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 第三期・両生学講座 第11回


「自然災害」 という人間啓発



 日本人の特徴と言われる、協調性、帰属意識の強さ、忍耐強さ、勤勉、おもいやり意識、などがどうしてできてきたのかという疑問に対し、私の知る限りでは、その有力な解答となってきたのが、古代からたずさわってきた稲作による共同作業の産物、というものでした。
 しかし、3・11の地震と津波による途方もない大災害から考えさせられることは、これは私の拙速な発想に過ぎませんが、自然災害が人間にもたらす、底の深い教育、あるいは啓発作用が、上記のような日本人の特徴を形成させてきた、もう一つの重要な要素であったのではないか、と思えてきています。
 それは、その自然災害の規模が巨大であればあるほど、その惨禍に巻き込まれる人々の数も大きく、したがって、その啓発作用の範囲も大きいということになります。
 自然災害大国日本は、大雨や台風といった毎年のものから、数十年あるいは百年に一度といった大地震まで、さまざまな種類や規模の自然災害に繰り返し襲われ、当然に、その災難から立ち上がり、復興をはかってゆく集団的、社会的努力が、ある一定の国民的特質を形成してきたとしても、それは不思議なことではないでしょう。
 英語圏の報道を見ても、災害時に見せる日本人の、冷静さ、規律正しさ、助け合いを、驚きと称賛の眼で見ています。

 やや話は跳ぶのですが、先日、こちらのテレビで放映されたドキュメンタリー番組が伝えていたことです。それは、世界の諸文化・文明の発達に共通して関連する要素として、この地球上の多くの文化・文明が、「火の環 (リング・オブ・ファイアー)」 と呼ばれる火山噴火や地震活動の多発地帯の付近で起ってきているという指摘でした。そしてその要素とは、鉱物の産出に注目するもので、そうした地殻活動の活発さが、その付近に金、銀、銅、鉄といった地下資源の豊富さをもたらし、居住環境としては極めて危険な地域でありながら、それを上回る、人々を寄せ付けるに充分な引力となりうる、というものでした。
 これは、地球の地殻活動に伴う物質的所産に焦点を当てた見方ですが、それを、その活動のもたらす災害が与える、その域での住民の精神的所産という角度から見れば、上記のような、日本人に見られる特徴――あえて言えば日本文化・“文明” ――の、成立要因とも言える事柄です。
 その地が、文化・文明の地として他地域に抜きん出る以上、そこには、物質的な有利さとともに、精神的、頭脳的な先進さも伴っていたはずで、この両面性こそ、まさに、文化・文明の深さの証しであったことでしょう。

 日本の大地震の報道が世界を駆けまわった翌日、私の職場のネパール人の若者が、「まるでムービーを見るようだ」、といって彼の驚きを表現していました。
 今度の地震は、まさに、今日のビデオ時代の真っただ中に起った地震やその津波で、ハリウッド映画を見るかのように、いかにも生々しい動画としてまず提供されたことに特徴があります。そして、そうであるがゆえに、言葉を経由するような理解の困難さも何ら伴なわず、たちどころにして、世界の人々を驚愕させ、そしてその胸を打ちました。
 決して誇張や身びいきではないと思うのですが、この 「災害」 は、おそらく、人類の歴史始まって以来の、地球的な規模の驚きと同情とそして人道的援助活動を呼び起こしている、人類初めての 体験ではないでしょうか。むろんそこには、もし日本の経済に大きな落ち込みがおこれば、それが世界に波及するとの “打算” の要素も含むでしょうが、そういう関心だけなら、それは従来の報道や反応と何ら変わりません。
 いずれにせよ、3・11による巨大災害は、 《共感》 というきわめて素朴で個人的な次元の人間反応が、映像化の容易さやソーシャル・ネットワークという人々を直接に結び付ける新グローバル・チャンネルの発達にも助けられて、人類始まって以来の規模の共通反応を呼び起こしたことは間違いないでしょう。
 この共通反応を、資本活動レベルの 《ハードなグローバリズム》 に対する、ヒューマン活動レベルの 《ソフトなグローバリズム》 と対比させることも可能でしょう。

 さてそこでですが、この 《ソフトなグローバリズム》 がもし事実だとするのなら、私はそこに、ある希望を見出したいと感じます。
 というのは、今や世界のインフラと化したネット世界の存続を前提に、 《共感》 を媒体として、世界の人と人とがフラットに交流し合える土壌が形成されつつあり、その土壌の上に、さほど大そうな装置や人物を経ないでも造ることのできる、人類共通価値といったようなものができうる可能性を感じるからです。
 それは、 《ハードなグローバリスム》 がもたらす 「世界標準」 ――利益の私有化をめざす――といったものとは根本的に性格を異にする、 「誰もが同じように感じているんだ」 ということの共通の発見を通じた、誰もの共通価値――利益の共有化をめざす――です。
 そして、近年の、そして今後も当分そうと予想される、自然災害の世界的な増加や甚大化があるとするなら、そうした体験に培われた日本人の日本人らしさといった特徴が、ひょっとすると、世界の人々にも共通する “世界人らしさ” となってゆくのかも知れません。
 (ここで言う巨大災害とは、あくまでも自然災害のことで、それに原子力発電所の被害に関係する二次災害は別問題ととらえます。この件については、改めて考えたいと思います。)

 (2011年3月22日)

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