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私の健康エコロジー実践法
(その1)



質より量で“はじろう”


 まず初めに、先に私は、 「私の健康観」 と題して、自分の健康作りの考え方を、身体上のエコロジー作りであると述べました。そうした考えが、60歳代も後半となると、健康維持と、生活の質ばかりか、その意味すらが、相互に密接に関連してきて、終極的には、健康維持のためにのみ送る人生もありかな、という思いすら持ち始めています。
 それほどに、基幹的ともなりつつある健康維持について、それをことに、健康エコロジーの実践的獲得法としてまとめてみたいと思います。
 その第一回は、質より量の、「10kmはじろう」、です。

 それを10km “走” とすると、それを最後に走ったのは、もう、20年以上も昔のことです。
 それが、なんと、最近の二週間余りのうちに、その10kmを、5回もやりました。
 自分でも信じられない発展です。その直前には、せいぜい、4kmがやっとでした。
 一体全体、何が起こっているのでしょう。

 私は、この一年ほど前まで、一時的な腰痛や、膝の痛みなどは経験してきていましたが、さいわい、それらは慢性化には至らず、短期の故障程度で終わっていました。
 それが、一年ほど前から、いわゆる坐骨神経痛と思われる足の太ももから臀部への鈍痛あるいはだるい痛さが始まり、ずうっと続いてきています。いよいよ来たか、の思いです。
 その痛みには変動があって、軽い日もあるのですが、重い日では、歩行が辛くなって、思わず休んでみたくなります。ただ、そこで内心は、立ち止まって何かに腰かけたりしたいのですが、それがいかにも年寄りじみていて、おもわず見栄をはって、無理して歩きつづけたりしています。
 そこで、一時は大事を見て、運動を控えたりし、室内での対策ストレッチだけにしたりしてきました。
 ただ、そうしていても改善の様子はないし、ゆっくりながらも悪化の気配もあり、その安静策が、どうも受動的過ぎか、どこか逆のような気がしてきました。
 そこで、どうせ自分の身体でもあるし、防戦一方の玉砕も情けなく、事は試しとばかり、 “荒治療” に臨んでみることにしました。
 というのは、ひとつの考えがそこにありました。
 すなわち、その受け身策の中でも、エクササイズとしての歩きは続けており、ある日は、思い切って、普段は自転車のコースである30kmを歩いたりもしていました。この30km歩行の時は、30分の休憩を入れて、5時間半で完歩することができました。つまり、6km/hrの速さです。
 それ以外でも、10kmや20kmほどの歩きを、最初の一時間位は痛みをこらえながら歩くのですが、それを越えてしまうと、ウソのように、普通の調子がもどってくるのです。
 その他でも、時折、用心しながら走るせめての4km走はしていたのですが、いつも、後半が悪く、なかばしびれたような片足(いつも左足)をなんとかヘタヘタ動かしての完走でした。
 そうした状態の中で考えたのですが、歩けば30kmを時速6kmで歩けるわけです。それが、4kmをなんとか走って、けっこう苦しい思いをして、ようやく、27〜8分ほどです。つまり、時速9kmほどです。
 つまりは、時速6kmで30kmが可能なのに、時速9kmでは4kmがようやくというデータとなります。
 ということは、時速6kmと9kmの間のどこかに、充分長距離を継続できる、 “巡航” 速度があるはずということです。そこで、中をとって7.5kmの速度で走る?あるいは早歩き?すれば、どうだろうかということとなります。言ってみれば、 「質より量」 の発想です。
 そういうわけで、三週間ほど前、思い切りゆっくりで、倍の距離の8kmを走ってみることにしました。自分でも、みっともないなと、はた見が気になるほどのゆっくり具合で、しかも、なるべく上下動をなくした、すり足のような “老人走り” で。
 すると、どうでしょう、呼吸も楽だし、苦しくもなく、けっこう楽しい気分で、その倍の距離を “走り” 終えることができたのです。所要時間は1時間8秒、すなわち、時速8kmです。そして、次の “走り” が楽しみにすら感じられるのです。
 こうして、もう一回、8kmを1秒違いで試したあと、10kmに挑戦することとなった次第です。
 
 こうして発見した、質より量の超ゆっくりの “走り” 方は、女の子にも追い越されたり、中年ランナーからは、追い抜かれざまに、 「調子はどうだ?」 なんかと冷やかしの声をかけられたりして、沽券を気にしていたら、ちょっとやっていられない方式です。
 言い換えれば、これまで、そんな風に面子に駆られて、無理な運動をし、わざわざ苦しい思いをしていたようです。
 さて、そこでですが、この時速8kmを、走りとみるか歩きとみるか、まあ、はたから見れば、一応は駆け足くらいにはみえるでしょうが、走りでも歩きでも、いずれでもないような気がします。
 そこで、これを、 「はじめ」 (私の名) の走りであり、 「恥かきつつ」 の走りであることから、 「はじり」 と呼ぶことににました。いうなれば、時速8kmの “はじりっぷり” ということとなります。

 そこでなのですが、このように、結果的ながら “質” を “量” に切り替えることとなったその効果について、最後に触れておきたいと思います。
 総体的には、それが今の私の身体レベルに合ったものだったということだと思うのですが、8km/hr x 10kmという運動量は、自分の脳に、充分な刺激と最適なエコロジーを提供しているように感じます。
 というのは、脳というのは、その機能は無数のシナプスによって保障されているのですが、そのシナプスを形成するのは、それまでのその脳に与えられてきた人生上の社会的体験です。
 ちょっと飛躍しますが、つまり、脳のボケとは、そういう社会的体験の不足や遮断による刺激不足によるものと考えられます。平たく言えば、あまりに単純な社会生活しか持たなければ、それだけ脳はボケる、ということです。鶏と卵の関係ではなく、ボケはその結果によるものと思います。
 そこで、上記の10km 「はじり」 ですが、それを 「社会的」 刺激というのは無理があると思いますが、しかし、それだけの高度な働きを支える身体的インフラ作り向けの刺激という面では、充分な分量の刺激であることは確かです。
 そうですね、 「質」 だか 「沽券」 だかで行ってきた無理っぽいエクササイズでは得られない、じっくりとした満足感がそこにはあり、ずっと昔に味わった満足感の久々のよみがえりです。
 ちなみに、気がかりであった坐骨神経痛も、けっこう軽快してきている感じがあります。

 
 (2013年9月7日)


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