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 両生学講座 第4期 第2回


自己の起源


  「自己の起源」 といえば、身体的には誕生日――厳密には受精日――がそれで、これについては異論はないでしょう。 
 では、精神的にはどうでしょうか。
 それには、 「物心ついた」 頃という言い方もありますが、それを 「起源」 という境界として扱うには、ちょっとあいまいな定義です。
 そこで私はその境目を、自分の行方にかかわる判断を自分で決めはじめた時、と定義したいと考えています。
 たとえば、完全に親の保護下でしか生きられない幼児時代、そこにそういう判断はありえません。
 それが少年となって、いわゆる口ごたえをするようになった時でも、それはまだ子供らしい物言いにすぎず、まだまだその判断内容は親に頼っている、そのくせ一人前な言いぐさを始めている時期です。
 そして、反抗期を通過して、いよいよ思春期に入ります。たとえば私の場合――以下、私事のやや仔細な披瀝をご寛恕ください――、それは17〜18歳の頃でした。いよいよ、その分かれ目を経験しました。高校卒業を控え、自分の進路を決めようとしていた時、受験大学に関して、親の意見を受け入れられない自分を発見する、という分かれ目に遭遇することとなりました。
 それは、志望大学選びの際、俗に言う “口利き” (当然それなりのお金の話を含んでいたでしょう) のできる大学を自分が受け入れるかどうかが、その分岐点となりました。当時の自分の意識では、そういう自分の将来の問題に、記憶にある当時の私の言葉でいう “自分の実力” 以外の要素が介入してくることへの 《不快》 でした。(さらに仔細に触れておきますと、その話を断り切れず部分的に受け入れた自分があり、その不甲斐なさが以後しこりとなって残りました。)
 結果、私は 「自分の実力」 で入ったつもりのそれ以外の大学に進みました。ただ、 「自分の実力」 と言っても、それは単に受験上の学力のことにすぎず、その大学での四年間の学費は親頼みという程度でした。ゆえに、本当の 「自分の実力」 頼りの進路選択が達成されたのは、ようやく、就職の際でした。その時もやはり身内からの薦めで、ある立派な就職口の誘いがありました。ですが、この時はもう迷いなく、自分の判断のみで相応な働き口を選びました。

 以上のような、私事にかかわる些事をくどくどと取り上げるのは、決して私的足跡の披露が目的なのではありません。そうではなく、広く誰にでもある、自分の問題についての自分の判断が、各自その場面や程度の違いはあれ、どこまで自分自身で決め得たかという、自立の尺度の一例を見ようとするためです。
 言うまでも無く、そうした自立の具合は、各自の資質や環境によって様々に異なるのですが、その環境が逆境にあった場合は、むしろ自己と外界との対立が際立ちやすく、それは逆説的に自意識を克明化しやすいと推察されます。しかし、それが順境であった場合、自他の境界が連続的で峻別しにくいだけに、そこでこそ、そのシビアーな線引きをしうる、ある種の感度の問題が生じてきます。つまり、その微妙な区別が求められる中で、まずはどこでもその発端として、一種の 《不快》 として意識に上がってくるその微細な検出を、どこまで感知できるかどうかの感性の問題ということとなります。
 私は子なしですが、自分の子供世代の人たちから何かを相談された場合、やはり、親に近似した立場から、ある種の “無難” な現実的判断を与えている自分を多々発見しています。そして、その助言が受け入れてもらえない場面に接すると、強く、不可解な気分になり、時には不機嫌にさえ捕らわれます。そしてその狼狽の中で、なんとか冷静をとりもどして自分の若いころを思い出し、ようやく相手の若い精神の働きの繊細さに、 “不介入” できる自分を見出しています。
 つまり、親子に相当する世代間には、そうした緊張関係は必ず存在し、それが世代を異にすることの意味ではないかと思います。世代間には、当然にそれだけの年齢差――生物学的な個体間差――を伴い、それに相当する時代や社会背景の違いが必ずあるわけですから、その両者の判断や価値観に同じ水準のものがあるのは、極めて異例でもあるかと思います。
 一般に、親の世代の役割は、自分の経験と知恵にもとづく無難な助言を与えることとなるでしょう。そして、若い世代の感受性は、未経験であるがゆえに当然にその無難性の意味を解せず、高純度で鋭利な論理や感性に立つ繊細な反発を見出すというのが通例でしょう。むろん彼らには、若さゆえのエネルギーが備わっているわけですから、無難という価値観は、往々にして、怠惰や鈍重にも近いものとして感受されるはずです。

 私はいま、65歳です。この年齢になって、今の私にもっとも尊いものを提供してくれているのは、若い頃に、無謀にも似た無軌道さを実行することで鍛えられてきた感性の回路です。言い換えれば、ひとつの思考力です。それがあるからこそ、煩雑な限りの長年の経験も分析や蓄積の対象となりえ、良き糧として料理かつ食用可能となります。もし、この能力を欠いていたとしたら、加齢とは、単なる衰弱と断念の累増以外の意味を持たなくなります。
 私は、この年齢になっても、毎日の思考の回路の働きを、心底、楽しんでいます。また、現在の私の毎日は、その思考の回路の働きをできるだけ損なわせないよう、この装置がフルに働けるそのメンテナンスに最大の注意を払っています。健康とは、この思考の回路を支えるインフラストラクチャーそのものですので。
 そうした毎日の中で、日々、思考の回路に立ち登ってくる様々なアイデアに、私は本当に感謝しています。それらが、どうしてこのように起こってきてくれるのか、私はその度に、嬉しさと、驚きと、謝意をこめて、その起源を考えさせられます。
 そこでですが、その起源は、まず第一に、私の身体的誕生の時ではありません。むろん、身体的誕生は、インフラストラクチャーの起こりとしては不可欠です。つまり、必要条件ではありますが、充分条件ではありません。
 そして、その充分な条件を満たしはじめたのが、その 《不快》 の体験との出会いでした。
 ただ、その 《不快》 がどのようなメカニズムをもって、私の意識に登ってくるのか、それは解りません。おそらく、誕生以来、その頃までに体験、蓄積した、生物体としての必要、不必要と、家庭や社会から受けた善悪の基準の学習があるのではないか、と想像しています。
 ともあれ、以上のような意味で、自分の行く末の判断に関し、自分の親やそれに相当する存在との間で、意見の対立を経験しなかったという感性がもしあったとしたら、そんな完璧な親世代のコピーであるような子世代の存在は、ありうることかも知れませんが、私にとっては、心底からの親しみや尊敬を与えきれない対象にならざるをえないでしょう。

 (2012年5月9日)
 
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