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第三期・両生学講座 第9回
この頃、私の身辺で、ちょっと不思議なことが起っています。
なにも 「不思議だ」 などとあえて言う程のことでもないのかも知れませんが、ともあれ、ちょっと考えさせられてきていることです。
それは、ふと気がついてみると、私と 「コリアン」 との日常的なかかわりが日増しに広がって来ていることです。しかもそれが、日本でなく、このオーストラリアに暮らしていてです。
すでに、目ざとい読者におかれてはお気付きのように、それは、私がいまここにに 「コリアン」 と書かねばならないような、私の生国日本と、最も近い隣国の朝鮮半島の
“国々” との間の、のっぴきならない関係にからまっていそうなことでもあります。
ここに 「コリアン」 という表現を使わねばならないということは、こういうことに関連しています。
私がここで 「不思議な出来事」 というその出来事が、たとえば、イタリア人と関連していたとしましょう。むろん、そんなことは現実に起っておらず、また、起っていないということそれ自体が
「日・伊」 の関係と “日・韓” 関係の違いを表わしているのでしょう。つまり、イタリア人の場合、私はそれを 「イタリアン」 と言い代える必要もわだかまりも感じません。ところが
「日・韓」 の場合、 「日・朝」 とも書かねば片手落ちのようなところがあり、そもそも、日本語で 「韓国人」 とか 「朝鮮人」 とかと言ってしまうと、そうした日本語の名詞が意味してきている、両国関係の歴史上、国際関係上の、ただごとではすましにくい事々を含んでしまって、私がここで焦点を当てたいとすることに、不要とも思われる他意をからませてしまいます。そうであるために、私には、
「コリアン」 という表現が必要となっています。
そこで私がここでいう 「不思議な出来事」 とは、そうした既存の両国関係とはまず関係のないはずのここオーストラリアの地で、しかも、そうした過去とは無縁のはずの現在で進行中の、ごくごく個人的、日常的出来事にまつわる話です。
そういう話として、 「コリアン」 との身近なかかわりが段々に増えて来ており、そしてその発端は、「「星友 良夫」 だった人について 」 で書いた、私のコリアンの親しい友人に始まります。その彼を皮切りとして、それ以降は、私が働いている日本食レストランで、そのオーナーがコリアンに代わって以来、そしてさらにその次のオーナーもコリアンとなり、こうした日常の再々のコリアン化がもたらしてきている、コリアンとの日ごろの付き合いの拡大や深まりがあります。
ただそれも、そんな環境で働いていれば当然なことと、ややもすると見逃しがちなことでもあります。しかし、そうではありながら、そうして頻繁な日常的接触を繰り返しているうちに出来上がってきている、ある種の
“親密” な関係が発展してきているのも事実なのです。そうであるからこそ、なんとも 「不思議」 と思えてきているのです。
むろん、オーストラリアでもう四半世紀も過ごしてきているのですから、コリアンにはるかに先だって、オージーとの親密ばかりでなく実効的な関係も発展してきており、これは自然で当然な結果とも言えます。
それが、このオーストラリアで、今度はコリアンなのです。Why?
これこそ、 「神の見えざる手」 とでも言うのでしょうか、私にとってオーストラリアとは、そうした自分の生国にまつわる意に沿わない関係――自分とは関係ないと思いたい関係――を、ひとまず取り去ってみたいとする願望もあってやってきたはずの地でもあったのですが、どっこい、そうはさせてくれていないこの結果や発展なのです。
どうしてなんでしょう。
たとえば、来週、私の息子や娘にあたる世代のコリアンの二人――共に店でいっしょに働いて来た人たち――と、それぞれ別個に会う予定が入りました。両人とも、オーストラリアでのワーキングホリデー生活を終えて帰国する前に、私と会う機会をもって話がしたいと言います。
ともあれ、そうした自然な人間関係ができつつもあるこの一見偶然な発展が、はたして、ただの偶然なのかどうかということなのです。
ここでひとつ思いつくことは、まず第一に、それほどまでに世界での人の流動は盛んとなっており、今や、場所を変えたからといって、場や国に特有な要素からは、そう簡単には絶縁も逃避もできない、そういう移動や混合の盛んな時代にあるということでしょう。言うなれば、個人生活レベルにおいても、グローバル化は進んできているのでしょう。
第二は、もしそうだとして、そういうグローバル化が事実であるとするならば、コリアンに限らず、他の諸国の人たちとも同様な出会いの機会はあったはずです。それが私の場合、なぜコリアンなのか、ということです。
そこで思うのですが、この両国の人々の間には、それこそ、歴史的、文化的な近隣性があって、ランダムに出会う可能性は他の国の人々とも同様にありながら、やはり両者はどこか、身近になりやすい、あるいは、知り合いやすい関係にあったのではないか、ということです。むろん、憎悪し合う面もあるのですが、それも近親であるがゆえの、アンビバレントな近親憎悪であるのではないか。
そう考えれば、そもそも私にとって、こうしたコリアン関係の発展にはずみをつけさせた一因は、私の働く店が日本食レストランであったという――オーストラリアでは、日本料理とコリアン料理の両方を看板にかかげる店がたくさんある――、食生活に絡んだきっかけ、言うなれば、そういう似通いを端緒としています。つまり、そういう生活文化上の共通項が媒介となった、文化・文明の近しさということでしょう。
さらに言えば、そうした日常レベルでお互いが接触する場があったおかげで、両国の過去の関係のもたらす騒音が個人間の日常的な関係にも予断やねじれをもたらしかねなかったところに、涼風をそそぎこみ、いわば、裸の理解が可能となっていたということでしょう。
(この問題は、この先、ちょっと面白く発展してゆきそうな気がします。そこで、それをとりあえず――――民族や、はてまた個人の、 《発生上の近隣性》
――――とでも名付けておきたいと思います。)
私にとって、 「日・韓」 関係や 「日・朝」 関係はうっとおしく気重いものであったのですが、こうしてできつつある 「ジャパン・コリア」 関係には、そうしたネガティブなものを感じません。
来週に会って話をするはずの二人にしても、日本人の同世代の “息子” や “娘” らと、なんら違いのない親しみを感じます。むろん、母国語でなく、英語を介してのコミュニケーションには制約も伴うのですが、質的な違いは見出せません。
この南半球のオーストラリアの地で、そこでも、北半球の片隅で発展してきた近隣関係が、過去のしがらみとは別の次元をもって自然に再生して来ている。
なんとも不思議な出来事ではないでしょうか。
(2011年1月20日、25日一部修正)
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