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私共和国 第8回
まずはじめに、この 「産地偽装」 という言葉についてですが、私はここでは、その用法を広義に使いたいと思います。つまり、狭義でいう、ある特定商品――たとえばウナギ――の産出地の偽装、という意味だけではなく、賞味期限や消費期限を偽るとか、使ってはいけないものを混ぜて作るとか、つまり、多くの商品の取引行為にまつわるウソや偽装行為すべてを広くそう呼ぶこととします。
そうすると面白いことが見えてくるのですが、今日、ほとんど毎日の報道をにぎわすかの如きそうした偽装行為の頻出は、そもそも、信頼すべきとされる一連の制度やルールにひそむ、
「抽象化」 の効果にその発端をもつ問題ではないかと思われます。つまり、その抽象化の典型は数字や記号で、いったんそう表示されてしまえば、人はそれを容易に信頼してしまいがちなのですが
(偽装する側にもそうした表示のわずかな書き換えで済む安易さがあるのでしょう)、そこにこそ、そうした方式の陥穽があるのではないかと思われるのです。
端的な面では、こうした偽装行為がさももっともらしく実行できる、換言すれば、それがもっともバレにくい商品が、お金です。つまり、お金ほど抽象度の高い商品もなく、利ぶとりもすれば目減りもし、その価値を変幻自在にあやつりうる融通性、逆には危険性をもつ商品は、お金以外には見当たりません。
そういうお金の世界では、その高度な抽象性により、あらゆるものの価値は、いったん貨幣価値に変換されてしまえば、あとはただの数字の問題となって、世界中を瞬時に飛びまわる光のごとくに変貌します。ですから、そういうお金の利便性を抜きにして、今日の、グローバルな経済のうま味は出現しえなかったでしょう。言うなれば、そういう、個々の物品の商品化を通じた
《お金化》 ―― 「ウナギのかば焼き」 のように、ある標準化された物品にその数字と地球規模の可搬性を与える――の持つ神通力です。
ちなみに、どこの国でも、建っている住宅は輸出品にはなりません。しかし、それを世界に輸出する方法があったのです。ただし、とてつもない問題を引き起こしながら。
実はそれが、今日の世界を揺るがしている金融危機の発端である、サブプライムローンの証券化問題で、こうした 《お金化》、すなわち、抽象化を通じた偽装行為の、怪物的な産物と考えられます。
というのは、それは、リスクがそれだけ高いはずの、返済能力の低い借り手向け住宅ローンの債権を、証券化――ここがミソなのですが、そうして取引価格とリスクの格付けという数字化を可能にした――によって、個々の債権のもつ、どこの誰々のどういう住宅についてのいかなる債権かといった、その債権の具体的な
「産地」 が判らなくされ、それが世界中の金融機関に売りつけられたために (他の比較的優良な債権と調合して 「ひき肉」 状にして売られたらしい)
発生したものです。
つまり、サブプライムローンの証券とは、 「証券」 と言えばもっともらしく聞こえるのですが、そのようにして、一種の 「産地偽装」 (「偽装」
で悪ければ 「産地不表示」 ) をほどこされて抽象化された商品のことです。 また、この抽象化なくして、地球の反対側までも売り飛ばされて行くことは不可能です。そうして具体的リスクが見えずらいままに取引された証券が、もとの住宅価格が格付けの想定外まで下落したことで、次々と不良債権となって世界中の金融機関に大損をもたらしました
(プロ中のプロのはずの彼らがどうしてそんなに軽率だったのか不思議でならないのですが)。したがって、サブプライムローンの証券化とは――そうした債権の
《お金化》 を通して――、それほどまでに巧みな、結果的には世界の金融機関からお金をだまし取るのも同然な、巧妙に仕組まれた詐欺行為とすら見られてもやむを得ない行為であったと言えます。
現のお金の世界でも、ギャングが犯罪で稼いだお金のように、足の付いたお金が、ある種の金融手続きで、それがそうとは判らなくされているようです。これを
「マネーロンダリング(資金洗浄)」 というそうですが、それは、世界の警察がそれを取り締まっているはずのものです。つまり、お金はそこまでもの偽装が可能です。
どうやら 「証券化」 とは、もともとそういう危ない行為であるため、私の理解では、それが、実際のお金にまつわる取引とごっちゃにされることを防ぐため、80年前の世界大恐慌の後、その苦い経験から、証券業と銀行業の間に線引きがされたらしいのです。それだのに、近年のアメリカでは、それをもっとも進んだ金融テクニックかのように喧伝してその線引きをあいまいにし、とどのつまり、自らこうした世界的危機の震源地と成り果てました。
言うなれば、これまで、国債を担保に世界からさんざんに借金をしてきたものの、もはや担保にするものにもことを欠いたそのギャング然たる帝国が、そのサイズの上では申し分のない程に膨大な住宅ローンの債権を、このような手段を講じて商品化し、またしても世界に売りつけたと言えるからくりです。そう、輸出不可能だった住宅を、そうやって輸出してしまったのです。
食品の場合、もしある可搬性ある品目が地球上の二点間で、片や低価格でしかも大量に獲得でき、他方、それに対する大きな購買需要があるとすれば、その品目のこうした商品化を通じた
《お金化》 が成り立ちます。
つまりはその購入者にとって、食品の賞味・消費期限も産地や混入物も、その真実を自ら確かめようもないグローバルな(たとえ国内でも)、移送を伴う商品である限り、そうした抽象化した数字や表示、つまり
《お金化》 による効用 (これを 「信用」 というらしい) に従うしかありません。言い換えれば、そういうシステムへの加担を強要されます。そして、誰もがその
「信用」 に疑いを持ち始めると、そういうシステムは瓦解し始めます。それがいま、起こり始めています。
ですから、サブプライムローンの証券も食品も、そうした 《お金化》 という面では同列です。たとえて言えば、 「ウナギの証券化」 です。つまり、定義上、一応
「証券化」 と 「偽装」 ましてや 「マネーロンダリング」 は別ものですが、 《お金化》 による実際の効用という面においては、どれも似たり寄ったりです。言うなれば、
《お金化》 とそれらとは、背中合わせのものだと見る見識が成り立ちます。
そういう目で見ると、違法行為にまみれた政治家が、選挙によって再選出されること (これも得票数という数字に支配される) を 「みそぎ」 と称し、自らの
「身の潔白」 の証明であるかのように言い張るシーンによく出くわすのですが、こうした明らかな政治的 「マネーロンダリング」 を、厚顔無恥にも主張できるのも、彼らが心中で、同類のことの横行を普通と思っているからが故にでありましょう。つまり、彼らにとって、
「選挙」 とは 《お金化》 (自分を商品として売り出すこと) なのです。
「産地偽装」 にせよ 「証券化」 にせよ、さてまた 「選挙みそぎ」 にせよ、そこには、 《お金化》 によってテクニカルに変身した強欲志向――MBA(経営学修士)界などでは、これは
「オントレプレナーシップ(企業家精神)」 と呼ばれる――が、世に是認されうるとする風潮がひそんでいます。
他方、日本には昔から、 「金でことを済ます」 という批判的な言い方があり、 《お金化》 に訴える安易な態度を戒める風習があります。
「グローバル時代にそんな時代錯誤なこと」、と言うなかれ。
今日、地場ものが珍重されたり、生産者の名前入りの商品が流通したり、ひいては自ら生産にかかわることが試みられたりするのは、そういう 《お金化》
の横行に疑問を抱く姿勢のあらわれと思います。
ひょっとすると、このアメリカ発の世界経済システムの危機を変曲点として、世界は 《背-グローバル化》――ある種の非-《お金化》 とローカル志向、そして国際政治的にはブロック(多極)化――に向い始めるのではないでしょうか。
(2008年10月29日)
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