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 私共和国 第37回


一石三鳥



 ここオーストラリアでもそうなのですが、社会保障というものは、社会に、「それをもらわないと損だ」 という損得根性を育てがちです。たとえば、本来、それは低所得者向けの給付であるのに、その対象外の高所得者が自分の所得をごまかしてそれを受け取っている、といったことは、一種、常識化しています。資格と権利の混同とも見える現象ですが、それ以前に、あえてその混同に奔走する、精神のあさましさが顕著です。

 訳読してきている 『ボケずに生きる』 は、医学的仮説の検証部分が概ね終わって、いよいよ、その実用方法の議論に入ってきました。そのタイトルも、 「使うか失うか」 と、やたらに実戦的です。つまり、心身の健康という私たちの生活の源は、 「使っている」 からこそ正常に機能しつづけるものであって、 「使わない」 ことはそれを 「失う」 ことを意味する、というものです。
 ことに精神つまり頭の方は、それを活発に使いつづけることが、認知症の発症を半分にも減少させるとの、驚かされるような医学的事実が証明されてきています。
 言うまでもなく、頭は人間の司令部であって、身体がどんなに健康であっても、その司令部が正常に働かなくなってしまえば、その身体とて正常な働きを失います。認知症の典型症状のひとつである徘徊は、その顕著な一例です。
 疫学的に、65歳で5パーセント、75歳で10パーセント、85歳で25パーセントの人がその認知症に襲われているその現実が、それぞれに半減するというのです。社会的にみても、何と言う苦難の軽減でしょう。まして、個人にとって、自分の人生の末期を、認知症患者として送ることになるのかならないのかの分岐は、決定的に重大です。

 ことを単純にして、頭を使いつづけることのもっとも効果的な実践は 《働きつづける》 ことだとすると、社会保障制度のひとつである年金は、その 《働きつづける》 ことをマイナスに奨励することになっている可能性があります。
 いや、そう言ってしまうのは、議論の曲解でしょう。 
 年金はあって良いのです。そういう安心の制度をベースにして、それでもなお 《働きつづける》 ことがが、私たちの認知症の予防に大きく役立つ、と言うのです。
 と言うことは、一石二鳥の効果があるということです。
 まず個人的に、その人の人生や周りの家族が、認知症に苦しめられることから解放されます。これは巨大な安心です。
 第二に、社会的に、高齢化社会を迎えて、確実に上昇してゆくであろう認知症患者のために必要な社会的負担は、その結果、大いに軽減されます。
 そしてさらに、これは一石三鳥の効果とも言えることかも知れませんが、そうして年金という安心の制度的保障があって、それでも 《働きつづける》 ということは、もはや、金銭の獲得を目的としないでもよい、そうした労働が可能となっているということです。むろん、個人によって、金銭の獲得目的は微妙に残っている場合もあるでしょう。しかし、いずれにせよ、その重圧が軽減されているということは画期的です。つまり、今やようやくにして、つまり生まれて初めて、自分の好き嫌いに応じて 《働きつづける》 ことが可能となっているのです。趣味三昧の生活というのも、そういうことなのでしょう。
 つまり、そういう労働、すなわち、これまで、金銭獲得目的の効率性のため、とかく軽視されがちであった陽の当たらない仕事、あるいは、あまり稼ぎにならない仕事、あるいは、まったく稼ぎにならない仕事(つまりボランティア)、といった仕事群が、そういう労働の射程に入ってくるのです。
 もし、そういう労働―― 「経済目的外労働」 とでも呼びましょうか――が社会に広がっていった場合、それは、金銭論理でとかくギクシャクしがちであった社会に、潤滑油を差す効果をもたらすのではないか。
 それこそ、そういう社会を、豊かな社会と形容してもよいのではないでしょうか。

 広義で言えば団塊世代は一千万人を越えます(我「団塊」でなし参照)。そのほんの1パーセントとしても10万人です。そうした巨大な “部隊” がこの 「経済目的外労働」 にたづさわりはじめたら、それこそ、経済効率的にも、増加を続ける老人関係医療費の軽減要素になるでしょうし、日本社会の生産性も向上し、新たな社会の地平が開けてくるのは間違いないでしょう。ましてや、年金世代と現役世代間の反目も、その必要がなくなってくるでしょう。

 それでは、今回の訳読 『ボケずに生きる』 の第7章へは、こちらから、どうぞ。

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