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六十路の童心

第二次プロジェクトに関して



 実は、ひとつ、気がかりとなってきたことがあります。
 それは、予定上ではこの3月7日をもって満了するはずの 「ボケ防止への第一次プロジェクト」 を終えるにあたって、その次に、北米大陸を第二の上陸地点とする移動生活を始める、といった第二次の計画についてです。
 そもそもそうした計画がどこか漠然としているように、この “地理的な再延長” が、物理的移動に引きずられ過ぎている面があり、また、それがなぜ北米大陸でなければならないのか、いかにも根拠軽薄であったことがありました。
 そこに、当初の計画ではまったく想定外であったこの世界大不況が到来し、その影響は計り知れず、私の移動生活計画にも見直しを必要とさせています。
 というより、もともとのそうした気がかりを、この世界大不況を好機と受け止め、軌道修正したいと思います。

 そもそも、私はこれまで、外国に24時間、365日生活しながら、日本語一本の表現に専念没頭し、書きものの世界とはいえ、それが何か自閉的な偏向ではないか、と思えるところがありました。
 また、仮に、そうした当初の計画を予定通りに進めたとしても、私は自分のどこかで、いずれその移動先の地で、そこにローカルに根付いてゆくため、やはり、言葉を主体とした新たな困難に遭遇せざるを得ないな、とは考えていました。
 つまり、外国に生活拠点を定めながら、ひたすら母国語にのみ頼った、母国のみに向けた表現を続けるということに、片手落ちな構造を感じるのです。
 もちろん、そうした活動を行う文壇諸氏は少なくないように見受けられますが、日本語でしかことを語らないとするのは、やはり、片手落ちであり、内弁慶なメンタリティーのように思われます。
 むろん、表現方法として、母国語によるそれが、第二言語によるそれより、精度や深さにおいて、明らかな有利さがあることは言うまでもないことです。ですが、言語の選択は、事実上、世界を選択する意味をも含みます。つまり、言語表現という限定された世界ではありながらも、それだからこそ自己の重心に触れる世界であるがゆえに、そういう片方語りに甘んじることは、第一に、礼を失することでもあります。
 私はこのオーストラリアの地に、今年で、もう25年も住んできたこととなります。当然に、この25年の歳月は、当地でのそれだけの、人間関係も作ってきたことを意味します。
 つまり、そうした25年を持ちながら、ただひたすら日本語による事実上日本向けの表現を続けることは、現在へと至るこの25年をないがしろにした、明らかな背を向ける行為と言わざるをえません。

 次号をその創刊号にする予定ですが、今、英語を通じた表現としての、英語版 「両生空間」 を準備中です。
 ただ、その準備をしようとすればするほどにぶつからざるを得ないのが、改めて思い知らされる、英語表現にたよる、もどかしさです。いや、もどかしいどころか、またしても子供の世界へと逆戻りせざるをえない、自分の能力へのいらだちです――正直言って、14年前、博士論文を書き終えた時、もうこれで英語での物書きはしないでいいと、解放された気分にひたったのでしたが――。
 むろん、たとえ今後の幾年かの努力の後であっても、母国語表現に迫るかの英語能力を、私が身に付けることは絶対にないでしょう。第二言語は、どこまでも第二のものに過ぎません。
 その限界を覚悟しつつ、変な英語であることを百も承知で、私なりの、この第二の環境への表現も、して行くべきではないかな、と考えているところです――英語には英語でまた、それに迎合を求めやすい世界ではあるのでしょうが。
 子供の表現も、時に、稚拙なりに人を打つものですが、ひょっとすると 「六十路の童心」 もありえるかなと、かすかに信じたいとも思います。
 また、物理的な移動は容易なものですが、精神的な移動――これこそが 「両生空間」 の真髄のはず――は、そうは簡単ではないことが、この私の経験も物語っているのですが。

 (2009年2月28日)


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