「両生空間」 もくじへ
 
HPへ戻る

 第三期・両生学講座 第13回


脳の根毛



 以下はおそらく、私の “早とちり” の類の話でしょうが、まんざら当たらずとも遠からずかも知れません。
 といいますのは、別掲の訳読 『ボケずに生きる』 が今回で第9章まで進み、その議論は大詰めに差し掛かっています。そこで拙速にも、自分なりの納得をつけようと、解釈の自分版を作ろうとしています。
 その大詰めを少々強引に要約しますと、脳細胞の数、つまり脳の働きは、歳をいったからといって成長が止まるわけではなく (むろんスローダウンはするのですが)、それはおもに、その神経細胞のシナプスの増加によって支えられていると言います。
 シナプスとは、細かく枝分かれした神経細胞の末端が、互いに連結しあって形成される脳内通信網機能のことです。それが、私たちの生きるスタイルという外的刺激しだいで、いっそう綿密に発達すると言います。
 私はそこで想像します。上下が逆さまになった樹木の根が、脳内の土壌に盛んにその根毛を伸ばし広げてゆくさまを。
 昔、よく科学物の番組か何かで、土の中で植物の根が伸びてゆく様子を撮った早回しの映像を見ました。水分や養分を求めて、たくましくかつ “動物” の触手のように動いてゆくさまは、印象的でした。
 ただし、人間の脳の生きたままのそうしたさまを撮ることはできないのでしょう、実際のそんな映像には出会っていません。そうなのですが、想像は可能です。しかも、映像は撮れなくとも、そうした増殖が起こっていることは、どうやら事実なのです。

 6年ほど前、還暦を前に、自分の前途を考えていた時、まだ、歳をとっても人間の脳が成長を続けるとの知識はなく、一種の先の暗い行き詰まった気分に陥っていました。しかし、その先まだ二十年は生きるのは確かだろうし、そんな閉ざされた意識でいるのは堪らないなとも思っていました。そうした局面で、いわば消去法の逆用――ネガティブ要素をみな取り去っても、自分に、全く何も残されていないわけではないだろうとの発想――で導かれてきた結論が、 「ボケ防止への一次プロジェクト」 でも述べた、私の還暦越え計画でした。
 その時、ある種の勘というか、願望というか、それに頼るしかないとすがったのが――あるかもしれない、ないかもしれない――自分の頭の働きの可能性でした。ある意味では、そういう “当てずっぽう” でした。(今、あらためてその 「一次プロジェクト」 を読み返してみると、「脳の健康、10の維持法」 を和訳したりなどして、ヒントはえていたようですが。)
 しかし、結果的には、そして、後から加えられた新知識の教えるところでは、その “当てずっぽう” は大当たりでした。ちょっと格好良く言えば、私が自分を実験台に行ってきた実験――生物的かつ社会的実験――で、自分の仮説の正しさを実証しました。そして、 『ボケずに生きる』 の訳読が示してきてくれているように、今や、そうした事実は、医学的にも証明されていることとなっています。

 私は、たとえば一千万人を越える広義の団塊世代の中で、一体、どれほどの人たちが、この事実――たとえ何歳になっても、頭の中の 「根毛」 が生きいきと伸び続けている――を知っているのかを知りません。
しかし、それを知っていることと、知らないでいることの差は、これは大きい。
 思い出しても、もし、私がそれを知らないでいたら、あるいは、あの時、何もしないでいたら、私の還暦前のあの閉ざされた意識が死ぬまで続いていたでしょう。
 そうであったことと、そうでないことの違い、これは決定的です。

 (2011年11月27日)

 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
                  Copyright(C)、2011, Hajime Matsuzaki  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします