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私共和国 第29回


核汚染は 「自然災害」 か



 まずはじめに、 《’11・3・11》 は、日本の歴史に残る日のひとつになるのは間違いないでしょうが、それが、日本を変えた日となるのか、あるいは、それでも日本は変わらなかった日となるのか、少なくとも、そういう重さをもった日であります。そういう、そのたいへんな節目の’11・3・11》 について、本稿は、それが何を意味しているかについての私の考えです。

 前回の 「両生空間」 の 第三期・両生学講座第11回 「自然災害」という人間啓発 で、その’11・3・11》 の自然災害としての面について述べ、その意味を考えました。ただその最後に、 原発震災については別に考えますとし、第二の考察の糸口の予告をしました。
 ところで、そういう執筆上の経緯から、本稿は両生学講座の続きとして論じるのが形式上、順当なのですが、こと原発震災の問題は、 「私共和国」 ――強制力がもしないとするなら、そういう世界を選びたいとする現実選択域――が扱うべきとしている現実政治に関する事柄でありますので、こちらに移して論議したいと思います。


 それを言ったのは、たしか丸山真男だったと思いますが、日本の近代の欠陥――思考の断絶――として、戦争と天災をごっちゃにしてしまう――深く問わずあきらめてしまう――傾向がある、という問いかけがあります。それを丸山が問うたのは戦後すぐで、敗戦と関東大震災を念頭に、戦争による惨禍は、天災による惨禍と同じような 「自然」 なものなのかと問うていたものです。
 ’11・3・11についても、それを 「三度目の敗北」 ととらえる論調は多く、日本は、過去二回の被災や敗北から立ち直れたのだから、今回も可能だとする主張に概ねなっています。しかし、そこで重要なのは、丸山の言うように、自然災害と人為災害をごっちゃにしない視点です。
 ’11・3・11》 に際して、最初に海外から寄せられた目は、日本人の自然災害に対する毅然とした態度でした。しかし、日数がたち、ことに原発被災による核汚染の問題が深刻化するにつれ、海外からの視線は大きく変化しました。いってみれば、その対処の稚拙さへの批判と注文付けです。
 つまり、’11・3・11》 を契機として顕著になってきていることは、日本人の 「対自然災害強さ」
と 「対人為災害弱さ」 です。
 ちなみに、もうすでに四半世紀をオーストラリアで生活してきた私の “西洋世界体験” が告げるところでは、西洋人は、自然災害すら人為災害のようにとらえ、それに挑戦的で競争的です。ある意味では、そういう態度が科学精神を発達させたのでしょう。また、一神教が支配する絶対神の存在が、自然界と人間界の区別など無意味にさせ、支配、被支配の関係が明瞭です。それに対して日本では、山や海や川など、自然界のあらゆる存在に神を見、どうしても、すべてを受容し協調的です。
 そういう西洋人から見て、あるいは、それにまみれた私のような西洋かぶれ日本人から見て、津波とそれに洗い流される町々の生々しい映像に続く、日本政府や責任企業の長たる人々の悠長な姿や態度の映像は、奇異さを通り過ぎて、時には滑稽にさえ見える、日本での 「人為災害」 の扱われ方の不可解さでした。
 私は、2004年12月のインドネシアの地震と大津波の被害に対し、オーストラリアがとった隣国インドネシアへの援助とある種の内政干渉を目の当たりにして、ひとつの国際政治の高次元な駆け引きと国家エゴの実行を見た思いがしました。つまり、オーストラリアの隣にあって、時には仮想敵国のひとつとも位置付けられているインドネシアがそのような大自然災害を経験した時、オーストラリアにとっては、それはそのインドネシアに食い込んで行く絶好の機会であった訳です。そこではたとえば、オーストラリアからの援助資金や物資を分配するにあたって、その支援に頼らざるをえない隣国の弱みに乗じ、かつ、汚職にまみれた現地政府や地方政府は信用できず援助が適切に実行されないとして、オーストラリア独自の支援機関の設立をインドネシア国内に認めさせ、それを通じて援助を実行しました。
 一方、今回の日本の大地震と津波被害に際して、アメリカは 「TOMODACHI 作戦」 と名付けて日本への大規模な援助を実施してくれていますが、その真の狙いは何なのか。人道的とは、国際政治界においては、単に 「格好な機会」 の別称にほかなりません。ましてそれを、 「それこそ日米同盟関係の信頼性の深さの証拠」 とかなんとか論じる人たちは、そういう隠された介入に何らかの利益を見出している人たちに違いないでしょう。


 私は、この 「私共和国」 や両生学講座に並行して、 「ダブルフィクションとしての天皇」 とのタイトルの下に、バーガミニ著の 『天皇の陰謀』 の 「訳読」 を続けてきています。その作業が明らかにしてきていることは、原著者の主張を通して、かつての日本のアジア・太平洋戦争への突入が、決して受身的でも、ましてや 「自然災害」 的でもなかったことがしだいに見えて来ていることです。
 今度の震災を目の当たりにして、私には、一見無関連であるような、この 「ダブルフィクション」 という関係が、この原発震災にも、またしても姿を表わしているかに見えます。
 表題の 「核汚染は 『自然災害』 か」 に答えて言えば、
それは 「否」 であり、「人災」 であり、しかもそれがただの内輪の 「人災」 であるのではなく、1945年の敗戦が、日本の歴史始まって初めての外国――米国――による占領であったという意味での 《敗戦》 につぐ、そういう意味での 《三度目の敗戦》 のはずです。つまり、 《敗戦》 とするならその相手は誰かということであり、そこにそうしてまたしても自然と人為をごっちゃにするなら、ここにも、 「ダブルフィクション」 としての陥穽が待ち受けていると見るべきなのです。むろんその相手は、二度目と同じ米国です。そして、今回の被災を 《敗戦》 というなら、それを作りだしたその巨大な 「人災」 のもとである原発の由来が問題となるはずなのです。

 読者には、上記のような議論は余りに唐突に聞こえるでしょう。しかし、この原発震災による核汚染が人災であり、それが単なる作業ミスや事故による人災を越え、日本の原子力政策そのものが失敗だったのではないかとさえ見え始めて、いっそうの事の深刻さの度を感じているのも事実だと思います。つまるところ、 「何で日本は、そんなやっかいなものを抱え込んでしまったのか」 という思いです。
 私はこれまで、自分のオーストラリアでの生活の糧のひとつ――寿司修行と並んで――として、一種のビジネスコンサルタントをやってきていますが、そのビジネスの必要から、日本の原子力産業の経緯を観察してきました。その結果なのですが、日本はアメリカでの原発政策の推進を肩代わり――1979年のスリーマイル原発事故以来、米国内では撤収せざるをえなかった――させられてきたのではないか、といった見方をすべきなのではないか、という思いを強めて来ています。
 この日米両国の原発政策のからみについては、まだ調べたいことも多々あり、本稿では、そういう仮説を
ここに提示するのみにとどめます。そして、この問題については、また機会を改めて、より詳しく論じたいと思っています。

 ところで、’11・3・11により、私の先の日本行きの計画は延期となっていましたが、今夜の夜行便でオーストラリアを発ち、再度それを実施いたします。
 しかし、この一ヶ月間余りに、日本を廻る状況は激変し、私の日本行きの意味も一ヶ月前とは同じではあり得なくなりました。ある意味で、今回の日本行きは、予定らしき予定もほとんど組めない、白紙のそれです。そういう一種の空っぽさを作り出させたのも、この’11・3・11》 でありました。

 (2011年4月20日)

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