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ご無沙汰しました。四ヶ月ぶりの 「修行風景」 です。
先にも書きましたように、店では、オーナー (と一人のウエイトレス) を除き、私が一番の古参となってしまいました。それにこの間、シェフにも様々な出入りがあり、戦力上、なにかと頼りにされる機会も増えてきいます。
この12月に入って、年末の繁忙期を迎え、要望あって週5日労働にもどり、うち4日間を寿司バーに出ています。
こうして、寿司の経験をそれなりに重ねてきて、感じさせられることは多々あるのですが、その中でことさらに実感させられることがあります。それは、寿司が、
「切る」 料理であることです。
むろん、どんな料理にも包丁やナイフ仕事は付きもので、材料を切らない料理はありません。そうなのですが、寿司は、その主だった食材が、通常、煮炊きもされずに、ただ適切な形や大きさに 「切られる」 ことがその調理法の生命であることです。刺身に限らず、握りのネタでも、巻きものにしても、きりっと角の立った切り口の鮮明さなくては、その真の味も美も引き出せません。
最近、ようやくにして分かってきたことですが、その切る腕は、包丁を研ぐ技量なくてはありえないことで、そしてその包丁を研ぐ腕のそのもとは、その砥石を研ぐことにあることです。表面が真の平面でない砥石では、その包丁の切れ味は100パーセント引き出せません。たとえば刃渡り30センチの柳刃の、その刃のどの部分も、カミソリほどの鋭利さを持っていて、それが縦横に使いこなされている。それが
「切る」 という料理法の根幹です。
一日の仕事を終え、その日使った包丁を研いでいて思うのは、仕上がれば仕上がるほど、その刃物が刀に見えてくることです。
思うに、寿司という和食の独特分野が発達したのは、日本で、武士の世界が終わろうとする江戸末期です。
まさに、刀を製造する技術と、それを駆使する武道が消え去る運命に差し掛かからんとした時、その伝統が別な方向へと再発展をしたのです。
いうなれば、刀鍛冶の伝統ぬきに、寿司文化が育つことはありえなかったのです。
刀という軍事技術の、包丁という平和技術への転用とも言えるのでしょうか。
そんなことから、ここシドニーの片隅で寿司を握っていて、ひたひたと日本の歴史を感じさせられています。
話は変わるのですが、そういう “平和時の刀” を駆使する、職人としての寿司シェフの話題です。
上記のように、次々と人が入れ替わって、ある日から、それぞれに独特の経験を積んできた二人の寿司シェフが、店で一緒に働くこととなりました。それぞれ、自分の腕への誇りと面子を譲らずにもっていて、傍目にも、張り合っているのがありありと見える二人でした。
その二人がある日、ささいなことから衝突し、一人が “切れて” 辞めてゆきました。
私はその二人と一緒に仕事をしてきて、危ないなとは予想していました。
それぞれに、クセはありながら持ち味があり、私はどちらも嫌いではありませんでした。
職人とは、腕一本を誇りに、この世をわたる人たちです。統一された教育法も基準もないその世界で、それぞれに異なった環境で訓練され、経験を積み、異なった風に腕を磨いてきた個々の職人に、どれひとつとして標準はありません。みなそれぞれに、
「俺のやり方」 に立っています。
そういう意味では、ぶつからない方が不思議な世界でもあります。
その一人のシェフが突然に辞めていった次の日、私は店の若者たちから尋ねられました。 「何があったんですか、ハジメさん?」
その質問に私はこう答えました。「日本にこういう言い方があるんだが、彼らは、 『犬猿の仲』 だったんだな。」
すると、納得した顔で、ネパール人の見習いシェフが言いました。「我々の国ではそれをこう言うよ。 『一つのさやに二本の刀は納まらない』。」
それを聞いて、「台湾では、 『一つの台所に二人の女は居られない』 って言う」、と古参のウエイトレスがいいます。
いや、こういう言い方もあるよと、もう一人の台湾人ウエイトレス。「ひとつの山に二匹の虎は住めない」。
どうやら、寿司シェフとは、犬猿どころか、刀でも、虎でも、女でもあるようで、みんな、問題の核心をつかんでくれたようでした。
ところで、今年を終えるにあたって、私の自転車のメーターは、14,237Kmを表示しています。ということは、この一年間でちょうど3,200km走ったということです。
(2009年12月31日)
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