調査を決めたなら、解決は漸進的かまったくなく終わってしまうだろう。
この前頭葉の 「統合」 理論は、なぜ我々が洞察を瞬時にしかも驚異的に認識するかを示し、脳が、自分でも知らなかった答えを指揮して見つけ出そうとしているかを示している。ミラーは、「私達の意識はその容量において大変限られており、前頭葉は、そうと知らせることなく、こうした過程を遂行しているのです」
と言う。右脳の不明解な回路が必要な結合を作り上げる時、前頭葉はそれを即座に把握し、洞察が気づきとして意識に上がってくるのである。
ミラーが神経を盗み聞きすることができたため、彼は、洞察が細胞レベルでどのように処理されているのかを知ることができた。彼の今実施中の実験のひとつは、猿が、点で示された異なった図形を示され、教え込まれたいくつかの種類に分類することを問われる。猿は最初、むちゃくちゃにそれを行うが、試行と失敗を繰り返しているうちに学習するようになる。
「そしてある時点で、猿はその見当をつけるようになる」。 「そうして猿は、以前知らなかったそうした点の図形を分類し始める。これが、分類的な洞察の瞬間である」
とミラーは説明する。この原初的洞察は、前頭葉における神経のパターンの新しい形として登録され、脳細胞はその突破によって再び組み変えられる。 「洞察とは情報の再構成です。それは古いものを、根本的に新しい見方で見るのです。その再構成が一度おこると、決して元に戻ることはありません」
とミラーは言う。
だが、この詳細な説明も、洞察の完璧な謎解きを与えるわけではない。単純な細胞が、意識が感じられないことをどのように認識し、混乱した誤りのアイデアの中から洞察をどのようにえり分けられるのか、それはまだ不明である。ユング-ビーマンは 「意識のプロセスは、これからも常に知りえないところを残すでしょう。それが、研究をそれほど興味深いものとする理由です」 という。 「ある時点で、脳が、自分より遥かに多くを知っていると認めざるを得ないのです」 ともいう。洞察は脳のもつ膨大な知られていな知識の蓄積の、瞬間のひとかけらである。
ここでワグ・ドッジに戻ろう。火が川を渡った後、他の隊員はみな、稜線に向かって必死だった。パニックが思考を狭め、火炎の速度にまさることしか頭になかった。しかし、ドッジは、火炎が自分たちより速い速度であることを覚り、彼の前頭葉は急きょ、他の方法を探し始めた。そして、彼が以前には思ったこともなかった隔離された意識の結合に思いを廻らせた時、彼から恐怖が取り除かれ、彼の思考の可能性を広げた。(ミラーが言うように、
「ドッジという男は、高い前頭葉機能をもっていた」 )。火が空気の酸素を奪い始めたその時、彼の脳の隔離された何かが、自ら火を付けることで、死から免れることに気づいた。この前例のないアイデア、つまり、右脳のどこかでの電気的ひらめきは、即座に、それが探していた解決法であることを前頭葉に教えた。こうしてドッジは走ることをやめ、迫る炎の壁に向かって彼は立った。そしてマッチに点火したのであった。
(2008年11月9日)
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