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 私共和国 第31回



核汚染列島



 政府による、福島第一原発の放射能汚染は軽微だと繰り返される発表は信じられないとして、核に汚染されたこの列島から逃げ出そうとする人たちの、われ先な動きがすでに始まっているようです。たとえばその中には、公然の秘密としてうわさされている、枝野官房長官の家族のシンガポールへの転居という醜悪な 「われ先」 も含まれています。
 ところで、四半世紀昔、私がオーストラリアに向けて日本を後にした時、まさかそれが、この故国を脱出しようとするあまたの 《日本エクソダス(大出国)》 の皮切りであるとの意識は、もちろん、ありませんでした。
 しかし、あと数日でこの国を再び後にしようとしている今、どう意識していたかにかかわらず、私は、すでに決して少数ではないらしいその日本エクソダスの一員に違いなく、さらに、どうしてこういうことに至ったのか、その事態の顛末に注目せざるをえません。

 それでも、表題とした 「核汚染列島」 という認識を今の日本に与えることは、まだまだごく少数意見に過ぎないでしょう。そうでありながら、’11・3・11》 以来のこの国を日増しにおおう政府への深い不審は、逃げ出せる手段を持たぬ、あるいはそれを選択せぬ多数の国民に、一種の終末観的な覚悟を固めさせ始めているのも確かなように見受けられます。
 たとえば、この一ヶ月間の日本滞在中に会った一人の女性は、もうすでに、家族が口にする水はすべて日本産以外のボトル水に切り替え、料理に使う野菜も一品々その産地を確認し、また、野外でテニスに興じる自分のマンションの隣人たちを自室の窓から見下ろしながら、自分はもう、そのように外気を吸って激しく運動するスポーツをできなくなったといいます。そして、別れ際の彼女の言葉は、「なんとかお互いに生き抜いてまた再会しましょう」 という、決してユーモアを意図したものではない、真実味を深める一言でした。
 また、私の 「リタイアメント・オーストラリア」 ビジネスのかってのお客さんで、世界をめぐりめぐって、ようやく志摩半島の温暖な自然の中に終の棲家を構えおえて生気を再生しつつあるご夫妻は、こんな事態に至っているからこそ、ついに日本が、いよいよ、変わり始めているといいます。そして、テレビで見たという、福島県のある少女が、被災地を見舞いに訪れた首相の一行に、「私はもう子供が生めなくなるのですか」 と一人堂々と問いかけて、その一行の誰をも沈黙させたというシーンを私に語り、あどけない少女がこんな本質をついた質問を政府首脳に向かって発言する時代を迎えている、と言います。
 確かに、GW連休中に、学生時代の旧友たちと訪れて春スキーを楽しんだ長野県では、まさに春の息吹が爛漫と光り輝いていました。そして、いつ来ても感動させられるその自然美を、これこそ、日本が子孫へと永遠に引き継いでゆくべき、ましてや、核汚染やその風評で台無しになど決してしてはならない、天恵、無条件の財産ではないか、としみじみ感じさせられました。
 あるいは、京都での両親の墓参りの足を伸ばして訪れた大阪では、都会生活の中にあっても、どうにかして健康かつ健全な人間生活を確立しようとする運動を続ける友人やそのグループの人たちと会いました。ただ、そうした地域での運動が必ずしも成功裏には展開されていないようでありながら、その一方で、中心であるはずの生活にそうした運動を付加しようというのではなく、むしろ、生活の機軸自体をスライドさせ、ある意味で、自分をこの社会の主流から積極的に “脱落” させて行こうとする生き方がそこに試みられていました。たとえば、死を宣告された癌病苦から生還した経験に立ち、自分が食して成功した食物や料理のみを出す店を営み、現代医療への実戦的な対抗手段――癌を離別させる心身を取り戻す――を実践しているレストランオーナー。あるいは、東洋医学のいろいろな流儀を組み合わせ、病んだ現代人の歪んだ人体を矯正し、対症療法としてではなく、予防療法として―― 「一生もの」 と彼の言う――痛みや症状を解決してゆく東洋医学療法士、などなどの実践者たちでした。

 しかしながら、そうした個々の根本的な発想転換やその実践努力を無残にも飲み込むかのように、目にも見えず、手にも触れえず、味もしない核汚染が、広島・長崎をその第一波とすれば、再び、この列島を蝕み始めています。そして、その汚染度をめぐって公的に発表されるデータは、かっての “大本営発表” そのままに、人々が本当に知るべき事実にはまったく言及していません。
 であるがゆえ、今の日本の日常の生活は、そうして繰り返される 「安全」 もしくは 「危険は軽微」 との公式発表により、少なくとも津波や原発汚染の被災からまぬがれた地域では、不思議なほどな平穏、あるいは、そう振舞うしかないかの、表面上の平静さが見受けられます。
 日本の原発政策は、戦後日本政府が実施してきたあやしい諸政策の中でも最たるもので、それを推進してきた歴代の自民党政権に取って代わることとなった民主党政府は、予期もしていなかったその尻ぬぐいをさせられるという不運と危うさのもとで、まさに一国を滅ぼすに足る恐怖の核汚染の発生を、正視も効果的対応さえもとりえずに、ただうろたえ混迷し、一時しのぎの措置や嘘の上塗りの繰り返しに終始しています。
 さらには、今回の大地震と福島第一原発による核汚染だけでもこんな状況である上に、この地球の地殻現象としてはもはや秒読みの段階とも見るべき、次に来るであろう東海あるいは南海大地震が発生すれば、日本の最大の人口集中部を壊滅的に破壊し、文字通りの国の存亡すらに関わる甚大な事態に陥らせることは避けられないでしょう。2年後には運転を再開するだろう御前崎の浜岡原発を含め、原発は、それでもまだ復興可能である地震被害に加え、今回をはるかに上回るであろう深刻な核汚染を引き起こし、人的努力すら寄せ付けぬ死の放射能被災の蔓延によって、もはや復興そのものすら不可能にさせてしまいます。
 (以上、2011年5月18日記)

 
大きすぎて壊せない?
 成田を飛び立ち南下する夜行便の中で、空港の書店で買った雑誌に目を通していました。
 その表紙にただ 「原発」 と大書きにした経済週刊誌 ( 『ダイアモンド』 5月21日号) が、年2.5兆円、1基100年の生命だと強調する原発は、すそ野の広いその産業規模から言っても、中央、地方両政府や大学・研究機関をくるみこむ利権の共生構造から言っても、たとえ 「脱原発」 の風潮が広がろうと、要するに、もはや 「大きすぎて壊せない」、というのがその特集号の結論として読めました。
 なに?、“大きすぎて壊せない”。それは最近、どこかで聞いたことのある文句です。
 そう、2008年のリーマンショックに始まる世界金融危機の際、その震源国アメリカで、問題をかかえた巨大金融機関をつぶすべきかどうかの議論がありました。そこで用いられた論法が、たとえ欠陥があり、未曾有の混迷をもたらした下手人と認められようとも、結局は、 「大きすぎて潰せない」 との方向であり、結果、巨額の税金の投入でした。
 前回でも採り上げた広瀬隆氏は、1980年代初めより、原発はひとたび何か起これば、それこそその被害は、「大きすぎて取り返しのつかないことになる」 と一貫して訴え続け、その上の今回のこの核汚染の発生でした――氏の近刊、『福島原発メルトダウン』 (朝日新書、5月30日発行) で はその氏の無念な思いがひしひしと読め、かつ、起こってしまったこの事態に氏は、「今、日本人が助かるために急いで求められているのは、この国民一人ずつの意識の改革なのです。事実を知ることです」 と、その結論部に述べています。
 少なくとも日本において、かつその当の日本人として、原子核の中からエネルギーを取り出す原子力発電技術は、(ついでに言わせてもらえば、アメリカ産のそういう金融制度そのものも)、制御可能なものなのか、それとも、暴走可能なものなのか。
 そのいずれと判断するのか、日本は今まさに、その分岐路に立っています。


 (2011年5月22日)

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