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 連載小説



メタ・ファミリー+クロス交換
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偶然






 以前から彼らに約束し、また自分でも子供の世話をやく親のように何かをしてやりたい気持ちが湧いてもきていて、彼らのために、モトジの作ったなにかご馳走、とくに彼らの希望でおでんをこしらえてあげようという話となった。
 モトジは二人に、友達たちも連れておいでとは言っておいたのだが、今回は、先に提案していたヒロキへの奨学金の話を、絵庭も交えた席で話す積りでいたので、内心では第三者はいない方がいいなとは思っていた。
 ふたりはモトジの気持を察したのか、その日は彼らだけでやってきて、にせもの同士の関係ながら、親子三人水入らずのおでんパーティーとなった。
 おでんパーティーとはいっても、モトジは数日前から、そのほかの料理もいろいろ準備し、前菜からデザートまで4品、すべて手作りのフルコースとなった。
 その日、モトジの住むアパートの狭い居間のテーブルには、ビールやワインのグラスもあらかじめセットされ、一見、レストランの予約席であるかの見てくれとなった。
 前菜の小エビのから揚げをつまみつつ、まずはビールで乾杯した。
 そこで彼らが口をそろえて言いだしたことは、「モトジさん、どうして自分でレストランを開かないのですか?」 との質問だった。それへの返答としてモトジは、いま自分が料理を通じてやりたいことは、いわゆる職業としてのそれでなく、自分がそうしたいと希望する親しい人たちへのモトジの気持ちの表現であり、料理を通じてのいい人間関係つくりだ、というようなことを言った。
 続いて、第二の前菜である味噌だれ味の焼き豚を出した。冷菜ではあったが、口触りへのコントラストにもなったはずだ。
 メインのおでんは、三日も前から仕込んだもので、ジャガイモや大根やゆで卵にも、味をしっかりと浸み込まそうと早めの準備をしていた。それに、具を多彩にしようとふと思いついたアイデアで、ここシドニーでは手に入らないつみれの代わりに、鶏肉の肉団子を用意してそれを加えた。ところがこれが失敗だった。それまで、いかにもおでんらしき味のハーモニーができつつあったところにその肉団子が加わると、それから出たエキスがせっかくのおでんのつゆの味を、微妙ながら、肉スープの味へとひっぱってしまって、なんとも和洋折衷なものとなってしまった。これはまずいことになったと、あらためて昆布の出汁取りからはじめておでんつゆを作り直し、折衷のつゆとすっかり入れ替えた。これで、まずまず、満足する味が戻ってくることとなった。
 むろん、こうして完成したおでんは大人気で、大なべにぎっしりのそれぞれの具はみるみる平らげられ、食べきれずに残った具も、二人は簡易容器に詰め込んですっかり持ち帰ってくれた。
 デザートは、絵庭の好物の抹茶アイスに、手作りの小豆の餡子を添え、それにさらに生クリームをかけた。そのさまざまな甘さのハーモニーが、満足への最後の華やぎとなった。
 おいしい料理は、人の気持ちをなごませるだけでなく、開放的にすらさせる。そうして、そのおいしいさを共有したもの同士を、しっかりとした同朋感で包み込んでくれる。考えてみれば、家族の絆というものも、いわゆる 「お袋の味」 を媒介として築かれた、こうした同朋感の長い間の蓄積の結果という側面もあるのだろう。
 モトジは、もともと何かを作ることは好きで、それが建設技術者になった動機のひとつでもあったのだが、料理という建設とはまるで対極での、やはり作る世界も嫌いではなかった。大学入試を控えた高校生のころ、工学部への進学に代わって料理人修行を考えたこともあった。だが、何か目先の困難な目的から逃げるかの思いがして、その時はその方向には向かわなかったのだが、それが、人生ぐるっと回った今となって、寿司修行という飲食業にモトジを向かわせた因縁であったのかも知れない。
 家族のためにおいしいものを作る。モトジはそんなイメージが好きになり始めていた。事実、モトジといっしょに暮らす同居人にとっても、また、ときたま家に集まって来る彼女の友人たちにとっても、人それぞれのアプローチの違いはあれ、モトジの家を訪問したり住み着いたりする魂胆には、どうやら、そういう味の引力が少なくなく働いているように思えた。

 デザートも食べ終わり、味わいを通じた交換がひと段落したところで、モトジは、この集まりのもうひとつ主題である、奨学金の話を切り出した。
 ただ支給したいといという抽象的な話だけでは考えようもないだろうから、具体的な内容を話すとして、以下のようなことを明らかにした。
 提供される奨学金の総額は2万ドル。分割しても一括でも構わない。すでにそのお金は用意してあり、提供は今でも可能。奨学金は貸与ではなく譲与。したがって返済の義務はない。条件は、その使った内容を記したレポートの提出のみ。別に領収書の提示の義務はない。
 金額や支給回数はもちろん違うが、そうした条件は、モトジがかつてオーストラリア政府から受けた奨学金のそれと同じようなものだった。
 受け取るか、辞退するか、その決定はゆっくり考えてからでいい。ともあれ今回は、そういう条件の奨学金のオファーを出しておきたい、とその提案を結んだ。
 その話の中で、モトジがまるで学生への講義のように二人に話したことがあった。それは、お金についての彼の考えで、ある意味で、彼の人生観だった。
 時に、時代はアメリカのサブプライムローンにをもとに発した金融危機から、世界の資本主義体制が揺らいでおり、個人の生活までその余波にさらされていた。彼らの世代も、日本をおおっている長期の不況の中で、モトジたちが彼らの年齢で過ごした頃の、日本の将来がまだ明るく見えた時代とはがらっと変わった世相にさらされて生きて来ていた。
 モトジは二人に親しく接しはじめて、彼らの生活態度が、自分たちの時代とは大きく異なって、きわめて質素で地味であることに気付いていた。そして、そういう質素さから、自分のような貧乏くさい爺さんでも相手にしてくれているのかも知れないと、変な話だが、日本の長期停滞を感謝するような気持ちもしていた。自分が彼らの年齢であった時、60を過ぎた男がパートで皿洗いなんかをしていると聞けば、間違いなく、脱落者とでも烙印を押して見下すような気分を抱いていただろう。当時は、ともあれ、みんなが右上がりのグラフを信じていた。
 モトジは、人生、お金なしでは生きてゆけないが、お金に振り回された人生を送るな、と口火を切った。お金は使うものではあっても、使われるものではない、とそれに続けた。ことに、すべてのものに値段のつくこの世の中で、人間にすら値段がつき、あたかも商品のように扱われている。その商品化された自分ほど惨めで不快なものはないだろうと二人に語った。二人はそれは身にしみてよく解っているようだった。
 そして、あらゆるものが商品となり、商品を買わないでは生きてはいけないかに見える世の中だが、決してそれは真実ではない、と続けた。モトジは自分の毎日を、健康の維持ということに大きな価値を置いて送っていた。自転車通勤もそのためであった。モトジは彼らに、むしろ買えないもののなかにこそ貴重なものがあると言いたかった。そして、決して買えないものの一実例が健康だと強調した。治療は買えても、健康は買えない。どんなにいい病院でも薬局でも、手術や薬は買えても、健康そのものを売っているわけではないと話した。「いろんな意味で、自分が健康だから、こうして君たちと親しくしていられる」 とも付け加えた。
 そうした話を、自分の信条として、なるべくそうした商品交換に頼る人生は避けたい、と結びに入った。もちろん、この世界で、いろんなことを交換せずには人は生きてゆけないが、商品交換という方法に頼らない交換もあり、その中で一番大切なことが、贈与、ギフトである、と彼らに語りかけた。
 二人は、話がここまでに及ぶと、さすがに即座に飲み込めないものがあるようだった。だがモトジが、「健康も、そういう意味では、自然からの自分へのギフトだと思う。青い空も、澄んだ空気も、みなタダの自然からの贈り物だ。今日、それを忘れて、それを壊し、代わって商品にばかり頼ることが蔓延し、人間の健康ばかりか、地球の健康すら奪われることとなっている」、と続けると、納得するものがあるようだった。
 そして最後に、「ここまで言えば、俺がなぜ、奨学金をだそうとするのか、そのわけは解ったろう」、と二人にたたみかけた。
 「今日の料理も、俺からの贈与だ。どうだ、うまかったろう」、とモトジがけしかけると、ヒロキは、「いや、じつにうまかったっす」 と、彼はいつも、いかにも単純、明快だ。絵庭も少なくとも胃袋の方については、大いに同感の様子だった。

 こうしたレクチャーも付いて、その日のおでんパーティーは、盛況のうちに、やがてお開きとなった。
 モトジは二人がモトジの料理を心底楽しんでくれたようで、大いに満足だった。また、奨学金の話も、むろん、モトジのふところ具合では、それを出してしまえば大した貯金も残らないという、常識的には危なっかしいものだった。だが、それもモトジを満足させることのひとつだった。


 つづく
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