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私共和国 第16回



分業を分業する


 私はいま62歳で、いわゆるリタイアを意識せざるをえない、人生上の大きな一廻りを終わらせようとしている世代です。
 そうした節目から、これまでの経験を背景にして考えるのですが、自分のこれまでの人生を一言で言い表すとすると、それは、分業の人生だった、と言えるかと思います。
 この分業とは、アダム・スミスの言うそれのことですが、自由主義経済における効率創造の根源をなす、人それぞれにある狭い専門化した分野それのみを分担することです。
 私は若いころ、建設関係の技術者として、その分野の専門家になることを目指しましたが、それがこの分業することの現実像であるとの意識は毛頭ありませんでした。ただ世の中が、そのように流れていました。
 ただそうした生活を続けるある窮屈さの中で、いわゆる自由業というものにあこがれたことがありました。そして一時期、そうした分業の身分から離れ、つまり無職、浪人となって、作家を目指した事がありました。もちろん、すぐに経済的に行き詰まって、分業に再び戻らざるをえませんでした。
 ただ、そのあこがれは捨てきれず、それ以降は、分業とあこがれを共存させる、二分化した日々を送ることとなりました。もちろん、この方式は、曲がりなりにも分業を担っている以上、つつましいレベルながら、経済的に行き詰まることにはなりませんでした。
 世間常識的には、そうしたあこがれや願望がかなえられるのは、その人の才能次第で、凡人は分業人生に徹せよということです。一業をなす、という言い方も、今日風には、そうした人生のことを指しているようです。

 この分業の人生ということを、二つの角度から見直してみたいと思います。
 ひとつは、この分業人生が当たり前のように言われるのですが、それがそのように受け止められるようになったのは、ほんの最近のことではないのか。
 もちろん、この最近とは、ちょっと長期的な意味でのことですが、たとえば祖母や祖父の時代あたりにもどった場合、就職とか、失業とかいう区切りが、いまほどに確立していたのだろうか。おそらく、そうではなく、その境界もけっこうぼんやりとしていて、行ったり来たりをしていたのではないか。もちろん、失業給付などというものもなかったでしょう。
 つまり、失業保険とか、もっと言えば、年金制度などというものが成立してきたのも、こうした分業が行き渡って社会のシステムの根幹となり、誰もがその狭い分野の専門家となるようになったからです。いうなれば、会社社会ができあがってからです。
 そうした専門性が、時代の変遷の中で、何十年か後には、たとえ無用とはならずとも、不効率な専門となった場合に備え、そこに短期的な流動性を持たせるものが失業保険で、長期的な課題となったもの――もう使い物にならなくなった専門技量に、死亡までの流動性を与えるもの――が年金制度であると観察できます。歴史的、制度的にはそういうものであるのでしょう。
 第二に、それを現時代、あるいは、自分の人生の問題として見ると、こうした近代の効率的自由経済世界も、いろんな意味で限界に達しているのではないか。つまり、そう思われる体験的証拠を、そうした分業人生の味気なさ、働くことの疎外感をもって、一人ひとりの人生の身をもって実感させてきているのではないか、という面です。
 上記の制度としての年金も、もう、その効用の瓦解は明らかで、リタイア生活に大いなる期待を託せ得たのも、過去の話となっています。
 ことに、若い現役世代にとって、もはやお払い箱になった世代の年金の負担を、尻あがりに重く課せられながら、こうした分業人生を送らねばならないわけで、その味気なさは歴史的です。つまり、そういう意味でも、この分業方式の限界は、もはや到来していると思われます。
 これは私個人の体験ですが、当時、そんな意図はなかったのですが、結果的に選んでいた道は、自分の現実の生活に二重性をもたせ、分業を担う自分と、分業に縁を切る自分との、二役を演じてきたことです。一日の中で、その二重性を実行したこともありましたが、時期を区切って、そうしたこともありました。ともあれそうして、与えられた分業を自分で分業させていました。
 こうした状況は、アダム・スミスには申し訳ないですが、彼のいう分業のご利益も、もうピークを過ぎて下降に入り出しているということで、そろそろ、次のアダム・スミスの登場の時期なのかもしれません。
 まあそれはともかく、生きている私たちは、なんとかやって行かねばならないわけで、分業にかわる新たな経済制度が普及してくるまでは、この制度とつきあってゆかねばなりません。
 いろいろなバラエティーはあるのでしょうが、分業を分業した生き方、それが当面の基本的選択とならざるをえないのではないか、と思われます。

 (2009年6月14日)

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