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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第8回)

「訳読」再開、ますます時宜


 この連載の前回は昨年1月でしたので、一年八ヶ月ぶりの再開です。この間、中断が気にはなりながら、他の作業を優先させ、やむを得ず、後回しとなっていました。
 この中断の間に、世の中では、世界不況やそれに伴うアメリカの覇権の揺らぎ、日本の劇的な政権交代など、時代の変わり目を意味するような歴史的変化が続き、事々を見る目にも、それ相応な違いが求められ始めているように思われます。
 ことに、自民党の半世紀にわたる君臨の終焉は、日本と米国の関係においても、ひとつの見直しが始まったことを示唆しています。
 この 「訳読」 は、そのような意味では、半世紀前の作品を扱っていながら、今日の日本の始まりが何であったのか、つまり、今回の政権交代で何が終わろうとしているのかをめぐり、ますますと時宜に即した内容に及んでていると考えます。

 今回は、日本が降服を受諾し、占領が始まろうとする、原作の三章の前半です。 言い換えれば、敵味方に分かれて戦ってきた日米が、いよいよ、互いに顔と顔を見せあう関係に入り、お互いの腹の探り合いからぎこちのない遭遇へといたる、そういう意味では、日米関係の “出発” についての 「訳読」 です。
 私は今日の日本を考えるにあたり、ことに天皇をめぐって、日本は、二重のフィクションによって包まれていると捉え、表記のようなタイトルを置いています。
 ことに、 「敗戦」 と題されたこの第三章は、
との表現で始まります。私は、この事実は、日本人が自らを認識するにあたり、もっとも重大な特徴として捉えておくべきことだ、と考えています。つまり、天皇家が 「万世一系」 であれたのも、この事実がゆえであり、もし外敵によって征服されていたなら、天皇家なぞ、まっ先に根絶やしにされていたにちがいありません。
 連合軍も、日本を、日本史上はじめて占領するに当たり、慎重に検討の結果、この 「万世一系」 としてきた天皇の影響力を利用することが最も現実的と判断します。言い換えれば、日本国民は、天皇という代々の王を頂点に据えたまま、それごと統治された方が安泰だ、と判断され、それが実行されてきたわけです。むろん、そこに外国産の 「民主主義」 も移植されたのですが、天皇という伝統的王制と同居の上にです。
 戦後の日本を、そう新古混在する矛盾したものと考えると、それを体現した自民党政権がいかなるもので、そしてそれが倒れるまでに半世紀をも要した――あるいは、半世紀しか要しなかった――というのも、合点がゆく気もしてきます。
 ともあれ、日本が、この地球上でもまれに、そういう、ピュアーな古さを、そうした混在した政治装置を伴なわせつつ、持ち続けている国であるのは確かであるようです。
 それでは、今回 「訳読」 の第三章 「敗戦 (その1)」 へどうぞ。


 (松崎 元、2009年10月1日)

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