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修行第三十三風景


In-put か Out-put か


 自転車が壊れてしまいました。
 いや、正確に言えば、壊してしまいました。
 3年前の 「大転倒」 をさせられた時もそうでしたが、後から思うと、確かに、何か異状な音や不具合は感じていたのでしたが、それが重大な故障につながるものだとまでは思えずに、そのまま乗ってしまっていました。
 先の月曜日、本当なら休みの日なのですが、寿司シェフの一人の病休者がでて、その代役に出勤となった日でした。
 仕事が終わっての帰路、何か変だと思いつつも走らしていたところ、突然、ガリガリガリと大きな音がして、車輪が止まってしまいました。ギアーのディレイラーの部品が破損し(あるいは外れ)て内側に曲がり、それがスポークに噛んでしまっていたからでした。幸い、転倒も怪我もしなくて済みましたが、自転車自身はいわば大破状態となりました。
 そして昨日、自転車屋に持って行って、 「入院」 させました。今、検査中です。
 その我が自転車のメーターは 「14,445km」 を示していました。その祭、少し、押して歩きましたから、故障が発生したのは、 「14,444km」 地点だったかも知れません。
 思えば、そうした訴えを自転車が発していたのに、それを無視してこんな大事にさせてしまってと、なんだか、その、言わば自分の分身に、可哀そうなことをしてしまったと後悔しています。
 この自転車も、もうほぼ8年も乗ってきており、あれこれ故障がでてきてもおかしくない “年齢” です。

 そういう私が、最近、感じさせられていることなのですが、店で働いていて、たとえば、オーダーのプリントアウトの文字を見落とすとか、同僚たちの話(みな、それぞれの訛り英語なのですが)が耳に入ってこないとかと、どうも、情報のインプットに 「不具合」 が生じはじめているように思えるのです。ですから、意識して注意を集中させないと、ミスが生じてしまいます。何と言いましょうか、かっては、ぱっと見て、ぱっと出来たことが、 「よいしょ」 と力まないとできなくなってきている、そういう状態がやってきているのは確かなようです。
 考えてみれば、人生、 「一周目」 から 「二周目」 に入り、これまでの何らかのあるいはいろいろな形での蓄積を生かしてゆこうとしている、つまり、自分の 「アウトプット」 に力点を移そうとし始めている時、そこに、こうしたインプット上の減退が生じているということになります。
 そう考えれば、確かに何かを書こうとしているとき、たとえば、誰かから話かけられたとすると、それはもう騒音と同じで、そんな時、自分の耳は自動的に、それをシャットアウトしています。
 自分の内部の 「蓄積」 に神経を集中し、むしろ、そこからの隠された情報の発見に努めようとしている際、外部からの情報が入力される感覚器にそういう制限がかかっているとするのなら、それはそれで当たり前なことのように思えます。

 さて、そこで、自転車ならぬ、自分自身の不具合の “サイン” ですが、それは、確かに 「インプット」 側の面でおこっているのですが、他方、ある意味でのそうした “過” 詳細な情報をふるい分ける機能を果たしているとも考えられます。
 まかない食が終わって休憩の時、さまざまな訛り英語でコミュニケーションを交わし合っている若者たちを、この老齢労働者は、そのかたわらに座って、静かに見やっているというわけです。


 (2010年1月28日)

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