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内心で、自分の腕はいまだ未熟で、こんなことを言うのはまだまだ早いとも思うのですが、あとひと月弱で、この修行を始めた当初の予定の3年間を迎えようとしている今、ある種の大詰めを迎えている感があります。
思い起こせば、私の 「ボケ防止への一次プロジェクト」 は、こうして、その使命を終わらせようとしています。
その一次プロジェクトで、私は、自分の職人世界のとらえ方に、ある種の理想化、あるいは、強い思い入れの投入をしているなと考えながら、ここまでやってきました。この
「修行風景」 も、まさにその投入です。
つまり、そういう一種のナイーブさは、自分の修行が始まったばかりの頃は、むしろそれがゆえに熱意を駆り立てられ、かつ意欲を集中させられる効果がありました。と言うより、そういう風に、自分を乗せないとやってゆけなかった、そんな傾きもあったかも知れません。
しかし、短期間ながらこうして修行をつみ、それなりの進歩が見られる今、店の様相も大きく変貌したことも手伝って、相応の戦力として組み込まれるようにもなりました。しかし同時に、代わった新オーナーの一風変わった経営姿勢は、職人の技量といったものへの認識が乏しく、ただの “経験の長い従業者” 以上に見ることはない風で、半人前ほどの駆け出し職人にとっても、熱意を削がされるものがあります。
つまりそのようにして、そうしたナイーブさでも、それを動機やエネルギー源にしていられた季節が過ぎ、実戦力としてしだいにこの商売のリアリティーに関わるようになればなるほど、どこにでも見られる、あの平板で殺風景な風景が、またしても垣間見られるように移ってきています。
職人修行に、3年という区切りが特別な意味を持つものではなく、ただの通過点に過ぎません。ですが、当初からの予定として、それを念頭において取り組んできた私にとって、それは通過点どころか、いよいよの、その次にどう進むかどうかの節目であります。
職人修行に年限はありません。本物の職人は、誰しも、死ぬまで修行を続けています。
そういう自己完結型の世界――言い換えれば、「自立した労働者」、あるいは、「従属しない生活者」 の世界――に大いに魅力を感じているのですが、それを具体的職業として今から取り組むには、すでに時遅しです。
というより、私としては、その世界への魅力は、この現実界においてではなく、ちょっとひねった次元で追求されるべきで、だからこそ、そもそも人生というスパンで、はるか以前から、職人もどきな生き方を目指してきました。私の場合、多分に渡り職人的でしたが。
そこでいま大詰めをむかえている寿司職人修行ですが、寿司職人としては中途半端を覚悟で、その生煮えの腕でも、それをオールとして活用しつつ、当初の次の計画に漕ぎ出すかどうかの時を迎えています。
で、その次の計画とは、前にも書きましたように、北米大陸を再上陸地点とする 「両生生活」 です。ただ、世界はすでに、百年に一度という大不況に突入しており、当初通りの想定では寸足らずな情勢となっています。
そういう次第で、現在、予定通りにその計画を実行すべきか否か、情報収集中です。
(2009年2月11日)
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