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第二期・両生学講座 第7回
ものを書くとは興味深い体験で、書いたものを作品として送り出しつつ、書く体験の裏体験というか、押し出しの反作用というか、書き手に残される絶妙な後遺感覚があります。
それは、ことに 『相互邂逅』 のようなテーマでは、以前、母の存命中に試みてもらった 「回想法」 という心理療法に似ています。自分の過去の人生を再度ふりかえってみることは、お年寄りが自分のはつらつと活躍していた若い時代を思い出し、精神状態の活性化に役立つという効果以上のものがあるようです。私の場合、その体験は、それまでの人生の認識が、当然のごとく、自分をその行動の当人の目で見てきたものが主体となっていたもの――こちら側からの視点――に対し、それを、その本人から距離をおいた、第三者の目に近いもの――あちら側からの視点――として見られたことでした。
『相互邂逅』 では、あるところでは、それを 「夜の視野」 とか 「夢の視点」 として、また別のところでは、それを 「社会性」 とか 「客観性」
とかと言って、それぞれに触れてきました。
その時、その時、その渦中にあった頃、もちろん自分はその本人として、自分の視点と自分とは同じ側にあったわけですが、そういう、一人称の視界にあっては、 「夜の視野」 とか 「夢の視点」 が、普段の、つまり 「昼間の」 自分の視野を揺るがすものとなっていました。そういう、揺さぶる視野の存在が、私の
「ノート」 には、何ヶ所にもわたって記録されています。
そういう一人称の視界に代わり、長い年月をへた今日からの目で見ると、かつての自分を外からながめる第三者の視界が可能です。その当事者であった昔の自分ではちょっと到達しえなかった視座とも言え、ホットな場面であった場合、極めてクールな見方を投げかけることのできるものでもあります。
この自分で自分に試みる 「回想法」 は、少々手の込んだものとならざるを得ませんが、それだけの効果はあるものだと確信します。
さて、そうした複眼化した目で自分の人生を振り返ってみると、私の場合、よくもこう、懲りもしないで、作っては壊し、壊しては作る、スクラップ・アンド・ビルトを繰り返してきたものだと、自分でも感心したくなります。子供のころ、母から言われた
「三日坊主」 たる自分の、その成れの果てとも言えるものですが、正直言って、なぜ、自分がこういう行動を取り続けているのか、その都度々々のわけはあれ、その繰り返しの理由はよくつかめません。ただ、それが自分なのだと納得するしかありません。
ただ、この 「スクラップ・アンド・ビルト癖」 のおかげで、自分の経験が多様化してきたのは事実です。
連載中の 『相互邂逅』 も、人生上の大きな一区切りをつけて、その舞台が、いよいよオーストラリアに移ります。連載は今回、同時に三回分を掲載して日本時代を完結させ、その第一部の終了とします。次号、つまり新年早々より、その第二部が始まります。
来る新年は私にとって、オーストラリア上陸25周年に当たる、記念すべき年でもあります。そうした機会に、私のオーストラリア生活に、さらなる 「回想法」
を試み、新たな視野との出会いに期待をふくらませたいと思います。
私式のこの 「回想法」 は、一回の人生を二度味わう、新手のアーモンドグリコ――1粒で2度おいしい――であるようです。
(2008年12月14日)
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