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 第三期・両生学講座 第3回



取りとめもない、オートポイエーシスな私


 一日の労働を終え、自宅にもどったのは、11時をはるかにまわっていた。
 いつものように、軽い夜食をとり、乾いたのどを冷たいビールでうるおす。
 たしかに身体はくたびれているのだが、明日と明後日は休日なので、今夜は気分に遊びがある。
 せっかくの、その二日間の無拘束を前に、ただ生理的必要に従ってしまうのはもったいない気がして、眠くなる目をしぶしぶさせながらも、アマゾンに注文して前日に届けられた幾冊かの本の扉を開いてみる。

 昨夜もそうだったが、ウィークデーなのに店が異様に混んで、少ないスタッフのため、今日も超忙しとなった。自分でも、よくも体がこんなに動くもんだと思いながら、気心知れ合った相棒たちのおかげで、気持ちよく仕事をこなしてゆけた。どんなに混んだ忙しい日でも、終わらない日はない。うんざりするほどにずらっと並んでいた注文伝票も、やがて、その最後の一枚が取り去られ、一日の仕事の終わりがくる。
 自身の生存の物理的必要を支える生産、つまり外界との交換の条件は、こうしてとりあえず、満たされてゆく。
 そんな風で、身体は充分に疲れているはずなのに、そういう日に限って、いまひとつ、寝てしまいたくない私がおこってくる。そして、とうとう眠気に負かされてベッドに入っても、その眠りは何物かに邪魔をされてしまう。脳内にざわざわと、納まりきれない騒ぎがかけめぐっている。それが昨夜だった。

 今夜も、生理に逆らうそうした抵抗にのって、精神の欲望に従ってみる。
 ページをくり始めた本は、河本英夫の 『オートポイエーシス:第三世代システム』 (青土社、1995) と 『システム現象学:オートポイエーシスの第四領域』 (新曜社、2006) という本だ。
  「オートポイエーシス」 とは、最近になって出会った概念で、自己制作とか自己言及的とかと訳されている考え方である。平ったく言えば、私たちの身体の傷が自然に治るように、生物個体が自分で自分を作る働きのことだ。私が以前に書いた 「自足自律機械」しかけの私 や、持論の 「生活者の知恵」 とも関連して、刺激される概念だと気になっていたものだ。自分が取り組んできた働きを説明してくれる考え方かも知れないと直感もしていた。
 だが、いさんで読み始めてみたものの、身体は疲れているので、やはり眠気が襲ってくる。しかし、今夜はそのまま眠ってしまう気はせず、とことんやってやろうと、本を持ちこんでベッドに入る。
 同居人も、やはり雑誌を持ちこんで先にベッドに入って、すでに寝息をたてている。
 ちょと悪い気もするが、起きてくれないことを願って、スタンドを灯す。時は午前2時になろうとしている。

 前者の本の帯には、 「認識の知から、身体の知、行為の知へ」 とある。狙いは当たっていそうだと、わくわくしつつページを開く。
 ベッドに横になり、枕を高くして、胸の上で本を開き、それぞれの本の行を追う。

 ――ほんの今まで、私は、日本で山手線か京浜東北線かに乗っていたらしく、車掌のアナウンスが、「次は東京、東京」 と告げていた。私はそうとうに混んだ電車の座席に座っていて、目の前には、吊革にぶら下がった大勢の人たちがぎっしりと立っている。電車が揺れる度に、その人たちが平衡を回復しようとして足場を探し、私の足が思わず踏まれそうになる。私は、どうしてそこに居るのだろうか、電車の中でうとうとして、ふっと我に返ったばかりのところなのだろうか、どこに行くためにその電車に乗っていたのだろうか、と思い出そうとしている。何か、ネガティブな思いを持ってその電車に乗っていたようだ。だが、それがなぜなのかは判らない。行き先は勤務先なのか、それとも、誰かと待ち合わせをしているのか。重たい気分がそこに漂っている。
 とその瞬間、そんなシーンを中断させる、「電気を消して」、と告げる声がある。
 隣で眠っているはずの同居人が私に、「寝ているのなら灯りを消して」、との苦言を発している。
 どうやら、電車の中の私は夢の中の私であったようだ。
 こうして夢は突如、打ち切られ、私は宙ぶらりんな気持ちを残したまま、ベッド上の私に戻る。
 そこで我に返って、私は再び、胸の上の本のページに帰ってゆく。
 そのくだりでは、こんなことが書かれている。
 私は、その 「オンリーワン」 に赤い傍線を引きながら、こんな書き方をしている本には、これまでに出会ったことがなかった、と思いつつ、さらにその行を追う。科学と文学が交錯しているのか、そんな新次元の体験であると感じつつ。
 そんな、「オンリーワン」 である私が、ここに居ながら、そう思っている。それに、さきほどまでの、夢のなごりの感覚も、どことなくまだ引きずっている。
 いつまた眠りにおちいって、また、次の夢の中に居る私がやってくるかも知れない。そんな、とりとめもない夢と現実の間を行き来しながら、だからと言って、苦言のように、さっさと寝てしまおうとはしていない。どこか、その半眠半醒状態をあえて作りだそうとしている風でもある。
 そんな、ここでもない、そこでもないところに居る私を味わおうとしていると、また、横から、「まぶしいから、電気を消して」 と告げる声が入る。
 ああ、この人にとって、自分の眠りは、それほど、夜と昼のように区別できているんだ。夜中にベッドの中で、そんな風に、突いたり消えたりする自分があって、その微妙な出没をわざと味わうことなんか、この人にとっては、無駄に電気を灯していることに等しいんだと、ちょっとむっとなって思ったりもする。だが、快眠を妨げられるのも迷惑なことだ。
 むっとするものが覚醒へのばねとなったのか、こんなとりとめのない、でもそれが確かに私の中心の部分である、そうしたこの体験を記録しておきたいとの欲望が生じて、ベッドから飛び出す。灯りを消して、本をもって、隣の部屋に移って机に向かう。

 私は、眠っていた同居人のようには、あるいは、ずっと昔の私のようには、もう、眠りと覚醒の間に自分の境界線を引けなくなっている。
 私はこの 「有機体」 という個所を、 「私」 と読み替えてこのくだりを読んでいる。あたかも、夢の中の自分を探るように。

 (2010年3月26日)

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